それぞれの思い 3





取引先との接待も終わり、いつものようにタクシーが角を曲がるのを待って頭を上げた瞬間。
スーツの内ポケットに入れていた携帯がフルフルと震えだした。
取り出してディスプレイに表示された名前を見て、慌てて通話ボタンを押した。

「英太?」

『もしもし?高元?』

聞こえてきた声は、英太の声には似ても似つかない濁声……

『もしもし?高元でしょー?あたしよ、う・ら・ら』

「……何でお前が英太の携帯からかけて来るんだ?」

『さあ?ことの成り行き?』

「はぁ?手を出してないだろうな?!」

『うふふ。どうかしら……英太の寝顔ってかわいいのねー。食べちゃいたい♪』

「今、どこだっ!」

『どこでしょう?』

「……おい」

『わーかったわよ。そんなに恐い声出さないで。店よ!店!』

「店?」

『そー、すぐ来て』

それだけ言うと携帯はプツリと切られた。
車が来ていないかを確認して、急いで道路を渡る。
口ではああ言っていても、うららが英太に手を出すようには思えない。
それなのに足早になってしまうのは、どうしてだろう?
そんなことを思っているうちに店のドアの前に着いた。
重いドアを引いて中に入る。

「いらっしゃい」

カウンターのところのみに灯された明りでも、十分に見える迎えたうららの格好に一瞬言葉を失った。

「何?そんなにかわいい?」

「いや……気持ち悪い」

「はっ?失礼ねぇ、お客さんには好評よ!」

「どこが?」

「綺麗な足がっ!」

言ってカウンターの横でポーズを取る。
赤い帽子に赤い服、赤いスカート……世の中で言うところの「ミニスカサンタ&網タイツ」
小さくて華奢な女の子ならまだしも、でかいオカマがしたところで、気持ち悪い以外の何者でもない。

「英太は?」

「んっもう!せっかくうららちゃんがポーズまで取ってあげたって言うのにっ!」

「英太はっ!」

「英太、英太って……、英太なら奥のソファで潰れてるわよ」

「何でここに?」

奥に向かいながら尋ねる。

「今日、高木商事は忘年会だったのよ。
その三次会でユキがここに連れて来たんだけど、そのときには立派な酔っ払いになってたわよ」

覗き込んだソファの上で器用に小さく丸まった英太の眠り込んでいる姿を見つけた。
近寄ってそっと頭に触れると、いつも以上に熱かった。

「何でこんなに飲んだんだ?」

「……ねぇ、ちょっと飲まない?」

「いや…」

「どうせ明日休みなんでしょ?ちょっとで良いから……」

意味を持った言い方が気になった。
触れていた手をそっと離して、カウンターに腰掛ける。
奥に移動したうららが、カウンターの上に琥珀色の液体の入ったグラスと灰皿をそっと差し出した。

「何か知ってるのか?」

「ちょっと、ね」

内ポケットからタバコを取り出せば、向かいからにょきっと手が出てきてライターの火が近づけられる。

「いい、自分で点ける」

手をかざして断れば、薄い笑いを浮かべて引っ込められた。

「癖なのよ。職業病だから」

カウンターの上だけに灯された明りがうららの白い顔を浮かび上がらせる。
翳って見えるのは照明のせいだけだ、と言い聞かせ、銜えたタバコに持っていたライターで火を点ける。
吸い込んで吐き出した煙がゆらゆらと灯かりの方へと昇っていく。

「英太が眠りに着く前にね」

「ああ」

「悔しいって言ったのよ」

「悔しい……」

「そう。高元にとって、俺は荷物なのかもしれないって」

もう一度大きく吸い込んだ煙の味が苦くなったような気がした。

「転勤、断ったんでしょ?」

「ああ」

「その理由を池田くんから聞いたらしくって……」

どこまで佐藤が池田くんに話したのか……
いや、喜ぶばかりだと思っていた自分の考えが浅はかだったのかもしれない。
英太は男だ。しかも28歳の大人の男。
その男が栄転になるかもしれない転勤を断った理由が自分にあるかもしれないと知ったとき、どう思うのか……
逆の立場なら、俺だって良い気はしない。
英太に栄転の話が出たとしたら、俺は自分の気持ちを押さえ込んででも背中を押すだろう。

