勝利の笑み





正直助かった。
うちの会社でも大きな金額を動かす取引先の担当が替わるというので、挨拶も兼ねて接待に繰り出された。
英太と暮らしだして、断れるところはなるべく断るようにしていたけれど、今日のところは持ちつ持たれつの関係にあるから断ることが出来ず、金曜日だというのに、まっすぐ帰る事を許されなかった。
日付が変わるだろうか…そう思っていたところで、取引先の携帯が鳴り出した。
トラブルで…酷く恐縮する相手を他所に、助かったと思う自分がいた。
それは大変、どうぞどうぞお気になさらず…と諸手を振って送り出し、取引先を乗せたタクシーが角を曲がるまで見送った。

と同時に、差し向かいにある店のドアが開き、背の高いピンクのスーツのオカマが出てくる。
「またね〜ありがとう〜」
酒で焼けた独特の声を出し、客を見送る一部始終を見ていると、

「あっら〜高元さん!英太、元気?」

と通りの向こうから問いかけてくる。勘弁してくれ…
取引先も知ってる奴もいないから良いようなものの、わかっててやってることだとは言っても気分が良いものでもない。

「ああ、元気だ」

絶対聞こえないだろうと思って言ったのに、聞こえていたようだ。

「そう。あ!あれ、試したの?」

「何?」

もう聞きづらいとか言って、近寄って来る気配がする。
通りを見ると、空車の赤いランプが見えたから、急いで手を上げる。

ああ!待ちなさいよ!と声を上げるオカマを無視して、止まったタクシーに飛び乗る。

「どちらまで?」

訪ねてくるタクシーの運転手に自宅の住所を伝えると

「男前は大変ですね…」

「そんなんじゃないですよ」

苦笑交じりにそう答えると、タクシーはゆっくりと走り出した。
それを追いかけるように、既に女性ではない怒声が聞こえた。
遠ざかる声を聞きながら、早く帰れて良かったと安堵した。





タクシーを降り、エレベータに乗って、辿りついた玄関を開けた瞬間、
体に飛びついてきたものを反射的に突き飛ばした。

ドンと音がしそうな勢いでしりもちをついたのが英太だと知って、慌てて手を伸ばす。

「大丈夫か!」

「…いたい…」

気遣いながらも、立ち上がらせようとした俺の手を避け、英太の伸ばした両腕が、ジャケットの襟を掴んだから、
アルコールの回った足では踏ん張ることが出来ず、折り重なるようにして英太の上に倒れこんだ。

「何をして…」

隙間にできた廊下の床に腕を伸ばして起き上がろうとした俺の首にしがみつく。
喉元に、柔らかい茶色の髪が押し付けられる感触がしたけれど、なんとか廊下に膝立ちになった。

「英太?」

問いかけに答える声はなく、ただただ、しがみついてくる。
可愛い。
だけど…この行動が不可解だ…

「英太?」

もう一度問いかけると、やっと色素の薄い頭が離れる。

「どうした?」

俯いた顔をゆっくり持ち上げた。
少し長い前髪の間から見えた瞳がいつも以上に潤んでいる。

「何か…あったのか?」

フルフルと首を左右に振る。

「じゃあ、どうして…」

言葉と同時に、英太の顎を捉えて、しっかりと上を向かせる。
合った視線はうるうると潤み下から見上げるかたちとなり、頬は心なしかピンク色。
少しだけ空いた唇は朱を帯び、少しだけ荒い息が漏れる。
そのままゆっくりと目を閉じ、顔を近づけてくる。
誘われるようにしてつけた唇は、燃える様に熱かった。

合わせた唇から、早急に入って来た舌に、戸惑いを覚える。
仕掛けることは自分の方が多いから忘れていたけれど、英太だって男だ。
欲しいときは、欲しいのだろう…と好きなようにさせていると、意図を持った舌の動きをしてくる。

いつもは英太の顎を伝う唾液が、俺の顎を伝いだし、
漸く唇が離れたと思ったら、英太の熱い舌がべろりと俺の顎を舐めた。

おかしい…

更に口付けをしようとする頭を抑える。

「ま、待て!英太…」

「いやだ!待てない!」

そう言って、ネクタイを掴まれる。

絶対におかしい!

「おま、ん!おか、…ぅうん、しいって!」

話している間ですら、キスをする。らちがあかないと体ごとぎゅっと抱きしめた。

諦めたのか、コテンと肩に乗った頭が、汗で湿っている。熱い吐息が首筋を這う。
熱でもあるのだろうか?

思ったところで、下半身に当たるそれに気づく…

「英太!?」

「何?」

いつもより低い返答に、苛立っていることを知る。

「いや…これって…」

フル稼働で頭の中を動かせば、思い当たることが一つだけある。

「飲んだ?」

問いかけに答える声は、ない。

「飲んだのか?」

いつもより低い声で問いかければ、肩に乗っかっていた頭が、小さくコクンと頷いた。

行き当たった答えに、大きな溜息が漏れる。
クローゼットの奥の奥の奥、掃除機の後ろにねじ込むように入れた袋。
その中に確かにそれは入っていた。
捨ててしまえなかったのは、興味があったからだ。
だけど、こんなことになるのなら、捨ててしまえば良かった。
いや、元々あのオカマが寄こさなければ良かったのだ。
そんな事を思ったところで状況が変わるわけではないけれど。

この状況を脱するためには、俺の知る限り方法は一つしかない…

「やっかいだな…」

小さく漏れた声は肩で息をする英太には聞こえていないようだった。
それ自体を予定に入れていなかったか、と言われれば嘘になるけれど、
それでもほんの少しだけ、疲れが増したような気がした。




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