本命





どうしてここまで来てしまったのか…と後悔したところで、後の祭り…。

高元がもてるのなんて、ちょっと考えればすぐにわかる。
なのに、沢田物産まで来てしまった…

バレンタインデーを明日に控えた今日は、金曜日。
街の中は、どこか浮ついていて、見慣れてしまった街路樹の花のようなイルミネーションがキラキラと光っていた。
持っていた小振りの紙袋を左手に持ち替えて、寒さでかじかんだ手を吐きつけた息で温める。
背中を冷たく大きな柱に預けて、高元が会社から出てくるのを待っていた。
連絡も入れずに来たことを少しだけ後悔し始めていた。
昼間のうちにメールだけでもしておけば良かった。
が、がっついていると思われるのも癪で、ましてや、チョコは無理でも何か贈りたいと思っている自分が、ひどく女々しくも思えた。
だから、こうして待っていたりするのだが、こうやって待っていたりする方が、実はもっと女々しくあるのかもしれない…

コートの襟を立てて、柱の死角に立ち、やっぱり、メールをして高元のマンションに行っておこうと携帯を取り出し、画面へと目を落とす。
死角のここなら、知っている人が通り過ぎたとしても分からない、と思っていたのに…

「あれ?中村くんじゃない?」

と声を掛けてきたのは、高橋さんだった。

「あ…こんばんはぁ…」

「久しぶり!どうしたの?珍しいじゃない、こんなところで」

社内の灯りを背にして立つ彼女のはっきりとはしない輪郭でもわかる、
きっちりと纏められた髪に、フレームレスの眼鏡。
一見近寄りがたい印象を与える高橋だが、話してみるととてもきさくな人である。

「いや…、その、高元、さんを……」

「部長代理?もうちょっとかかるんじゃないかなぁ?ほら、明日はバレンタインだから」

屈託なく言い放つ彼女の顔がはっきりとは見えないことに少しだけ感謝をする。

「そ、そうですよね〜」

つられるようにして引きつった笑いを貼り付けた俺の顔は、彼女にどう見えているのか。

わかっていなかった訳じゃない。
だけど、高元の席が佐藤部長と同じ位置なら…きっと高橋さんはその目の前の席。
部外者の俺よりも、今日の高元を近くで見ていた彼女なら、きっとどんな状況か知っていての発言なのだろう…

「何?約束してたの?」

そう言う声が耳に入り、やばい!言い訳を考えていなかったと焦る。

「…あ、いえ、別にそういう訳じゃ、ないんですけどぉ…」

ひどく切れの悪い返事をすれば、

「ああ。だからか。
代理も、なんとなく落ち着かない感じだったから、てっきり本命の彼女でもいて、
今日はご飯でも食べに行くのかな?って思ってたけど、中村くんと約束があったのね」

そう勝手に答えを作ってくれた。
話題を変えようと、

「高橋さんはこれから、どこかへ?」

手に持ったバッグとは別の紙袋を見て言えば、少しはにかんだ笑顔で、

「そ。高校の時の同級生のお店にね」

ふわっと微笑んだ。ひょっとしたら、高橋さんの彼氏か誰かの店なのかもしれない。
あまり突っ込まれるわけにもいかないから、俺も突っ込んだ話はやめておこう。
と思っていると、高橋さんもそうだったのか、

「じゃあ、中村くん、また今度ね。風邪引かないようにね!」

「あ、はい。高橋さんも」

と、冷たい風の吹くイルミネーションの中へと歩いて行った。
一つ息を吐き出し、助かったと思ったところで、まだ、少ししか文章の入力されていない画面へと目を戻す。
が、終話ボタンを押し、パタンと携帯を閉じた。
ここにいては、また誰かに声を掛けられるかもしれないと思い、少し遠いが高元のマンションまで歩いて行こうと足を踏み出した。
それなりの高さのあるビルが並ぶここは、大通りを通り道にした風が吹き流れる。
ビル風に煽られ、コートの裾がひらりと舞ったところで、聞き覚えのある低い響きが耳に入ってきた。
立ち止まり、声のするほうを見れば、3人の女性に囲まれた高元で、女性たちは何やら一生懸命高元に袋を渡そうとしている。

そっか…そうだよな。

わかっていた状況を目にして思う。
高元はもてる。
そんなことはわかりきっていることじゃないか。と、顔を元に戻し、見たくないことから目を背けた。
再び歩き出そうとしたところで、

「わかったよ、受け取るが……これは、その、本命なのか?だったら……」

その瞬間、通りの車のクラクションが大きく鳴って、それ以上は聞き取れなった。

だったら…?本命だったらなんだよ?

