花嫁の父 3





「ユキちゃん、ここ段差があって危ないから」

「はい。ありがとうございます」

池田とユキちゃんの声が背に聞こえる。
師走の町は賑やかで華やかで、すれ違う人々は陽気に笑い合う人々がほとんどだが時々泣いている人もいる。

「何持ってんの?ああ!そんな重いものもっちゃダメだってぇ〜。中村さんは気が利かないなぁ」

「お前が過剰なんだよ!」

「ユキちゃんは妊婦さんなんですよ〜、もっと労わってあげないと」

「大丈夫ですよ、これくらい。まだ3ヶ月だし」

「ダーメ!育児書にこの時期は人間にとって大切なところが出来るって書いてあったから、ユキちゃんは重たいものを持ったりしちゃダメなんだよ。ほら、中村さん、持って!」

「……お前、育児書なんか買ったのか?」

「当たり前じゃないですか!ユキちゃんの子供ですよ!妹のように可愛い可愛いユキちゃんの子供です。だから俺はおじさんの心境なんです」

「……おじさんでもそこまではしないだろ」

「そうですかぁ?ユキちゃんもそう思う?」

「あ、はい……っいえ、嬉しいですよ!そんな風に思ってもらえてるってだけで、そりゃあ、もう!」


一瞬落ち込んだ池田を励ますようにユキちゃんの大きな声が喧騒を突き抜けた。
今年いっぱいで退職することになったユキちゃんの送別会は、申し訳ないことに忘年会と一緒になってしまった。
だけど年末の慌しさを知っているユキちゃんからすれば、送別会をしてもらえるだけで嬉しいと言って喜んでくれた。

「うららさんのお店も今年いっぱいなんだよね?」

「はい」

「……寂しいなぁ。ユキちゃんの淹れてくれるコーヒーも飲めなくなるし、うららさんのお店で飲むことも出来なくなるし」

「お弁当、買いに来てくださいね」

「うん」

「中村さんも」

「ああ、もちろん」

忘年会も終わり、二次会でカラオケに行くというメンバーとは離れ、3人でうららの店に向かう。
両手いっぱいの花束やプレゼントは、ユキちゃんが会社でしてきてくれたことへの皆の感謝の気持ちの表れだった。
疲れた体にユキちゃんの優しい笑顔や淹れてくれるコーヒーに救われたのは、俺だけじゃなかったのだ。
課長も自分の娘のように可愛がっていたユキちゃんの結婚と妊娠に目に涙を浮かべていた。
そうやってユキちゃんは惜しまれながらも高木商事をあとにした。










そしてその日からたったの1ヵ月後。


「……その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、
これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」

「はい、誓います」

厳粛な雰囲気の中、ユキちゃんの声が小さなチャペルに小さく響いた。
ステンドグラスをはめ込んだチャペルの窓から優しい日差しが降り注ぐ。
キラキラとひかる光の粒が、ユキちゃんの言葉ではじけて輝きを増したようだった。
シーンと静まり返っているのは、一日一組限定の少し外れた郊外の小高い丘の上にあるチャペルだから、この二人の結婚を祝うもの以外がいないからだろう。
指輪の交換が終わり、

「それでは誓いのキスを」

その牧師の言葉に、ガタンと大きな音が前の方でした。
続いて「お父さん!」と小声だが嗜める声が響き、そこここで小さな笑いが起こる。
そして隣の列から「すみません」と言う声が聞こえる。
うららの父親が言ったのだろう。
その気持ちはわからないわけではないが、厳かだった雰囲気が一気に緩んでしまった。
それでも牧師は慣れているのか笑顔を浮かべ、新郎と新婦に先を促す。
向かい合い、ベールを上げるのは、完璧に新郎の姿をしたうらら……いや、内山武、一人の成人した男の姿だった。
長かった髪はばっさりと切り、黒く染められ、化粧をしていない顔は初めて見たけれど、元々綺麗な顔立ちをしていたのだから、男の姿に戻った今も十分に格好良かった。
身長の差が30cm以上もあることと、父親の眼前だったことで遠慮をしたのか、ベールを上げ、大切なものに触れるようにそっと額に唇を落とす。