「……そうか」

もう一度大きく吸って、短くなったタバコを灰皿に押し付け、琥珀色の液体を舐めた。

「でもね…」

「ん?」

「でもね。そういう感情もあるけど、ホッとしてどこかで喜んでる自分もいるって。
俺はひどい奴なのかもしれない……って」

「そうか」

「そう言って眠っちゃったのよ」

聞いた言葉で気持ちが楽になっていく。

「二人でゆっくり話し合いなさい」

「ああ、そうする」

このオカマにはいつも助けられてばかりのような気がする。

「お前はないのか?悩み事とか…」

「何よ、急に」

「いや、いつも助けられてばかりだな、と」

「ふふ……役に立つでしょ?うららちゃんは」

「ああ」

グラスに残っていた液体を一気に喉の奥に流し込む。
氷で薄まったアルコールがそれでも通り過ぎる喉の奥を少し焼き付けた。

「帰る?」

「ああ、うまかった。ありがとう」

「いいえ。タクシー呼ぶわ」

そう言って、レジの横に向かい、受話器を取る仕草を見届けてから奥のソファに近づき、寝ている英太の肩を揺する。

「起きろ」

「う……うん」

「英太?」

揺すってみれば薄く目を開けはするけれど、またすぐに眠りの世界に引き込まれていく。
諦めて背負うことにしようとすると、電話をかけ終わったのかうららが近寄って来た。

「背負う?」

「ああ」

「すぐ来るって。荷物持つわ」

何度も担ぎ上げたことのある体なのに、いつもは起きているからか、今日はやけに重く感じた。
俺のカバンを持ち、ドアを開けてくれるうららに促されて外に出れば、すでにタクシーは店の前にいた。
運転手がドアを大きく開けてくれ、ぶつけないように慎重に英太を座席に座らせる。
その隣にそっと身を滑り込ませ、ドアを閉めてから窓を開けた。

「ありがとう」

「どう致しまして。ねぇ、おんぶって良いわね」

「は?」

「今度あたしをおんぶしてよっ!」

「俺よりデカイ奴をおんぶなんか出来るかっ!」

「ええっ!高元なら出来そうなのに」

「運転手さん、出して」

「もうっ!お礼はおんぶよっ!いいわねっ!」

叫ぶオカマの声が走り出したタクシーの後ろから木霊する。

「イケメンは大変ですね」

バックミラー越しに掛けられる言葉は、すでに恒例になりつつある言葉。
苦笑いが浮かんでくる。

「そんなんじゃないですよ」

言って、英太の頭を肩に持たせかける。
落ちないようにそっと英太の肩を支え、スースーと立てる酒臭い寝息を近くに感じた。
キラキラと光るイルミネーション。
一年前は離した頭を運転手にばれないように、抱え込んでそっと額にキスを落とした。






日が暮れるのが早くなった。
17時も過ぎれば、日は西に傾き始め、変わり行く空は昼から夜へのグラデーションを作り出す。
高いビルに挟まれた街は、特に早く夜が訪れるような気がする。
それが気忙しい年末に更に拍車をかけ、行き交う人々の足が自然と速まる。
落ちた葉っぱを踏みつけて、カサリと乾いた音がする。
大通りを曲がり、一つ中の道に入れば、喧騒は驚くほど遠くなった。
等間隔に灯された街灯を抜き去り、慣れた道を歩く。
途中小さな公園を通り過ぎ、そびえるようにたったマンションを見上げる。
ベランダから漏れた明りが灯っていることにホッとして、緩んだ頬のまま、更に足を速めた。



「ただいま」

「おかえり」

奥のリビングから聞こえてきたくぐもった英太の声。
リビングに向かい、ドアを開けると、既に夕飯を済ませた英太がソファに座ってテレビを見ていた。
振り返ってもう一度掛けられたおかえりの声。
一緒に暮らしだしてこれほど「おかえり」と言われる声がホッとするものだとは思わなかった。

「飯、食ってないんだろ?」

「ああ」

「先に風呂?飯?」

新婚さんか?そこに俺?は入ってないのか?と思ったところで頬が緩む。

「何?」

「いや、風呂にする」

特に何かを話し合ったわけではない。
うららにはああ言われたけれど、話すつもりはなかった。
英太に後ろめたい気持ちを持たせないくらいに、俺が大きくなれば良い。
それだけのこと。

「じゃあ、俺、何か作るわ」

その声を背中で聞きながら、リビングを後にした。




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