花嫁の父 1





何かの本で読んだのだろうか。
それともどこかの誰かが言っていたのだろうか。

理想的な結婚とは、付き合って2年以内に結婚すること。
結婚してから2年以内に子供を作ること。

動物学上、人の恋愛感情は4年しかもたないと言われている。
だから2年以内に結婚して2年以内に子供を作る。
そうすると、夫婦間の愛情は情に変り、夫と妻の愛情は子供に向けられるらしい。




じゃあ……同性間ではどうなのだろう……




喫煙スペースに設置されたソファに座り、はめ殺しの窓から秋とも冬とも取れるような高い青空が広がっているのが見えた。
上空の風の強さを表しているように流れる薄い雲が、冷たい風を吹かせていることを覗わせる。
なのに、窓から入り込んでくる日差しは柔らかで、自分の吐き出した白い煙がたゆたいながら、ゆっくりと天井に向かっていくのをぼんやりと目で追う。
値上がりしてからめっきりこの喫煙スペースに近寄る人数が減った。
脱落者も何人かはいるけれど、それでも以前ほどではない。
嫁も子供もいない俺や高元からすれば多少響く金額ではあるが、やめるほどに緊迫した金額でもない。
独身貴族……古い言葉だが、そんな言葉を言ってくる者もいた。


好きで独身なのではない。
この国には同性同士の婚姻が法律的に認められていないのだから仕方ない。
認められたら俺たちだって……


認められたら?

俺たちだって……?







「中村さん」

「うわっ」

考え込んでいたから足音がしていたことも、誰かが近づいていたこともわからなかった。
急に肩を叩かれた感触にびっくりしてソファから落ちそうになる。
おまけに考えていたことが恥ずかしいことだと気づいて急激に顔が熱くなった。

「え?ちょっ……大丈夫ですか?そんなにびっくりさせるようなことした覚えはないんですけど……」

「いや、ごめん。考えごとしてたから」

くすくすと笑いながら、手に持っていたカップを俺に渡しながら横に腰掛けたのはユキちゃんだった。
出されたカップを何の疑問も抱かずに受け取った。
吸いさしの煙草をぎゅっと灰皿に押し付けて消す。

「休憩にコーヒー淹れたら中村さんがいなくて。ここだって聞いたんで」

「ありがと……あれ?帰んなくても良いの?3時過ぎてるけど」

「はい。もうタイムカードも押しました。ちょっと相談っていうか……報告があって。それで、中村さんと話がしたくて」

ユキちゃんが入社して1年半と少し。
だから、次に言われた言葉を何と受止めれば良いのかわからなかった。
いや、多分俺の思考の範疇を遥かに超えたのだろう。
喫煙スペースまで、わざわざユキちゃんがコーヒーカップを持ってやってくること自体がおかしなことだったのに……

最初が最初だったのもあって、俺の中ではユキちゃんと俺は仕事の付き合い以上に親しくしていると思っていた。
池田も加わって三人。
会社の飲み会のときは常に近くの席にいたし、仕事以外でも結構仲良くしていたと思っていた。
だけど、よくよく考えれば、ユキちゃんのプライベートで知っていることと言えば、うららと一緒に住んでいることぐらいで、付き合っている人がいるとか、好きな人がいるとか……そういう話になったことが一度もない。
料理のレシピを聞いたり、うららのドジ話を聞いたりして仲良くしているような錯覚に陥っていたのかもしれない。
ついでに池田がユキちゃんと俺にだけ微妙なカムアウトをしてしまったから、そっちの話が優先され、さらに自分も同性同士で付き合っているとは言えず、隠したいような曝け出したいような気持ちを抱えながらも、自分のことでいっぱいいっぱいだったのかもしれない。
だから、ユキちゃんの気持ちや変化に気づかなかったのかもしれない。
……言い訳になるのだが。




「あのね、中村さん。……私、結婚します。うららと」








「あちっ」

「大丈夫ですかっ」

持っていたカップがするりと手から落ちそうになって、急いで掴むと中身がこぼれて指に跳ねた。
茶色い雫がポタポタと床に落ちる。
それを見て、咄嗟に鞄からティッシュを出すあたりは、さすが女の子だなぁなどと思ってしまう。
自分の手を拭く俺を他所に、ユキちゃんは床を拭いて自動販売機の横にあるゴミ箱まで捨てに行く。

「あ、ありがとう」

「いえ。スーツのズボンにはつきませんでした?シミになっちゃうから」

「あ、うん、それは、大丈夫」

「そうですか。良かった……ごめんなさい、びっくりしますよね、普通」

さっきと同じようにくすくすと笑いながら隣に腰掛けたユキちゃんの顔を、可愛いなって思うことは多々あったけど、その笑顔を綺麗だと思ったのは初めてかもしれない。
窓から入り込む日差しもあって、キラキラとした笑顔を見蕩れるようにして眺めていると、今度こそ俺の思考が停止することを言い放った。


「それと」

「ん?」

「私、お母さんになるんです」













「………………は?」

いつものように遅く帰ってきた高元の晩飯に向かいでビールを飲みながら告げると、昼間の俺と同じような反応をした。
少し焦げてしまったしょうが焼きのたまねぎを器用によけて肉だけつまんだ箸が空中で止まっている。