新郎新婦の右手と右手が重なり、その上に牧師が手を置き、

「おふたりの未来が輝かしいものであることを神様にお祈り致します。いつの日もこのように手と手を取り合って、想いと絆を深めていってください。今、神の名のもとに、結婚が成立したことを宣言致します」



一瞬二人の視線が絡んで、次に笑顔になる。
二人揃って幸せそうな笑顔を出席者に向けたことで、感極まった誰かがグズリと洟をすする音がした。
パイプオルガンの音色が響き出し、賛美歌を歌うために席を立つ。
少し離れた位置に立つ高元の背中が見えた。
隣に高橋さんが立っているのは、うらら側の参列者だからだ。


年末が忙しいのは、どこの会社でも同じだろうし、俺と高元だって例外に漏れることなく忙しかった。
その上、駅の北側の商店街の開発に、以前から目をつけていた沢田物産が大人しくしているわけもなく、美味しい話とばかりに飛びついたから高元の忙しさは輪を掛けるようだった。
すれ違いの多かった年末に結婚式の招待状が届いたのは、暮れも押し迫った30日。
驚いたことに、招待状は俺だけじゃなく、高元にまで送られてきた。
しかし、よくよく考えると高元とうららは仲が良い。
顔を合わせると言い合いをしたり、お互いがお互いの痛い部分をつつき合ったりしているが、それが出来るほどに信頼関係を築いているように思う。
そして、俺達の関係を知っているのはうららただ一人。
そう思っていたから、正直かなり焦った。
同じ住所に二通の招待状。
もし、ユキちゃんが手配していたら……
そう思うと居ても立ってもいられないような感じはするが、確認するのも怖かった。
出席しないわけにも行かず、正月休みを返上して仕事をしていた高元にメールをすると「出席で返事をしておいてくれ」とだけ返信があり、とりあえず二通の返事をポストに出した。
落ち着かない気持ちのまま迎えた正月も、疲れを癒したいとばかりに睡眠を貪る高元に付き合って寝正月を過ごし、日付が近づいたころ、もう一度招待状に目を通した。
焦っていてよく見ていなかったのか、招待状の下の方に何となく見覚えのある小さな文字をみつけた。
これはユキちゃんの文字ではない。
そうして少し考えて、ピンク色の便箋と一緒に苦い思い出が蘇る。
そうだ、この文字はうららの文字だ。

『幸せになろうね』

「幸せになります」でも「幸せにします」とも違う。
『幸せになろうね』と言う言葉。
違和感を抱きながらも、自分達だけが幸せになることをうららはどこか後ろめたく思っているのかもしれない……
そんな深読みしすぎの見当違いなことを思っていた。


途中、賛美歌の中にユキちゃんの父親の嗚咽が盛大に聞こえていたこと以外は滞りなく式は進んだ。
式が終わり、参列者は外に出る。
最近ではゴミの回収が大変だという理由で行われるのが少なくなっているというライスシャワーをするために。
チャペルや教会で行われる結婚式のイメージにはあるが、友人や会社の同僚などに招待された式で確かにライスシャワーをした経験はなく、そういう理由だったのか……と思った情報は、結婚式の写真を取りに来ている男前のブライダル情報誌の営業が言っていた言葉だった。
式の間もカシャッカシャッとシャッターを切る音とフラッシュの瞬きがしていた。
そして、この写真はチャペルのパンフレットに使われ、ブライダル情報誌にも大きく取り上げられ、記事のキャプションには新しく開店される弁当屋のことも入れられる。
ちゃっかりしているうららのしそうなことだった。

