引越し祝い




怒られることが苦手だから、怒られないように生きてきた。
だから、嫌なのだ…

そう言った高元は、子供のようだった。

だけど、怒られないようにしていても、怒られている俺からすれば、
怒られないようにすることがどれだけ大変かを知っている。
言うは易し、行うは難し…。
高元の背中が、ずーんと遠のいたような気がした…



梅雨入りを間近に控えた土曜の昼過ぎ。
出勤前なのか、綺麗に着飾った女性のつけた香水が、密度を増した風にのり、濃く香った。
いつもはほんの少し前を歩く右隣の高元が、今日はほんの少し後ろを歩く。
気が乗らないのだ。

夏の商戦に向けて忙しかったのは事実だけれど、うららさんのところに引越し祝いを二人で取りにいく。
たったそれだけの事に、1ヵ月以上もかかったのは、高元が渋ったからだ。

二人の中で暗黙の了解的に口を閉ざしたあの日の事。
「そんな男、別れてしまいなさい!」と携帯から漏れた言葉を高元は聞いていた。
だから、きっと怒られる。
そう思っているのだろう。

30を越した男の発言にしては、情けないことこの上ないけれど、
普段完璧なまでに「できる男」を見せられている俺からすれば、
そんな高元も見てみたい…
好奇心の方が勝っていた。

店に近づくにつれ、次第に足が遅くなっていた高元だったが、
普段接待でよく使っている店が近づくと、自然と足が速くなる。
お気に入りの子でもいるのではないのか?
その子と偶然にでも出会わないだろうかと期待しているのではないか?
不信が首を持ち上げだした頃、店のある交差点についた。

「そこ」

指を差した店はうららさんのお店。
交差点の角にある店はまだ開店前だからか、ひっそりとしていた。

「やっぱり…」

聞こえた声にびっくりして右隣を見た。

「不思議か?」

頷くと顔をほころばせる。

「ここには…世話になったんだ」

どういうことだろう?不思議に思いながらも、さっきまでとは明らかに違い、
いつも通り少し先を歩き出し、いきなり店のドアを開けた。
重厚な造りのドアの向こう、ひんやりとした空気が体を覆う。

「こんにちは」

カウンターの明かりだけがつけられ、後は真っ暗な店内に、高元の声が響く。
奥から、うららさんの「は〜い」という声が聞こえた。

「すみません、まだ、開店前で…」

綺麗に着飾り、髪も化粧もきちんとセットされたうららさんがカウンターの奥から顔を出して、
びっくりして動きを止める。

「あら!どーしたの?!久しぶりじゃない!思い出したの?」

明らかに高元を知っているといった感じの言葉を出したうららさんが、高元の後ろにいた俺を見る。

「こんにちは」

とりあえず、挨拶をしてみると、

「あら、英太、いらっしゃ、い…え?ちょっと待って!何で?英太と?イケメンが?」

指を差しながら交互に俺と高元を見やる。

「久しぶり。あの時はどうも…それから…あの時も…」

子供のように怒られるのが嫌だと言っていた人物が発する切れの悪い言葉を聞いてもなお、
うららさんはびっくりしたままだった。

「と、とりあえず、座って。あぁ、びっくりしたわ〜。ビールで良い?」

そう言って、カウンターの奥へと消えていく。

「何で知ってるんだよ?」

背の高い椅子に腰掛けながら聞くと、

「だから、世話になったんだ」

「何の?」

「まぁ…良いじゃないか」

「何が?何で?」

「お前が気にするようなことじゃないよ」

はっきりと言わないことに納得がいかない。
なおも聞き出そうと食い下がろうとしたとき、

「はい」

奥から出てきたうららさんが二人の前にビールを置く。
そして、

「はい。引越し祝い!おめでとう!」

差し出された紙袋は結構大きい。

「ありがとうございます。取りに来るのが遅くなってすみません…」

言って、中身を確認しようとすると、

「待って!家に帰ってから開けてよ。それより、とりあえず乾杯」

グラスを合わせて、ビールを一口含む。
蒸し蒸しとした外の空気は、思っていた以上に熱を持っていたようで、
喉の奥で弾ける泡が、気持ちよかった。

「それにしても…英太のお相手が、まさか、イケメンだとは思わなかったわ」

「はは」

「お名前は?」

「高元です。まさか、『うららさん』が君だとも思わなかったけど…」

「うふふ。そうだ、どう?一緒に暮らしだして」

二人の間に流れる空気を観察したところで、
導き出される答えなんてものが出てくる訳じゃない。
置いてけぼりを食らったような心境を片隅に追いやって、

「うまく行ってる…と、思う」

と答えると、

「まぁ、見たところ、うまく行ってるように見えるわね。で、大丈夫?」

「何が?」

「体のこととか?」

身を乗り出して、含んだ笑みを浮かべながら、高元に問いかける。

「大丈夫だよ。気遣ってる。まぁ…その…あの時は、色々と世話になったな」

普段の高元にからすれば、切れの悪い言葉が出てきたから、隣に目を向けてみると、
視線に気づいた高元がこちらを見る。

痛い思いをしたのは俺だったけど、精神的に痛い思いをしたのは高元だった。

「大丈夫だよ!いっつも電話で言ってるだろ?しつこいなぁ、うららさん」

「失礼ね!あんたが二度と傷つかないように、心配してあげてるんでしょ!」

「そうだけど…」

「あんたも二度と痛い思いはしたくないでしょ?だから、言ってるの。
とってもデリケートな部分なのよ。
女のそこと一緒にしちゃダメ!って言っても、女の方は興味がないから良く知らないんだけどね。」
そんなこと言われてなんて答えりゃ良いんだよ…

