充電





息を切らし、肩を上下にしながら、痛むわき腹を押さえ、重いかばんを右手に持ち、
だんだんとホームから遠のく電車のライトを中村が呆然と眺めたのは、ついさっきのこと。

ホームに備え付けられた、ところどころ錆の付いた時刻表を確認して、有り得ないと思った。
腕時計で時間を確認すれば、20:48。
次の電車は21:37 約一時間後

人気のない、片田舎のホームは薄暗く、蛍光灯の灯りすら、寒さを増す演出の手助けをしていた。
冷えた手をこすり合わせ、吐きかけた息で暖めたところで、一時期の気安めにしかならないことは良くわかっていた。

温かい飲み物でも…と思ってホームを見渡すが、自動販売機すらない。
ここで後一時間、何をして過ごせばいいものやらと、とりあえずベンチに腰を下ろした。

売店でもあれば携帯の簡易充電でも売っているだろうに、電池の切れた携帯の画面を眺めては、ため息を出すことしか出来なかった。

発注ミスをしたのは自分、来たときに時刻表を確かめていないのも自分で、携帯の充電をしていなかったのも自分…つまりは、自分が悪い。

たまたま倉庫にあった商品を得意先へと急いで持参した。
普段は電話とFAXでしかやり取りをしていないから、実際に来たのは初めてだった。
そのとき既に日の暮れたこの駅に着いた時に、道順を教えて貰うために電話をした。
その店主がひどく要領を得ない説明をしてくれたお陰で、
残り少ない携帯の電池が切れてしまった。


高元が大阪に出張に行って、4日。今日戻ってくるという連絡は、昼にメールで来ていた。
そのメールに「8時には終わる」と返信していたのに、この時間。
高元は怒っているだろうか…

思ったけれどどうしようもない

そこでふと気づく…
高元って怒ったことあったけ?


俺より少し高い身長に、細身ではあるが、どちらかと言えば筋肉質な方だろう。
実際に力は相当なものだ。
モデル並にスタイルも良い。
端正な顔立ちにさらさらと流れる黒髪…
その男が、声を荒げる姿を想像することが出来なかった。
すべてのことをスマートにこなす高元が、感情のままに行動したのなんて………
きっとあの時くらいだろう。
そう思うと、自分だけがそれを見たと嬉しくなると同時に、心細くなった。

会いたい、声が聞きたい……
――触れたい、と。

充電の切れた自分の心と同じように、何も映さない携帯の画面を見つめた。









待ちに待った電車が来た頃には、体は芯まで冷え切っていた。
重いかばんを右手に持ち、引きずるように入った車内は、温度差の激しさからか、ムッとしていて、座席に座ると、足元の吹き出し口から、熱いと感じるほどの熱が出されていた。
それでも、あそこにずっといることを思えば、まさに天国のようだった。

駅について、急いで会社に戻り、携帯を充電器に繋ぐ。
充電中の赤いランプが灯るのを確認して、電源を入れた。

画面が待受に変わったと同時に手の中でフルフルと震えだす。
案の定、着信が8件、メールが5件。すべて高元からだった。

メールの文面も高元らしく、一言ずつ。
「まだか?」とか、「どうした?」とか、
最後は22:28の「連絡をくれ」だった。今が23時過ぎ。
怒ってるよな…

そう思って、とりあえず高元に電話だと番号を呼び出し、通話ボタンを押せば、しばしの無音の後、

「お客様のお掛けになった番号は、現在電波の届かないところに……」

女性のアナウンスの声。

やっとと思った時に、思った結果が伴わないと、その現実を疑いたくなる。
何度も掛けなおしてみたが、やはり同じ女性の声が繰り返し耳に入ってくるだけ。
仕事を終わらせて、マンションへ行こう。


一度そう思ってしまえば、気持ちは焦る。
報告書を急いで書き、仕事用のかばんから財布だけを抜き取ると、
まだ3分の1も充電されていない携帯を掴んで、転げるように外に出て、タクシーに飛び乗った。

運転手に行き先を告げれば、俺の様子に急いでいることを感じ取ったのか、

「お急ぎですか?」

「はい、出来れば……」

わかりましたと取り付けられたナビを操作する運転手に安心した。
とりあえず高元にメールを送っておく。
さんざん悩んだ文章は今日の店主の説明のように大層まとまりの無いものだったが、
それでも送らないよりはましだと思った。
送信されたことを確認して、窓の外を見たが、見慣れない町の光景が広がっていた。
不審に思い、

「あの、あとどれくらいで着きますか?」

そう問えば、運転手は少し間をおいて、

「す、すみません、僕、実は先週運転手になったばかりで……」

信じられない言葉が耳に届く…

「え?ちょっと待って下さい!じゃあ、今どこを走ってるんですか?!」

「実は、良く、わかってなくて…」

「ナビ、操作してたじゃないですか!?とりあえず、止まって!止まってください!」

慌てた俺の声にびっくりしながらも、運転手は路肩に車を停める。
ナビで確認すれば、本来の道からは然程離れていなかった。

それから程なくして無事に高元のマンションに着いた。
運転手には散々侘びの言葉を言われたが、それに応えることなく、タクシーを降りてエントランスへと走る。

電話のように並ぶ番号の前に立って、躊躇した。
タクシーの中で何度も思った、いなかったら……という思いが足元から込みあがってくる。
いなかったら、俺はどうしたら良いのだろう。
だが、ここまで来て、帰る訳にもいかない。

