赤鼻の……




風呂から上がり、英太の作ってくれていた夕飯を食べ、まったりとした時間を過ごして、
ベッドに二人で潜り込み、眠りに入ろうとした瞬間。

「あの、さ」

「ん?」

掛けられた声に一瞬意識が浮上する。

「……ごめん」

瞑っていた目を開くと、声の感じから想像したとおり、英太は背中を向けていた。

「何が?」

空気が何となく重たいものに変化したような気がして、腰に手を回して抱き寄せた。
同じシャンプーの香りが立つ首筋に鼻を埋める。

「転勤の話……池田に聞いた」

くぐもって聞こえるのは、体を通して発する声が響くからだろう。

「英太のせいじゃないよ」

「でもっ」

振り返ろうとした英太が身を捻ったけれど、
俺が後ろからがっしりと捕まえているからそれをすることは出来なかった。

「英太のせいじゃない。俺がそうしたいと思ったから……」

もう一度発した声は、英太に聞こえていただろうか?
ここ最近溜まった疲れからか、それとも久しぶりに感じた腕の中の存在に対する安堵からか、
そこで意識はぷっつりと途絶えていた。




小さなすれ違いは、表面上すべるように流れていくからわからない。

クリスマスイブを前日に控えた休日の午後。
身を切るような冷たい風が吹きぬけるのに、街の中はカップルや家族連れが多く、
出かけた先々の店ではクリスマスソングとサンタクロースで溢れていた。
積み上げられたお菓子の入った長靴は、昔は赤と相場が決まっていたのに、
緑でシックなものになったのは子供達の好みが変わったのか、
それとも買い与える大人の好みになってしまったのか。

「ケーキ買う?」

「欲しければ」

「うーん」

ショーウインドウに並べられている色とりどりのケーキは、クリスマスを意識した可愛らしいものだった。
少し遠目に立ち止まって、しばし英太が考える。
普通の男女のカップルなら、どこか雰囲気の良い店を予約して……なんてこともあるだろう。
過剰に反応してしまっているのかもしれない。
そう思う人ばかりではないだろうが、それでも嫌な思いをすることを避けたいと思うのは、
当然のような気もした。
だから、家で済ませてしまおう。と、買い物に出たのだ。

「やっぱいい」

そう言って歩みを速める英太の背中にならって、同じように歩き始める。
悩んだということは、食べたいのだろう。
思わず頬がほころんで、隣に並べば、

「何?」

笑われていると思ったのか、下から睨みあげるようにして見上げてくる。

「別に」

「ふーん?何か笑われてる気がする……」

人が多いから並んで歩くこともままならない。
間を縫うようにして店の外に出れば、熱を奪うような風が纏っていた空気を一瞬にして取り払った。
思わず首をすくめ、コートの前を閉め、ポケットに手を入れる。

「コーヒーでも飲んで帰るか?」

「うん」

外に出るといつも寄っているカフェに立ち寄る。
既に馴染みとなったマスターが、にっこりと微笑んで迎えてくれ、奥の席に通される。
暖かいのは暖房が効いているからだけではない。
『迎えてくれる』というマスターの人柄からも滲み出ているようだった。
形だけのようにメニューを渡されるが、ここのメニューが昼間はコーヒーとオレンジジュースしかない。

「オリジナル 2つ」

コートを脱ぎながら英太が言い、向かい合わせに座る。

「あ!あと新聞も」

付け加えられた言葉に、英太を見ると、

「今日、読んでないだろ?」

「……ああ」

疲れていたのか、今朝……というよりは、昼に近い時間になって、やっとベッドを抜け出した。
その後、すぐに家を出たから、新聞に目を通していなかった。

「かしこまりました」

にっこりと笑って、席を後にするウエイターは、多分俺たちの関係に気づいている。
英太がそれを知っているかどうかはわからないが。
最近の英太は、俺のフォローに回っているような気がしてならない。
夕飯しかり、さっきの新聞しかり……
正直助かってはいるが、それを当然に受け止めてはいけないような気がした。
20代の後半と言えば、これから会社の中心となり、背負っていくものが増えていくはずである。
30代の自分がそうであるように。
じゃあ何故?

「英太」

「何?」

「失礼致します」

言葉を続けようとした矢先、先ほどのウエイターが香りの良いコーヒーと新聞を持ってきてくれ、
コトリと音を立てて目の前に置かれ、脇に挟んでいた新聞を目の前に差し出される。
「…ありがとう」

受け取ってしまえば、タイミングを逃したことを知る。
それにここでする話でもない。
帰ってからゆっくり話せば良いか……と思い、芳しいコーヒーを一口喉に流し込んだ。



店を出たときにはすっかり日が暮れていた。
結局何も買っていないことに気づき、晩飯の調達をしようと、近くのスーパーに向かう途中、
タバコが切れていたことを思い出し、コンビニに寄る。

