向かい風





高元に会えた嬉しさから、俺はすっかり忘れていた…


冷たい温度を纏った追い風を受けながらさっきのコンビニに戻り、弁当を見る高元と離れ、カップラーメンを見に行く。
色とりどりのパッケージを前に、この時間に、とんこつはないよな、でも、しょうゆとかって気分でもないし、
冷えた体には味噌も捨てがたいと思っていると、聞こえてきた楽しそうな女の声に、持ち上がったのはギクリとなる心臓の動きだった。

真由子がいた…

そう言えば、真由子がここにいたのだ。
先ほどから時間にしてしまえば10分ほど。ひどいことをされたと言えばされたのだが、恋愛にルールなんて、ましてや法律なんてものもない。
あのときの事を思えば、苦い思いが駆け上がって来ないでもないが、そのお陰と言っては大げさだが、高元と出会えたのだ。
後ろ暗い感情が無いとは言わない。だが、別に堂々としていれば良いのだ。

そう言い聞かせる自分とは別に、真由子の笑い声がひどく心臓を騒がせる。
考えにふけてぼーっとしていると、

「どうした?」

少し上から聞こえてきた低い声に、一気に現実に引き戻る。

「この時間から、こってり背脂もないだろう」

手にしていたカップラーメンを見れば、「背脂倍増!」という見出しが付いていた。

「…あ、いや、これは、寒いから、こういうのもいいかなって思って……」

「メタボになんてなったら、どこかの養豚場に売り飛ばすぞ」

笑顔を向けてきつい冗談を交えて言う高元にも悪いと思う気持ちが芽生える。
先ほどの高元の姿。必死に探してくれたのは、俺を求めての事なのだ。
決して、後悔はしていない。だが、いつも何かと背中合わせのこの関係をいつまで続けていくのだろう。
高元が俺を求めてくれている間は、きっと大丈夫。でも、高元が俺から離れてしまったら…
今日はたまたま会えたけれど、次は本当に離れて行ってしまうかもしれない…

急に襲われる焦燥感に更にぎくりとなる声が聞こえた。

「英太……」

声のする方へ顔を向ければ、案の定、真由子が立っていた。

「真由子……」

「知り合いか?」

と問う高元の声が俺の言葉の硬さに、どこか不審に思う色を滲ませる。

「ひ、久しぶりだな……」

社交辞令が口からこぼれる。思った以上に口の動きの悪い俺に、俺よりは少し動きの良い真由子の口から言葉が発せられる。

「……あの、色々と、その、話さなきゃいけないし、謝らないといけないとは思うんだけど……」

「いや、別に……」

どぎまぎとした空気を纏い、お互いに気まずい感じのまましばし沈黙をする俺と真由子の何かを感じ取った高元が、

「中村、今日はもう遅い。話があるなら別の機会に」

慌てた真由子が、

「あ、そ、そうね。こんな時間だし……。また、電話するわ…」

ちらちらと雑誌コーナーへと目を向ける真由子。そうだ、真由子も男連れだったのだ。しかも深夜のコンビニ。
何をやっているのだと思い、

「じゃ、じゃあ」

そう言って高元の腕を取って逃げるようにレジへと向かう。手には「背脂倍増!」を持ったままに…


会計を済ませ、ビル風の吹くコンビニの外へ出る。急に冷えた風を受け、一瞬目をつぶる。
後ろ髪を引かれるような気がした。
店の中で続いて会計をしている真由子とその男を振り返り、踏み出そうとした足を止め、コンビニの入り口へと体を向ける。
それに気づいた高元も足を止める気配を感じる。

「中村…?」

問い掛ける高元の声を無視して、必死で考える。
今日は随分と疲れている。とにかく忙しい一日だった。だが、ケリをつけたいと思う自分がいる。頭が働いていなくて、正しい判断とは言えないかもしれない。
そう思っていると、店の暖かい空気と明るい光が外へ一瞬流れ出し、その流れに沿って、真由子と男が店から出て来た。俺に気づいた真由子が足を止める。

「あ、あのさ真由子!」

上ずった呼びかけにびっくりしたのは、真由子の連れていた男だった。
不審な目を向けてくるが、どこか勝ち誇ったような笑みに変わる。
だが、そんなことは関係ない。

「あのときの事は、もう本当にどうでも良い、いや、どうでも良いって言い方は悪いんだけど、その、お、俺、今すげー好きな人がいるんだ。だから、俺の事は気にしなくていいから…俺も、今、すげー幸せだし…」

言いたいことがまとまっていない。言ってしまって、色々とまずかった気もする。
下を向いて次の言葉を考えながら真由子の言葉を待つ。
沈黙の間を後ろから冷たい風が吹き抜ける。顔を上げると、やっと理解したという感じで真由子が苦い笑いを浮かべていた。

「そう。でも、ちゃんと謝らないと…ごめんなさい。でも、英太が幸せなら…」

苦い笑いを浮かべていた顔が、引きつったまま止まった。
視線を横へ流せば、真由子の隣に立つ男も同じように、止まっていた。
2人の視線が俺の後ろに立つ高元に向かっている。
振り返った高元は、俺の方を見たまま、いつもは切れ長な目を丸くしていた。
合わさった視線に、顔に血液が集中するのがわかった。これじゃ、公開告白だ。
恥ずかしくなって真由子と男の方へ向き直れば、俺の顔を見て感づいたのか、

「え、英太、もしかして…」
「マジで?!」

と言われる。

「あ!いや、…えっと、…その…」

信じられないと言う文字を顔に貼り付けたまま口元に手をあてる真由子と、明らかに嫌悪を表す男の顔。
きっと気づいたよな…と、ため息をつきそうになって、止めた。
ここで、ため息なんてついて良い訳がない。



気まずい空気を破ったのは高元だった。俺がさっき止めたため息が後ろからはあと小さく聞こえ、

「真由子さん、かな?」

「は、はい!」

後ろから近づいてきた高元が、コンビニの袋を持った手とは反対の手を俺の肩に回す。
驚いて見上げた高元の顔は、どこかばつが悪そうな笑みを浮かべている。
俺の行動に呆れたのかもしれない、と目線を下に向けた。

「英太との間に何があったのかは、聞いています」

「あ…」

一瞬にして真由子の纏う空気が気まずいものへと変わる。

「お気づきでしょうが…、そのお陰で、俺は英太と出会えた。あなたには感謝していますよ」

抱かれた肩から響きの良い低い声が染込んでくる。
その手が力を増して、肩を掴んだから、俺は高元の顔をもう一度見上げた。


――そのときの顔は、一生忘れないと思う


「俺が幸せにする。だから、あなたは、そちらの彼とどうぞお幸せに…」


肩にあった腕をはずし、俺の腕を取って後ろへと歩き始める高元に、さっき出会えたときのように引きずられ、体を傾けた。
だが、それはやはり倒れることはなく、しっかりと掴まれた腕に支えられる。

逃げるように後にした場所で、ええ?という男の声が上がり、吹き抜ける風によって遠のいていく。

足がもつれてうまく歩けない。体に受ける風は向かい風。
この関係を続けていく以上、こうやって、いろんなことに躓き、向かい風を受けていくのだろう。
だが、そんなことは気にもしないと腕を引く高元は、力強い足取りで、前へ前へと歩いていく。

この男と一緒にいれさえすれば、大したことではないように思えてくる。

高元の耳も赤く染まっていた。
さっき言われた言葉が頭の中で繰り返す。
思い出せば、嬉しくなる気持ちと赤く染まっていく頬が、どんなに強い向かい風でも、今はきっと気持ち良いと感じることだろう――




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