「高元さん、おいくつ?」

「は?」

いきなり繰り出された質問に高元が戸惑っていると、

「ほら!英太とのなれ初めとか聞きたいじゃな〜い。
ヘテロ同士がどうなったらこっち側に来るのか、これからの参考までに聞かせて頂戴!」





そこからうららさんのペースにはまり、二杯目のビールが振舞われながら、
職務質問や結婚に焦る女性のような質問が出てきたかと思っていると、

「沢田物産!?」

「ああ」

「じゃあ、高橋由美子知ってる?」

「芸能人の?」

「違うわよ。バカな子ねぇ」

バカって言われる意味がわからない…

「高橋さんだろ?知ってるよ。部下だ」

「同級生なの。高校の」

「え?」

「え!?あの、高橋さん?」

世の中って思っている以上に狭いんだな。

「今日、来ると思うのよ。友達連れて…まずい?」

「どうだろ?英太も取引先で知ってるといえば知ってるけど…」

「そろそろ来るかもしれない…開店間際に来ることが多いから…」

時計を見ると、結構な時間になっている。
日の入りが遅くなったから、外はまだ明るいだろうけれど。

焦る気持ちと、ここで暴露したい気持ち…
どっちもが交錯する心の中。


だけど…その心の中を高元と長く一緒にいるのなら、会わないほうが良いんだと納得させる。

「じゃあ…」

俺が席を立とうとしたとき、高元が

「俺も英太も、これから何度も世話になると思う。
特に英太の体のこととか…だから、時々、相談に乗ってやってくれ。頼む」

座ったままではあったけれど、カウンターに額が付きそうなほど、頭を下げて言った。
声の調子は…硬かった。

その気持ちが、びりびりとした電気のように伝わってくる。
ひょっとして…強いと思っているだけで、
誰にも相談が出来ずに悩んでいるのは、高元の方なのではないだろうか?

気遣ってくれる気持ちの嬉しさと、そんなことにも気づかなかった悔しさが、目頭に熱を伝える。

「頭を上げて…そんな大したことじゃないのよ。人が人を好きになる。ただ、それだけじゃない」

うららさんだって、何度も何度も悩んだことだろう。
それなりに世間が受け入れてくれたと言っても、ここ最近のことだ。
いじめられたり、気持ち悪がられたり…

二人の強さに甘えて、子供のような感情を持っているのは……俺の方だ。


「それに…英太、かわいいじゃない?」


中途半端な体勢で止まっていた俺がガタンと椅子から落ちそうになるのと、
高元がばっと音がしそうな勢いで顔を上げたのはほぼ同時だった。

「手!出すなよ!」

「あっら〜それはどうかしら?決めるのは英太よ〜」

「な、な…なっ」

「嫉妬でガチガチの男と、色んなことを知ってて、気遣いの出来るオカマ。英太!どっちが良い?」

「帰るぞ!」

席の下にあった紙袋をもつ高元に腕を取られ、引きずられながらドアへと向かう。

「ほら!また嫉妬!」

言われた言葉に歩みを止め、振り向いた高元が、

「ああ、好きだからな。誰にもやらないし、誰にも渡さない。それのどこが悪い?」

一瞬、びっくりした顔をしたうららさんだったけど、

「あら…悪かないわよ。ふふ、あたしもそんな風に愛されてみたいものだわ。ごちそうさま♪」

今度は高元がびっくりする。
だけど、それも一瞬で、

「ああ、こっちこそ、ありがとう。また来るよ」


外に出る間際、振り返って小さく会釈をした俺に、
綺麗な笑みを浮かべながら『お幸せに』と口の動きだけでうららさんが伝えた言葉に、大きく頷いた。

開けたドアから、外に出ると、来たときよりかは温度の下がった風が肌の上を通り抜ける。
行き交う人の数も多くなり、店を出た途端、離された高元の腕と、相変わらず湿度の高い風に不快な気分になる。
タクシーを捕まえ、押し込められるように入った車内で、


「気をつけろよ」


念を押された言葉に、はははと笑いの声を上げた。




夕飯の後、うららさんがくれた引越し祝いをリビングで開けた。
ユキちゃんが選んでくれたであろうものはシックなマグカップのセットだった。
それともう1つ入っていた。


『うららちゃんおすすめ!夜のお楽しみアイテム!』


と添えられたメッセージカードを高元が握り潰していた…




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