ああ、俺はこんな間抜けな面をしていたのか……
いや……元が違うから、もっとか。

「だから、うららとユキちゃんが結婚するんだって」


「……ああ……しかも、出来ちゃって?」

「そう、出来ちゃって」

「……失礼だと思うが……その……あいつの子なのか?」

「そうらしい」

ああ、それも俺と同じ反応だなぁと苦笑が漏れる。

「中村さん」という掛け声と目の前にひらひらと行き交うユキちゃんの手のひらに気づいて、漸く思考が動き出した俺も、最初に浮かんだ言葉は「うららの子?」だった。
カラーリングをした長い髪に、きっちりと整えられたメイク。どこで調達しているのかわからないが、派手な赤やピンクのスーツを着た見た目がまんまデカイ女みたいなうららのことだから、てっきり体の工事は完璧に済ませていると思っていた。
ユキちゃんが悪い男に捕まった上に孕まされて逃げられ、その子供の父親に……と名乗り出たのならそれなりに納得することも出来たけど、うらら自身の子供だと言われるとどうにも腑に落ちない。
だから思わず「本当にうららの子?」と随分と失礼な言葉をユキちゃんに向けてしまった。
言った後に、しまった!と思い、咄嗟に言い募ろうと横を見ると、そんな反応は予想していたという風に「もちろん」とあのとき以上に幸せそうに、花びらがほころぶ様な綺麗な笑み浮かべる。

ああ、幸せなんだな

何となく寂しさを感じながらも「おめでとう」と笑顔で言えたのは、ユキちゃんの笑顔が心から望んだことが叶い、嬉しくて仕方ないって溢れ出した気持ちを物語っていたからだと思う。


「そうか……。じゃあ何か祝いでもしないと……」

そう言って何かを考えるような仕草をしながら、高元が食事を再開する。

「うん。そうだな。何か買う?」

「式をするなら、英太も呼ばれるだろ?」

高元の言葉にそっかぁと明るく返しながらも、心の奥のどこかに、何かがドスンと置かれたような気がした。
高元は、平気なのだろうか……
さっきよけたはずのたまねぎを最後の豚肉と一緒につまんで口の中に放り込む仕草に、平気なような気がした。



「英太?」

「ん?」

「……いや」

「何だよ?あ、風呂入って来いよ。俺、片付けとくし」

「……ああ、すまない」

椅子から立ち上がって、高元がリビングから出て行き、バタンとドアが閉まる。
その途端、支えをなくしたようにテーブルに突っ伏し、はぁと深い溜息がこぼれた。

元々俺は、結婚願望が強いのかもしれない。
真由子のときもそうだったし……


高元と付き合うようになって、仕方ないって諦めて、存在を忘れようとして蓋をして何十にも封をして、固く閉ざしたものが、ゆっくりとほどけて中身を晒してしまうような……

人の愛情は4年しかもたない。
そうすると、俺と高元はちょうど半分。
――あと2年。
カウントダウンの表示が見えたような気がして、飲みかけのビールを一気に煽った。




「ぷは〜。さあ、片付け、片付け」

暗い方向に気持ちが行きかけ、自分を元気付けるようにわざと声に出して食器を持ってシンクに向かう。
蛇口を勢い良く捻って、ジャーと出てきた水のひやっとする感触を味わいながら、自分の悪い癖を押さえ込むことに専念する。

良くない癖だと思う。
ちょっとしたことがきっかけで、暗い方、暗い方へと気持ちが流れていくことは。
高元の隣にいるならば、暗い方にスポットライトを当てている暇なんてない。
そんな調子じゃ、ずっと先を走っている男の背中が遠ざかることはあっても近づくことなんてない。

果たして、追いつくことなんてあるのだろうか?
そこを疑問に思うと、何をやってもやりきれないから考えないことが一番なんだ。
今自分に出来る精一杯をすることが一番の近道なんじゃないか……

ましてや今回は喜ぶべきこと。
妹のように可愛がっていたユキちゃんが結婚するんだぞ。


そこまで考えたとき……
果たしてあの二人はすんなりと結婚することが出来るのだろうか、と不安になる。
もし、自分に娘がいるとする。
その娘が結婚をしたいと言って連れてきた人物が……うららだったら?

はっとした。
こんなことで落ち込んでいる場合じゃない。

俺なら間違いなく反対する。
うららと言う人物の内面を知っていたとしても、オカマだ。
体は男だったとしても、どっからどう見ても正真正銘のオカマなのだ。
仕事だって水商売。
サラリーマンだって先が見えない世の中で、浮き沈みの激しい水商売の男に可愛い娘を喜んでくれてやるような親なんているわけがない!


でも……
でも、ユキちゃんには幸せになって欲しい。

そうして、もちろんうららにも。


きゅっと捻って蛇口を止めると、冷たい水にさらされていた手がジンジンした。

結婚式はするのだろうか……
して欲しいな。

そう願って想像したら、どちらもウェディングドレスを着た花嫁で、ぷはっと噴出して笑ってしまった。







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