花嫁の父 2





年末になると接待が増える。
取引先の忘年会に誘われることもあれば、来年もより一層のご贔屓をと、願いをかけて誘われることもある。
お互いの得に繋がることであれば、出来るだけのことをしておきたい。
英太と一緒にいることを選んだならば当然に。
高元がそこにいるから会社は利益を得ることが出来る。
そう思わせなければ、我が儘を言って留まったことへの責任を果たせない。









店のドアを出るとキンと音がしそうなほどの冷たい風が吹きつけた。
午後から急に降りだした雨は、夕方には上がったが、気温をグッと下げていた。
アスファルトに溜まった水がネオンの明かりを反射して、いつもよりも視界が明るく感じる。
一緒に出てきた取引先に挨拶をし、タクシーを止めて、角を曲がるまで見送った。
入れっぱなしにしていた携帯を鞄から取り出す。
夕方に送ったメールの返信が『お店が終わった後ならいいわよ。私もちょうど高元に相談したいことがあったし』と女言葉であったのを見て、苦笑が漏れた。
こんなことでしっかりとした父親になれるのかと不安になりながらも、あいつなら良い父親になりそうだと根拠もないのに思ってしまうのは、過ぎた日々で教えられることが多かったからもしれない。
少しの距離だからと首から提げたままのマフラーを引き寄せ、隙間から入り込む冷たい風を防御しながら通りを渡る。
看板の明かりが消えていることを確認して、そっとドアを引いた。
暖かい空気と冷たい空気が入れ替わる。
カウンターだけに灯された明かりの下にいる人物を認めた瞬間、すぐにノブを離して閉まり行くドアを見つめた。


この時期にここへくるのは危険だと去年も思ったはずなのに……

「ちょちょちょちょちょちょちょっとっ!」

風が入り込んでドアが開いたのを確認したのか、それともネオンを背負う俺の影を認めたからなのか、中から聞こえた声の主は、ドタバタと忙しなく近寄って、ドアの閉まる直前でガシッとドアを掴んで開けた。

「何閉めてんのよっ!」

開いたと同時に少し高い位置から言葉がかけられる。
明らかに去年よりもパワーアップしているその様相に、ニ三歩後ずさって、眉間に皺を寄せながらまじまじと見つめてしまう。
その視線に何を勘違いしたのか、

「こういうの好き?」

体をしならせ、明らかに誘うような雰囲気の言葉にうんざりとした視線を送る。

「いや全然」

「んっもー!去年同様、本当に失礼な男ね!」

少しの間怒った形相をしていたが、そのうちクスクスと笑いながら店の中へと入っていく。

「まぁ、高元が失礼じゃなかったのなんて初めて会った時の1回だけだもんね」

空けたドアの隙間から店内に外のネオンの明かりが入り込み、動くたびにキラキラと光る衣装を見て海洋を優雅に泳ぐ哺乳類を思い出しながら店内に進んだ。

「寒いからお湯割でいい?」

「ああ、すまない」

背の高い椅子を引いて腰掛け、隣の席に鞄とかけただけのマフラーを取って置く。

「今日も忘年会?」

「ああ、取引先のな」

「大変ねぇ。自分とこだけじゃなくて、取引先のもなんて」

「うん……まあな。でも誘われるうちが華ってな」

「ふふ、それもそうね」

カウンター内で背中を向けて湯割を作ってくれながら、あまりにも普通の会話をしているが、そんな格好で普通の話をされるのも何となく落ち着かない。

「はい、どうぞ」

くるりと振り返ったうららが、あったかそうにゆらゆらと揺れる湯気を伴ったグラスをカウンターに置く。
手のひらで包み込むと、熱すぎるくらいの熱を感じた。
いや……俺の手がそれだけ冷えているってことだろう。
口に含んで喉に流すと通っているところが分かるようだった。


