それぞれの思い 1





「明日から遅くなる」

いつの間にか眠りについていた自分の肩をそっと揺さぶる心地よさで、
眠りの世界から意識を呼び戻したのは高元だった。
起き上がって、見たテーブルの上には自分の作ろうと思っていた料理達。
眠りに着く前の自分の行動を思い出し、
変に瞼が重いのに気づいて慌てて洗面所に駆け込み顔を洗う。
戻って来てごめんと謝ると、何が?と軽く返してくれた高元に感謝をしつつ、席に着いて数分後。
向かいに座った高元からの言葉に、箸をつけようとしていたナスがつるんと滑って、
皿に落ち、それをもう一度拾い上げた。

「あ…うん」

ここで、佐藤部長が戻ってきたんだろ?
引継ぎとかで忙しくなるんだろ?
やっぱり転勤とかすんの?

そう浮かんだ言葉を素直に口に出して聞けばいい。
なのに、それが出来ない。
聞いてしまって転勤するから…なんて言葉が出てきたら……
そう思うと喉の奥につっかえ棒を置かれたように何度となく開きかけた口は、
誤魔化すようにナスと一緒に胃の中に流し込む。
次のナスを口に入れる頃には、おかしなタイミングになってしまい、
聞くに聞けない時間だけが過ぎてしまっていた。
そんな様子を向かいに座る高元が見守っているとも気づくことが出来ないままに。




忙しかったのは救いだった。
切れば鳴る電話に追われて対応をしている間。
ちょっとトラブルが…そう言ってくるクライアントがいる間。
大きなトラブルがあればあるだけ、嬉々とする思考は酷く後ろ向きだとわかっていても、
それが救いだと思う自分がいた。

だけど、ずっと永遠に鳴り続ける電話も、トラブルばかりが続く会社もあるわけがない。
落ち着いてみれば持って行かれそうになる思考に、重いため息が漏れる。
そこでふと隣を見れば、メーカーから貰ったパンフレットを手に、
新しく出た製品と今までの製品の違いがわからないと頭を抱えうんうんと唸る池田の姿。
気分転換にタバコを吸うから付き合えと、
エレベータホールの奥にある自動販売機が数台並ぶ休憩スペースに連れ出した。
朝から天気は良くないと思っていた。
自動販売機の奥に嵌め込まれた窓から見える空は、
今にも泣き出しそうな雲を抱えたどんよりと暗い空。
缶コーヒーを買い、備え付けられたソファに身を預けながら、ポケットに手を入れ、取り出したタバコを銜えて火を点ける。
大きく吸い込んで吐き出す煙。苦い煙が昨夜の自分の気持ちを思い出す。
大きな体を折り曲げて、自動販売機から缶コーヒーを取り出す池田の動向を何とはなしにぼーっと見つめる。

「中村さん?」

池田の声にはっと我に返る。

「調子、悪いんですか?」

「いや……」

ふと、そういえば……と思っていたことを聞くには良いチャンスなんじゃないのか?と思った。
がやがやとフロアの声は聞こえるが、きょろきょろと辺りを見る限り近くに人はいなかった。
池田が向かいのソファに腰掛けるのを見届けてから小さな声で問いかける。

「あのさ……」

「はい」

「池田の恋人って……佐々木さんって人?」

「え!?」

「や、ほら、事故した時、俺に電話してほしいって言っただろ?」

「…は、い」

「友達って感じでもなかったし…、
あの時の佐々木さんの慌てっぷりっていうの?そういうのが何となく…」

そこまで言って、池田を見る。
ものすごく動揺している人と言うのは、こういう行動をするのだろうか?
缶コーヒーをぎゅっと握り締めたまま、表情が百面相のようにくるくると変わる。
目は右上と左上の間を行きかい、唇をかみ締めて唸るようにう〜んと言ったと思えば、
「いやっ」とか「でもっ」とか小さく自分に反論し、
心の葛藤をそのまま表現する池田を見ていると、思わず笑いがこみ上げてきた。
何とか抑えようと努力はするが、見れば見るほど挙動不審の男がおかしい。
視界から外して小さく肩を揺すっていたけれど、
クスクスと漏れる笑いに気づいた池田がすかさず声を上げた。

「何で、笑うんですかっ!」

「だって…」

「だって?」

「お前、それじゃそうですって言ってるようなものだろ?」

「えぇっ!?」

吸わずに灰になっていくタバコを、ソファの間に置かれた灰皿に押し付けて消し、
吸殻を真ん中の穴に放り込む。
しばらくしてから池田の声が小さく響いた。

「誰にも……」

慌てふためいて、観念するだろうと予想していた俺の耳に入ってきた声は、予想に反して低く、
灰皿から上げた視線には、更に予想を反した真剣な池田の顔がそこにあった。

「誰にも、言わないで下さい」

思いつめたように言われた言葉にからかってしまった自分の気持ちに重いものを置かれる。

……男同士

自分がそれを認めるということは、相手もそうであると教えることになる。
自分だけではなく、相手までもを巻き込む状況……
テレビや小説の中なら認められるものだとしても、世間はまだまだ寛容ではない。
その怖さを……認める怖さを俺は知っている。
いや、怖くて踏み出せない、踏み出そうとしない自分を何度となく見過ごしてきた。
なのに、それを池田にさせる自分が酷く卑怯に思えてくる。

「……誰にも言わないよ」

言える訳がない

続けて出そうになる言葉を、昨夜のナスと同様に飲み込む。

「気持ち悪いって思うなら……それでも良いです。
それで諦めることが出来るくらいなら、とっくに諦めてますから……」

いつになく硬い後輩の声。

そうだよな、と思う。
諦められるくらいなら、自分だってとっくに諦めている。

「……そんなこと思わないよ。誰にも言わない。安心しろ」

立ち上がりながら掛けた声に池田がホッとする。

「あ!お前、今晩暇か?」

「あ…はい」

「晩飯、付き合え」

「おごりですか?」

すかさず聞き返した池田の声に、さっきまでの硬さは感じられなかった。

「割り勘に決まってるだろ」

それに負けぬように、陽気に返す。
笑いあいながらフロアに戻る途中、嵌め込まれた窓から見えた空には一筋の光。

高元を諦める……
もし高元が転勤して離れてしまったとき、それが自分に出来るだろうか?


『それで諦めることが出来るくらいなら、とっくに諦めてますから……』



普段どこか抜けている池田から、教わるということが悔しかったけれど、それが一筋の光のように思えた。
離れてしまったとしても……自分はきっと諦められない。



きっと、諦められないから……





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