匂い 2




月曜日の朝、朝礼の後にやってきたユキちゃんが、いつものように皆にコーヒーを淹れて配っていた。
最後に俺の席まで来たのを見計らって、

「あのさ、ユキちゃん。一緒に住んでる子って…」

「はい、うららですか?」

「うん、そのうらら、ちゃん?ってどんな子なのかな?」

「あ、ひょっとして、私が言ったこと気にしてますか?すみません!」

「いや、良いんだけど…その、やっぱり気になって…女の子なんだよな?」

そう問いかければ、小さな手を顎に持っていき、難しい顔で悩んでから、

「……中村さん、今日って仕事が終わって予定とかありますか?」

「いや、今日は特に予定はないけど…」

「じゃあ、終わったら、連絡下さい。うららはお店をしてるので、そのお店に行きましょう」

脇にお盆を抱え直し、俺のデスクの上にあるメモにすらすらと携帯の番号の書き、その紙をびりっと剥がして寄こして来た。
あっけにとられていると、

「じゃ、私、課長にコピーを頼まれていたので。……百聞は一見に如かずですよ」

ふわっと笑って立ち去った。


そこに、
「中村さん、何?ユキちゃんに何渡されたの?携帯番号?携帯番号ですか?」

隣のデスクの池田が問いかけてくる。

「うるさい!」

そう言って、さっとポケットに番号の書かれた紙を入れた。
確かに百聞は一見に如かず…だけど、会ったところで何かがわかるのだろうか?
もし、高元との関係がばれるようなことになったらどうしよう…と思う気持ちがあり、思うように仕事がはかどらない。
だけど、このままもやもやと考えていたところで、結局ははかどらないのだから、深刻に考えず、軽い気持ちで会ってみよう。
そう気持ちを切り替え、なるべく早く終わるようにと予定のアポをこなして行った。



「いらっしゃいませ〜。あら!ユキじゃない!」

奥から出てきたのは、推定185pのピンクのスーツを着た大女…いや、オカマだった。
店の前まで来たときに何となく感じた予感は、哀しいかな、こういったときだけ間違うことなく当たっていた。
という事は…俺は高元に抱かれるようになって、こっち側の人たちと同じ匂いを出すようになったのだろうか…?

「中村さん、こちらが私と一緒に住んでる、うららで…えっと、うらら、こちらが会社の中村さん」

「良い男ねぇ〜。どうも〜初めまして!うららです。ユキがいつもお世話になってます」

丁寧に挨拶をされ、名刺まで受け取れば、営業マンの哀しい性、内ポケットから名刺を出し、

「高木商事の中村です。ユキちゃんは良くしてくれてますよ」

いつもの調子になってしまった…。

「ユキ、奥の席に案内して」

「あ!いえ、カウンターで良いですよ。」

「そう?ゆっくりしていってね。狭い店だけど」

確かに狭い…。カウンターが10席ほどにテーブル席が奥に2つ。
脚の長い椅子に、ユキちゃんと並んで座り、ビールを頼む。
背の高いバーテンダーがつまみのピーナッツを目の前に置き、ユキちゃんの頼んだ甘いカクテルを作っている。

店内に他の客はおらず、夜の10時ごろからバタバタと入ってくるのが常だと言った。
それに合わせて、ホステス?の子も夜の9時ごろからの出勤らしい。
確かに、こういった店は二次会、三次会にならなければ、足を踏み入れることはそうないだろう。

ユキちゃんの目の前にカクテルが置かれるのを待って、一応形式的に、

「お疲れ様です」

グラスを合わせた。
一気にビールを半分ほど流し込む。
よく冷えた泡がシュワシュワっと喉の奥ではじけて消えるのを感じていると、

「…私、うららに拾ってもらったんです」

唐突にユキちゃんは話し出した。

大好きな人を追いかけて田舎から出てきたのに、その人は女性と暮らしていた。
やけになったユキちゃんは、持ち金すべてをその日のうちにホストクラブで使ってしまったそうだ。
途方に暮れて道端で泣いているところをこの店のうららさんに拾ってもらったのが去年の冬。

その時の事を思い出したのか、そう大きくはないが丸くて黒目がちの目に涙を浮かべる。

「…うららにこれ以上迷惑掛けられないって思ってるんですけど、仕事はないし…。
うららも当分うちにいなさいって言ってくれるから、甘えさせてもらっちゃって…」

そう話す彼女を抱きしめたいと思ったのは、きっと小動物に似てるからだ。と言い聞かせる。
何となく、うららさんがユキちゃんを家に置いておく気持ちがわかったような気がした。