「……聞いていいか?」

「何?」

「その仮面……と、格好は?」

最初に思った通り、その姿はまるで……まるでジュゴンだ。
深紅のジュゴン。
スパンクオールで覆われた皮膚が動くたびにキラキラと光る。
日頃の疲労と深夜という時間から眼精疲労の俺には酷な衣装だった。
おまけに顔には仮面舞踏会のような仮面。
店も終わっているのだから、外せば良いものを……と思わずにはいられず、思わず聞いてしまった。

「ああ、これ?」

「それ以外に何があるんだ?」

言って指で指した目の部分だけを覆った仮面もドレス同様にキラキラと光る。
蝶の形に縁取られた仮面の奥の目が、一瞬揺れた。


「うーん……客じゃないから、いいわよね」

誰に確認を取っているのかわからないが、耳にかけていた紐を取って素顔が現れる。

「ね?すごいでしょ?」

現れた左のこめかみから頬にかけてが緑から黄色にかけてのグラデーション。
このグラデーションは打ち身をしたことのある人間ならば度々見たことがあるだろう。

「それって……」

「ふふふ……まぁ、予想してたし、覚悟もしてたんだけど……」

痛々しいそのグラデーションを貼られた顔が、それでもふっと笑みを作る。
先日、英太がユキちゃんの笑顔を花が綻ぶようだと表現した意味を、ゆっくりと噛み締める。

「話した直後にいきなりドカーンッ!『よくも娘を傷物にしてくれたなっ!オカマだと思って安心してたのにっ!』ってね。オカマだから安全って言うのも不思議な表現だけど、ある意味で差別もなにもない人なのよね」

「……」

「何?英太から聞いてるんでしょ?」

「ああ……いや、その……うん」

「何よ?」

「いやっ……気を悪くしたら申し訳ないが」

「あたしの子かどうかってこと?」

「……うん」

デリケートな問題だからと気を使って言いよどんでいたのに、うららは、ふふふと笑って「もちろん」と答えた。

「もちろん、あたしの子よ。他の誰かじゃなく、正真正銘、あたしとユキの子よ」

優しい笑みだった。

「もちろん、あたしだって手術をしようと思ったことはあるのよ。心だけじゃなく、見た目だけじゃなく、体も女になりたいって思ったこともあったわ。それが自然だと思ってたし。だけど……いざ、実際手術しようと行動を起こし出したとき……譲れないものがあるって思ったの。あたしは、どうしても子供が欲しかった」

「……じゃあ、まさか」

「違う!違う!ユキに頼んで産んで貰うわけじゃないの!」

「……そうか」

少しホッとした。
まさかユキちゃんを利用したのかと思って焦った。
そんなことはないのに。
今のうららの表情の一つ一つ見ていて、結婚をすると聞いていて、そんなことを思うこと自体が間違っていると物語っているのに。

「……ユキのことは……ひょっとしたら、出会ったその時に恋に落ちていたのかもしれない。それくらいにあの子のことが気になって仕方なった。夏に出て行かれたことがあって……その時だった。女の子として……ううん、きちんとユキっていう一人の人間を好きになったって意識したのは……」

「それまでは男にしか興味がなかったんだろ?」

「そうね。ううん、そうだと思い込んでたのよ。中学のときに自覚したの。それがあまりにも強烈だったから、そう思い込んじゃってたのよ。あたしは男の人が好きなんだって……」

「……そうか」

「今まであたしは、男なのに男の人を好きになるっていうあたし自身を受け入れて貰いたくて、『人が人を好きなる。ただそれだけのことよ』って理解できないって言う人たちに言ってきたの。だけど、一番に拘っていたのはあたしだったのかもしれない」

この気持ちを受け入れられず、随分とユキを苦しめてしまっていたから。そう続けて、恥ずかしいと言って頬を手で押さえた。
だけど……俺と英太はその言葉に救われた。
自分の気持ちを自分で受け入れられず、戸惑い、それでも止めることの出来なかった思いを抱え、やっと手に入れたと思った瞬間、大きな不安が押し寄せてきた。
それで英太を傷つけたこともある。
二人だけの世界なら良い。
世間が受け入れてくれるような状況なら、何にも気にすることなく生きていける。
だが、世の中からはまだまだ認められない世界で、外の世界で生きていくには大きな理由が必要だった。
その理由として『人が人を好きなる。ただそれだけだ』と言ってくれる人がいて、認めて受け入れてくれる人がいるだけで、その不安を解消することが出来る。

