シャンプー 1



「ラグビー!?」

池田とユキちゃんが声をそろえて言った発言に、机を挟んで目の前に座る新入社員の渡辺くんは「はい」と答える間も箸を休めることなく口に運ぶ。
大皿に盛られたから揚げがあっという間に減っていく。
その勢いに気づいたユキちゃんが、俺と池田の皿にから揚げを確保してくれた。

「だから……んぐっ……食事は毎回……戦争のようで……」

話している間に食べるのではなく、食べている間に話しをするその様子を見ていると、何となく想像できなくもなかった。
身長こそ池田より低く、俺より高い。つまり、そう高い方ではないにしても体の大きさが明らかに違った。
大きさというよりも幅というか、厚みというか。
つまるところ、どちらかといえば細っこい俺や池田のような体格ではなく、ガッチリとかマッチョという表現の方がしっくりくる感じだ。
そんなガタイの奴が15人。いや、補欠を入れればそれ以上。
それが一斉に食事をするのだ。
正に、戦場のような感じなのだろう。
今日は、そんな渡辺くんの入社歓迎会なのである。

「んぐっ」

「ああ、そんなに慌てなくても、誰も取ったりしませんから」

取ったりはしない。そう、確保はしたけど……

急いで食べていて喉に詰まったらしい渡辺くんにユキちゃんが飲んでいたウーロン茶を差し出すと、半分ほどグラスに残っていたウーロン茶があっという間に消えていく。
食べるのも豪快なら飲むのも豪快。
どうりで歓迎会の話しをしていたときに「飲み放題にしてください」としきりに言っていた意味がよくわかった。

「中村さんは知ってたんですか?」

池田の問いにビールの入ったコップを口に運んでいたので、うんと頷くだけで返答をする。
一口含むと苦さと炭酸が口の中にはじける。

「課長の後輩なんだよな?」

喉の奥に通るシュワシュワとした感覚を飲み込んで、新人研修で俺も驚いたネタを言うと、また凄い勢いで食べ始めた渡辺くんも今度は声を発することなく、大根サラダをいっぱいに頬張った顔で頷くだけに留めた。

「ええっ!!!課長もラグビーしてたんですか?」

またまた揃って池田とユキちゃんが声を上げる。
その驚いた声が聞こえたのか、狭い座敷だが20人ほどいる社員の集まりのそれなりに離れた場所にいた課長が突っ込みを入れる。

「なんだ?俺がラグビーしてたっていうのはそんなに意外か?」

「意外なんてものじゃないですよ……」

池田が小さな声で反論する。
その気持ちもわからなくはない。
何となく寂しくなった額に、ベルトの上に乗る腹。
いや、額は関係ない。まったく関係ない。
しかし、ベルトの上に乗る腹は、ガッチリというよりはボヨンボヨンという形容がしっくりくる。
不景気で毎年採るのは難しくなり、二年に一度、たった一つの新入社員の椅子を勝ち取ったのは、何てことはない課長の後輩。
面接試験で試験官の一人に課長がいた。
最後の面接者だったこともあり、体と体をぶつけ合い、それでもフェアプレー精神とチームワークを重んじるラグビーというスポーツの素晴らしさを延々と30分ほど語り合ったらしい。
そこまですれば採らないわけにはいかない、のではないだろうか?

「ポジションは?」

「スクラムハーフです」

「へぇ〜」

感心したように池田が言う。
どうやら渡辺くんの胃はそこそこ満たされたようで、今度はビールの入ったグラスを一気に空ける。

「すごいところなんですか?」

空いた渡辺くんのグラスにビールを注ぎながらユキちゃんが問う。
ラグビーのルールやポジションのことを詳しく知っている女の子は少ないだろう。
俺ですら……ちょっとあやしい。
確か……ラグビーのポジションは大きく分けて2つに分かれる。
フォワード8人とバックス7人。
スクラムハーフはバックスの中で最前列に位置し、ラグビーの花形プレイヤーであるナンバーエイトのすぐ後ろのポジションになる。

「まあ、そこそこ…」

「そこそこって……重要な役割だよ。フォワードとバックスの繋ぎ役だろ?」

そんな池田の問いかけに頭上から補足が入った。

「スクラムを組んだとき、両チームの中間にボールを投げ入れて、吐き出されるボールを手で取り出す役目だから、すばしっこさと正確な判断力が必要とされる」

俺の隣にドカリと座ったのは、離れた席からグラスを片手に寄ってきた課長だった。
その言葉に「やっぱりすごいポジションなんじゃないですか!」とユキちゃんに手放しで褒められ、照れた渡辺くんがガリガリと頭を掻いた。
ラグビー談義だけで内定を貰ったわけではなさそうだ、と妙なところで安心した。