「あ、俺、欲しい雑誌があったんだ」

そう言って本のコーナーに向かう英太と別れ、タバコを買うためにレジに向かおうとして、足が止まった。

見覚えのある女性は、一年ほど前に見たときよりも髪が短くなっているものの、
何にも変わっていないようだった。
会計を済ませたその女性が、出口に向かおうとしてこちらを向き、俺に気づいたのか歩みを止め、
一瞬びっくりしたような表情を浮かべるも、思い出したのかゆっくりと笑みに変えていく。

「英太の……」

「ええ」

「こんにちは、かな?それとも、お久しぶり、かな?……あの、英太とは……?」

「あそこに……」

「あ、本当だ」
そう言って笑みを深くする。

「元気そうですね」

「お陰さまで……」

「英太と話して来ても良いですか?」

「もちろん」

「じゃあ、お言葉に甘えて……」

そう言って、立ち読みをしている英太の傍らにたち、声をかける。
その声に英太がびっくりした声をあげ、一瞬こちらに目を向けた。
少し話せ。そう含んだ意味で、頷くと、真由子さんに優しい笑みを返した。

すっかり忘れていた存在であったが、彼女がいたから、今の俺たちがある。
英太にとっては悲しい出来事だったであろうあの出来事がなければ、
俺たちは出会ってすらいない。
彼女が浮気をせず、英太を迎え入れていたならば、きっとあの時出会うことなく、俺は駅へと向かっていた。
英太がほんの数分、飛び出すのが早かったり、遅かったりすれば、やはり俺たちは出会っていない。
小さな奇跡のタイミングで、あの日歩みを止め、空を見上げたのだ。
そう思うと、偶然であることがすべて必然だと思えてくる。

「タバコ、買ったのか?」

そんなことを考えながら店内をぐるりとゆっくり周っていると、話終えた英太に声を掛けられた。

「ああ」

「じゃあ、行こう」

小さな奇跡の積み重なりが、今の俺たちの……


外に出ると、更に冷え込んだ風が吹き抜けていた。
スーパーへと足を向けると、

「結婚、するんだって」

その声は寒さでなのか少し震えていた。

「そうか」

「うん、来年するって……」

少し心配になって英太を見れば、白い息を吐きながら、笑んでいる。

「良かったな」

「うん」

吹き付ける冷たさで頬と鼻の頭を赤く染めた満面の笑みで頷かれ、
英太の中で彼女とのことがきちんと終わりを告げていたことを教えられる。
特に気にもしていなかったのは、自分の思いでこの一年がいっぱいいっぱいだったのだろう。

「なぁ、英太」

「ん?」

キラキラと光っているのは、昼間は枝だけの木が、金色の花を纏っているからだ。
凍えそうな冷たさの中、歩く足元を茶色く枯れた葉っぱが風に吹かれて通り過ぎる。

「お前は、好きなように生きればいい……」

「え?」

「俺は、好きなように生きている。仕事も、プライベートも」

「だから…何?」

「転勤の話。英太のせいだと思っているなら、それは間違いだ。
俺がここに残りたいと思った。
確かに英太がいなければ思わなかったことだと思うが、いるから残りたいと思った。
だから、お前も、自分がしたいようにすれば良い。
もし何かがあったら、その時、話し合えば良いんだ」

「……うん」

「言葉が足りず、辛い思いをさせてしまった。すまない」

「いや、それは違う!俺が勝手に……」

歩みを止めた英太にならって、俺も止めて振り返る。
うららが話し合えと言ったのは、こういう小さなすれ違いすらも埋めるためだったのだ。
やきもきとするくらいなら、お互いが言葉を惜しんではいけない。
言わなくてもわかるだろう……そう思ってしまうのは男だからだろうか?
気持ちは伝えなくても、伝わるときもあれば、伝わらないときもある。
英太がフォローに回ってしまったのは、俺の言葉が足りなかったからだ。
負い目を感じ、それならせめて俺のフォローを……そう思うことだってあるだろう。
自分だってそう思うかもしれない。

通りを行きかう人々が不思議そうに、邪魔だと言わんばかりに通り過ぎる。
それに気づいて、歩き出すと、後ろから英太もついてくる足音が聞こえた。
トナカイの曲が聞こえる薬局を通り過ぎ、人通りが少しだけ少なくなったとき、

「高元」

後ろから掛けられた声に、振り返る。
上を見上げる英太にならって、俺も見上げる。

「あ……」

ビルとビルの暗い空から、白いものがちらついていた。

「初雪か……」

「初雪を一緒に見たら」

「結ばれる」

見上げていた目を隣に向ければ、英太の目と視線があった。
去年とは違う。
鼻は赤いけれど、泣きそうな顔ではなくて、笑顔だった。

「男同士でも、あり得るんだな」

そう言って歩き始めた英太について歩き出す。

「今日は鍋にしよう、寒い」

「ああ……あと、ケーキも買おう」

「え!?」

「食べたいんだろ?」

「……うん」

赤鼻のトナカイは、サンタにとってかけがえのない存在だった。
じゃあ、赤鼻の英太は……











俺にとって、かけがえのない存在。





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