指先が震えているように感じるのは寒さのせいだと言い聞かせ、
意を決して部屋番号を押す。ピンポーンという軽快な音がエントランスにも響く。
しばらく待ってみたが、返答が得られない。
もう1回押してみた。それでも、答える声は聞こえない。

やっぱりと思う気持ちが腹の中に黒いものの種を蒔き始める。
その種が目を出す前に行動をしなければと、携帯を取り出し、もう一度掛けてみる。
しかし、掛けたところで先ほどと同じアナウンスの声。

そのアナウンスを水と捉えたかのように、とうとう種が目が出し、つたが伸び始める。
そのつたが、どんどんと伸び、絡まり始め、自分の視界を黒く染めていく。

たった一日連絡が取れない。大したことではなく、明日にでも連絡すれば良いことだ。
だが、今日という日がこのまま終わってしまうことに自分自身で納得がいかない。
電池の切れた心に充電ができるのは高元だけなのだ。
その高元に連絡が取れない。ただそれだけなのに…







点々と街灯が灯す明かりを辿って、大通りへと向かう。
通り一本中に入ったここから、大通りの車の行き交う音が聞こえる。
しかし、それも遠く遠くに聞こえて、足取りは思った以上に重い。
今日一日歩き回った足を引きずるようにして歩いた。
寒さが異様に身にしみる。

自分の気持ちとは反対にキラキラと輝く光を纏った木々のある大通りへと出た。
時刻はとうに日が変わり、楽しそうな酔っ払いの集団ととすれ違う。
ビルとビルの間を通り道のように風が吹き抜ける。
ふと、明るすぎる光を放つ、コンビニの前で足を止める。

よくよく考えてみれば、昼から何も食べていなかった。

食べていないから気持ちも頭も良くない方向に向かうのだ。
もう、帰って、食うだけ食って、寝てしまおうと思いコンビニに入った。

弁当にしようか、カップラーメンにしようかと、ふらふらと店内を歩き、
悩みに悩んで、結局おにぎり2個だけを手に取る。
ついでに、雑誌でも、と思って本のコーナーに行けば、見覚えのある後姿。


「ふふ、これって、どう思う?」


そう言って、手に持った雑誌のページを指差しながら、近すぎる距離の隣の男に話しかけている女…真由子。

どっと疲れが増す。
すっかり忘れていたとは言え、気分の良いものではなかった。
しかも良く見れば、前に連れていた男とは明らかに違う男。


楽しそうに笑う真由子の笑顔を見て、限界を感じた。
本来なら、今日の俺もああいう風に高元の隣で笑っていたのかもしれない、と。

真由子に気づかれないように踵を返し、会計を済まし、コンビニを出た。

沈んだ気持ちに頭が下を向きながら歩き出した。
重い重い足と気持ち。歩きながら出てくるのはため息で、今日はもう会えないのかとか、
声も聞けないのかとか、明日も仕事だなとか、色々と考えていると、後ろから凄い力で腕を掴まれた。

突然の事で、声を上げそうになったと同時に、今日何度も叱咤しながら動かしていた足がもつれる。
倒れる!と思った体は、しっかりと俺の腕を掴んでいるその人に支えられていた。


こんな風に俺を支える人間は、1人しかいない―


見上げて見えた顔は、今日何度も何度も会いたくて、声が聞きたくて、触れたかった男。
しかし、その高元は、肩で息をし、鼻の頭を寒さで赤く染め、ひどく髪も乱れている。
スッと目を細めた高元が、

「話は、後だ」

そう言って、腕を掴んだまま俺を引きずるようにして歩き出す。
マンションへ行くのだろうと思っていたら、ビルとビルの間の狭い路地に連れ込まれた。
と同時に、唇をふさがれた。

急なことにすべてが対応できなかった。
激しいキスと大通りの喧騒。背中をビルの壁に押しつけられ、その冷たさに止まった思考が動き始める。
高元の首に手を回して、自分からも舌を絡ませていく。

さっきの高元を思い出す。肩で息をし、鼻を赤くし、髪まで乱れた高元。きっと俺を探してた。
その気持ちが俺の心を満たしていく。

まさに、充電…

そう思ったと同時に、ぐうと言う音が聞こえた。俺のなのか、高元のなのか…いや、2人共だ。


唇を離し、視線を合わせる。
同時に笑った。

「何にも食ってないんだ。今度は、腹の充電」

「腹の?充電?」

不思議そうな顔をする高元の腕を取り、大通りに出て、先ほどのコンビニへと向かう足取りは、軽かった―




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