受け取るのかよ!!!

これ以上ここに居ることが俺にとって良くない気がする。
歩き出そうとした足を、強く踏み出し、全速力で走り出した。
途中、裏道を一本入って、大通りを離れ、がむしゃらに走って行き着いた先は、ビルの狭間にある小さな公園だった。
はぁはぁと肩で息をし、ベンチになだれ込むようにして座り込んだ。
ズボンの薄い生地を超えて、ベンチの冷たさが太ももに伝わる。
人気のない空間に自分の荒い息遣いだけが聞こえる。
耳の奥にドクンドクンという心臓の音が響き、鼓膜を振るわせた。

高元が悪い訳じゃない。勝手に来て、勝手に見ただけだ。だけど…。
だけど……正直、見たくなかった。
聞きたくなかった。


少し冷静になろう、と空を見上げる。
街の明かりに負けて、星一つ見えない空は、どこまでも暗かった。
はぁと吐き出した息が白く見え、ポケットの中から、タバコとライターを取り出した。
一本銜え、カチッという音をさせたライターが一瞬火を灯すけれど、消えてしまう。
吹き付ける風に負けてしまうのだろう。
角度を変え、体の向きを変えをしてはみたが、何度やっても灯りは灯らない。

やけになってカチカチとしているところへ、そっと大きな掌がかざされた。

びっくりして見上げてみれば、息を乱した高元だった。

「はぁ。お前なぁ…」

銜えていたタバコが取り上げられる。

「なんで…?」

「探したぞ?」

と言って、どさっと鞄と何が入っているのかわかりきっている紙袋を地面に置き、俺の隣に座り込む。

それでも、俺の口からは言葉が出てこなくて、ちょっとした静寂に高元の普段より少しだけ荒い息遣いが聞こえる。
公園にある明るさが少し足りない電灯に照らされ、俺から取り上げたタバコを、指の間に挟んで、ふらふらと揺らすのが視界に入り、やっと、息が整ったのか、はぁと息を吐き出してから、

「気がつかない訳がないだろう」

と言ってタバコを銜えた。俺のよりも性能の良いライターをポケットから取り出し、カチッとつける。
風などもろともしない火がつき、辺りが一瞬ほわんと明るくなる。

ふーっと吹き出した煙が、夜の闇に消えていく。

「受け取ってないよ」

言われて勢い良く高元を見れば、

「本命だなんて言われて、受け取れるわけがないだろ」

どこかやるせない感じで言った。
俺がいるから?と言いかけて、やめた。

「それより、どうしてあそこに?」

問われた言葉に顔を背け、地面を見た。

「さっきから、その紙袋が気になっているんだけど……」

と言って、地面にタバコを落とし、火種の部分を踏みつけるのが視界に入る。
長い指がそれを拾って、取り出した携帯灰皿に押し込むところを目で追ってから、
はぁと肺に入っている空気を吐き出し、

「はい。これ」

と、高元の前に突き出す。
散々悩んで、だけどさすがに女性に混じってチョコを買うわけにも行かなかったから、
高元に似合いそうなネクタイを買った。

「本命なのかな?」

にやけた顔で言われ、恥ずかしさに死にそうになったが、こくんと一つ頷けば、ふわっと体を包み込まれる。
体ごと受け取られたことに嬉しさがこみ上げてくる。

「ありがとう」

「……どう致しまして」

吹き抜ける風はまだまだ冷たい。春は遠いようで、もうすぐそこまで来ているのかもしれない。
包み込まれた暖かさになんとなく、そんなことを思った。




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