大きな存在だと思う。
年下だが、うららは十分に尊敬に値する人物だ。
俺や英太以上に傷つき、苦しんだ結果、きっとたくさんの経験を積んだのだろう。
このレベルに到達することは出来るのだろうか……
すっかりぬるくなった液体を喉に流し込んだところで、思い出したようにうららが言った。

「あ!そうだ。高元に相談があるのよ」

そうだった。
すっかり本来の用事を忘れてしまうところだった。

「何だ?」

「急なんだけど、この店、今年いっぱいで閉めるのよ」

「は?もう1ヶ月もないじゃないか」

「うん、そう。子供が出来るのにこのままって訳にもいかなくて。由美子にも相談したんだけど、上司である高元の意見も聞こうと思って」

「上司は関係ないんじゃないのか?高橋だって十分に優秀なんだぞ」

「知ってる。でもね、念には念を入れておきたいの」

そう言って、カウンターの下から茶色い封筒を取り出し、中から結構な厚みの書類を二つだしてカウンターの上に広げた。
一つは、駅の北側の活性化を狙って商店街を作るため、入ってくれる店を募集しており、その書類だった。
そしてもう一つは、その説明会に来ていたチェーン展開されている弁当屋のものだった。
そこで、一度話しを聞いてくれないか?と言われ、ユキちゃんと二人で聞きに行ったらしい。
書類を手にとってパラパラと捲って見る。

「やろうと思っているのか?」

「うん、一応は。働きに出ても良いんだけど……あたし大学行ってないし、この仕事一本だったし……書類選考で落とされそうじゃない?」

「……まぁ、確かにな」

苦笑が漏れる。
会社というところは、まだまだ人となりよりも学歴や職歴でその人物を判断する。
そうすると、うららのような職歴では何かと損をしてしまう。
それなら経営者になったほうが良い。
この店の現状から言っても、うららが商売に向いていることは一目瞭然だった。
そして……多分、ゆっくりとしている時間がないのだろう。
何ヶ月後か先には子供が生まれてくるのだから……

「少し調べさせてくれ」

「ありがとう、助かるわ」

「いや……その……おめでとう」

「ははは、何よ今更」

「きちんと言っておかないと。お前にはたくさん助けられたから……幸せになってくれ」

「ええ、もちろんよ」

「それと……良い父親になれるよ、きっと」

「本当!?」

「ああ」

「嬉しい!ありがとう……本当に……グズッ」

「おいおい、泣くなよ〜」

「だって……」

そう言って目尻に浮かんだ雫を指先で拭う。
そんな仕草の一つ一つに女であると思い知らされるのに、どうしてもうららが良い父親になれると思ってしまう。

「……不安なの」

「うん。大丈夫」

「ユキや子供を守って生きていかなきゃって思うの。ずっと一緒にいれるって思うとすごく嬉しいし、きっと楽しいと思うの。でも……大丈夫かな?って不安になるの」

「ああ、でも大丈夫。お前なら乗り越えていける。何かあれば力にもなる。だから、しっかりしろ」

「うん」

人は一人じゃ生きられない。
そして、一人で生きていく必要もない。
支えあいながら進んで行けば良い。


「あ!高元も何か相談があったんじゃないの?」

泣いたことでぐずぐずになった鼻を噛んだ後に言われた言葉でまた思い出す。
本来の目的を達成しなければ!
そう思い、相談を打ち明けた途端、

「やっぱりあんたって英太のことしか考えてないのよね!本当に失礼しちゃう!」




不満いっぱいのうららの声が、真夜中過ぎの繁華街に響き渡ったのだった。







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