「私、トイレでお化粧直してきますね」

席を立ち、奥のトイレへと迷うことなく歩いていく。
そして、入れ替わるように、

「手は出さないでね〜」

とうららが奥から出てきた。

「出しませんよ。」

「でも、さっき、ちょっと抱きしめたいとか思ったでしょ?」

そう言ってからかってくる。

「聞いてたんですか?」

「聞こえるのよ。あの子の声って、ころころしてるでしょ?聞いてて心地良いのよ」

「そうですか……」

答えたときに、どうしようかと迷っていたけれど…チャンスだよな?と

「あの…ユキちゃんから、うららさんと同じ匂いがするって言われたんですけど…それで、今日は…」

「…なんでかしらね?」

と、じーっと細い切れ長の目で俺を嘗め回すように見てくる。
この人は、きれいな人だ。と思う。きっと男でもそれなりにもてたのだろう。と思った俺の耳に、

「間違ってたらごめんなさい。中村さんって…ひょっとして…ネコ?」

「え?人間ですよ!」

「違う、違う〜。あのね……」

そこまで言って、バーテンダーに目線を送る。
それを察して、バーテンダーはスッと奥の厨房へと消えていった。
それでも顔を寄せて、声を潜めながら、

「業界用語で…男性に抱かれる方を「ネコ」、抱くほうを「タチ」って言うんだけど…」

一瞬で頭の中が真っ白になった。だって、それって、やっぱり…そういうことなんだよな。
ユキちゃんは本能的に俺が男に抱かれるっていうのを察知したんだよな?

「その間は、肯定と取って良いのね?」

念を押される。ここで否定すれば良いんだ。そしたら、ユキちゃんには知られない。
だけど、もし会社でばれてしまったら、どうしよう?辞めさせられるのか?
相手が高元だってばれたら、高元も会社を追われるのだろうか?
と一瞬にして色々な考えが浮かび、顔が青ざめるのがわかった。

「ユキには言わないわよ。それに、意味はわかってないみたいだし。
それと、あなたがネコだと言って、知られてその後どうなるかなんて、あたし達は掃いて捨てるくらい知ってるもの。
…だけど、その様子だと、親身に相談に乗ってくれる人もいなかったんじゃない?」

続く言葉に、思わずコクンと頷いてしまった。

「やっぱり……」

疲れたような笑いを浮かべられた。細い目の奥に優しさの色が混じる。

「何かあれば、いつでも相談にいらっしゃい。誰にも言えないって、つらい事でしょ?」

そっと俺の手に手を重ねた。

ちょっと待て!俺と同じ匂いがするって事は…このデカイうららさんも…誰かに抱かれる方なのだろうか…?

そう思うと、パッと手を引っ込めた。

「何よ、失礼ね!ちょっと綺麗な顔してるからって…。
だけど…抱きたくなっちゃう気持ちも分からなくはないわねぇ」

そう言って笑顔を浮かべられる。
勘弁してくれ!

その後、戻ってきたユキちゃんを交え、3人で談笑しながら、ほろ酔いになるまで飲んだ。
忙しくなる前に店を後にする俺に、うららさんがそっと携帯の番号を書いた紙を俺に渡す。

「こっちはプライベートの方。何かあったらいつでも連絡して。
体のこととか、人に聞きづらいこととか…とにかく1人で抱え込まないで……」

そう言って心配そうに笑う。その笑顔に、その言葉に救われた。
ユキちゃんと2人で駅に向かいながら

「中村さん、会ってみて何かわかりましたか?」

「ああ、わかったよ」

「そうですか。それで、なんだったんですか?」

そう聞かれた。だけど……本当の事は言えないよな。

「秘密」

「あっ!ずっるーい!!帰ってうららに聞きますよ!」

「教えてくれないと思うけど……」

駅に向かう風はまだまだ冷たさを孕んでいる。駅前の桜の木も蕾すらつけてはいなかった。
駅前でユキちゃんと別れ、自分の家には帰らず、高元のマンションへと向かうホームに行く。
今日は高元の匂いを感じながら、眠りにつきたい、そんな事を思っていた。


そんなことを思っていた俺が、あんなことになるなんてこの時は思いもしなかったから、
ただただ、電車と一緒に吹き込む風に春の気配を探していた――




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