「中村さん……」

ずびすびと洟を啜りながらやってきた池田が「羨ましいです」と言った言葉に苦笑がもれる。
ユキちゃんに触発され、佐々木さんと結婚するためにオランダに国籍を移そうかと思っていますと真剣に相談されたのは、つい先日のことだった。
何アホなこと考えてんだ?と思ったけれど、そういう風に無邪気に言える池田が一番羨ましかった。

わーっと声が上がり、チャペルの入り口に見慣れない男の姿をしたうららとユキちゃんが並んで立つ。
一気にテンションが上がり、うららの店の従業員達のむちゃくちゃなライスシャワーを皮切りに、参列者の間を歩く二人は本当に幸せそうだった。

そして最後まで歩き、くるりと二人が向き直る。

ブーケトスをするためだと思ったときには、女性陣は我先にと集まりだした。

「由美子さん!」

ユキちゃんの声に、高橋さんが手を挙げ、「ユキちゃん!ここ!ここ!ここに投げて頂戴!」と必死に声を上げている。
「私に頂戴!」とうららの友達なのか濁声も多数混じる。
その姿に笑いを誘われ、池田と並んでみている時だった。

「……英太」

いつの間に近寄ったのか、高元がすぐ後ろに立っていた。

「何?」

と言ったところで、池田が傍にいることを忘れて取引先の相手に対して言うことではなかったと思い、焦って言い直そうとすると、高元が鼻の前に一本の指を当てる。

「ちょっと……」

言いにくそうに、袖を引っ張られる仕草に、隣の池田を見ると、未だ立ち位置を争う女性達の姿を見て笑っている。
そっとその場を離れ、高元の後を着いて歩くと、さっき出てきたばかりのチャペルにそっと入り込む。
パタンと閉じた扉の向こう、きゃーと一際大きな声が上がった。
ユキちゃんがブーケを投げたのだろう。
高橋さんは取れたのだろうか……

「お待たせしてすみません」

「いえいえ、結構ですよ」

赤い絨毯を敷いたバージンロードを進みながら言った高元の言葉に、先ほどまでうららとユキちゃんの式を取り仕切っていた牧師が穏やかな笑顔を浮かべながら返答した。
祭壇の手前で歩みを止めた高元に倣って俺も足を止める。
さっきは後ろから見たキラキラと光る光の粒が、今は自分に降り注いでいる。

「色々と異例続きではございますが……神はきっとお許しになるでしょう。では、始めましょうか」




その牧師の言葉に高元を見る。

「……高元?」


少し間が合って、それから意を決したように高元が言う。



「俺を置いて、出て行ってくれても構わない」




なんてことを言い出すのだ……

その言葉の意味は理解できた。
だけど、ここで俺が出て行くということは、高元を捨て、一人で生きていくということになる。
意見を聞くとか考える時間をくれるという選択を高元が取らなかったことに憤りすら湧き上がってくる。
牧師を見ると、どうしますか?と眉を上げて無言で聞かれる。




俯いた視界の先に、高元が握り締めた手が小刻みに震えていた。



ああ、緊張しているんだな



そう思うと、遠く過ぎた日を思い出した。
あのときは今とはまったくの逆で、真っ暗な闇の中、触れた高元の体から、高元も踏み込むことに迷っていたことを知った。
高元はいつも行き先を提示する。

そしていつも……


踏み切るのは俺だ。




ふっと肩の力が抜けた気がした。
顔を上げて、牧師に言う。



「お願いします」

「わかりました」




誓いの言葉を誓い合い、いつ用意したのか高元の用意していた指輪をはめ、キスをする。
たった三人しかいない小さなチャペルで高元と向かい合って右手と右手を重ねる。
さっきまでうららとユキちゃんがしていたことを自分達が繰り返す。
その上に、思った以上に温かい牧師の手が添えられた。

「おふたりの未来が輝かしいものであることを神様にお祈り致します。いつの日もこのように手と手を取り合って、想いと絆を深めていってください。今、神の名のもとに、結婚が成立したことを宣言致します」



降り注ぐ光の粒が、滲んだ涙に増幅した。








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