「課長はどこだったんですか?」

「左フランカー」

俺の問いかけに課長が答える。

「そこは?そこも重要なんですか?」

「スクラムを組んだとき、左後ろから押し込む役目でガッチリした体型の人が向いています」

ユキちゃんの疑問に渡辺くんが答える。
その返答に「ああ」と納得した三人を順番に見て、課長が眉間に皺を寄せる。

「なんだ?腹を見て納得するっていうのは、俺が納得しないぞ!昔はこう……もっと締まって、腹筋が割れてて……」

丸い腹の両脇を手でこそげ取るようにして必死に説明をする。
それでも3人に伝わっていないと思ったのか、

「よし、渡辺、池田、中村!ちょっと立て!スクラム組むぞ!」

そう言って、狭い座敷のそれでも空いたスペースに移動して中腰になり、手を叩いて「さあ、来い!」という課長の声に断れる人は誰もいなかった。







「中村さん、大丈夫ですか?」

歓迎会もそこそこに盛り上がり、俺とユキちゃん、池田以外のメンバーは二次会に行ったらしい。
駅までの道を三人で歩く。
酔った頬に春風が気持ち良い……はずだった。

「……大丈夫じゃないような気がする」

「やっぱり。だって、どんどん腫れてきてませんか?」

心配そうに問いかけてくるユキちゃんの声に、「何てことないよ」と答えられない自分が悔しい。
歩きながら池田がそっと左手首を覗き込んで、自分でもちょっとやばいかな?と思っているところを後押しされる。
熱があるとわかっていながらも、体温計で図って実際の体温を知ると体が急にだるくなるのと同じような感じ。

「病院に行ったほうが良くないですか?」

「いや……でも……」

「ですよね〜」

ユキちゃんの発言はもっともだった。
だけど、言いよどむ俺の心を池田が察してくれる。

「酔っ払って、居酒屋でスクラム組んで、靴下だったから畳で滑って手をつきそこねた……なんて恥ずかしいですよね〜、…あたっ」

「うるせーよ!」

池田の頭を右手ではたく。
誰も断れなかったあのスクラム。
酔った勢いもあったのか、俺たち四人だけじゃなく、先輩や他の部署の男性陣まで集まって、それはそれは盛況なスクラム大会になったのだ。
真ん中辺りにいた俺は、前から後ろからぎゅうぎゅうと押される。
苦しくて、踏ん張ろうにも靴下を履いているからか畳の上をつるつると滑る。
即席で作ったおしぼりのボールが足の下に来たとき、片足を上げて後ろに蹴ろうとした瞬間、踏ん張る力が一気に弱まったのか、つるん!と滑って体が前に倒れる。
咄嗟に出しかけた左手が、中途半端な形で畳についた。
そこに、後ろにいたメンバーがどかどかとなだれ込む。
そして、この腫れた手首が出来上がった、と言うわけだ。

金曜日の夜だからか駅前には平日よりも多くの人がいた。

「じゃあ、中村さん、本当に痛くなったら恥ずかしがらずに病院に行ってくださいね!」

念を押すようにユキちゃんに言われ、苦笑しながらその背中を見送った。
池田と俺は同じ沿線だから、と改札に行きかけると、

「じゃあ、中村さん、本当に痛くなったら恥ずかしがらずに病院に行ってくださいね!」

さっきのユキちゃんの真似をして背中に声がかかる。

「え?池田……ああ」

何言ってんだ!お前もこっちだろ?と思って、振り返ってすぐ、そういうことか…と思い当たる。

「はい、そういうことです。じゃあ、月曜日に」

俺の考えていることがわかったのか、そう言ってにかっと笑う。

「おお、じゃあな」

佐々木さんという人のところに行くのだろう。
察することが出来なくて、ちょっと恥ずかしい気持ちになる。
それを隠すようにして背中を向けて改札へと歩き出す。
会社に鞄を置くスタイルにしていて良かったと今日ほど思ったことはなかった。
一人になると張っていた気が一気に緩んだのか、ズキズキと痛みが増してくる。

やっぱり、病院に行ったほうが良いような気がする……
保険証、あったっけ……

財布の中を探そうとして、それをやめる。その代わりとして痛む手首にそっと右手をあててみる。
アルコールではない熱に、急に心細くなる。
その心細さに、一瞬迷って上着の内ポケットから携帯を取り出す。

帰ったらすぐに会えるとわかっているのに、あの落ち着いた響きの良い低音の声を今すぐにでも聞きたかった。

その欲望のままに電話を掛ける。

数回のコール音の後、「もしもし」と言った瞬間『どうした?』と言われたのは初めてだった。
心細さが声に滲み出していたのかもしれない。情けない……

大の大人の男がなんとも情けない。
そう思ったけれど、聞き返してくれる高元の存在の有り難さも実感した。
苦笑交じりに手首のことを告げると、迎えに行くからと言われてホームに向けていた足は駅前に逆戻り。
高元が来るまでの間、喫煙所でタバコを吸おうとして、いつもの通りに左手でライターを握ると違和感がある。
痛いのも痛いけれど、力が入らない。
仕方なしに右手で火をつけた。
春になりきらない冷たい風が、吐き出す白い煙をネオンの向こうの暗い夜空に吹き上げていた。







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