時計台の鐘が鳴る 4





父親は化粧品に対してかなりの執着がある。
いや、化粧品だけではなく、さっき行った婦人服売り場でもそうだった。
靴でもバッグでも、母親の持つものすべてに対して執着があると言っても過言ではない。
そして、同じような反応を見せ、同じようにやる気を出す店員のお陰でかなりの時間を食うのである。
それを前に宏に話したら、「武志さんはそうかもな。うちの父ちゃんだったら、そんなちゃらくせぇことが出来るかっ!って言いそうだ」と言っていた。
うちが通常よりも少し異様な状態であると認識はあるけれど、そう言われるであろう宏のおばちゃんのことを思うと、同じ「妻」という立場としては何となく母親の方が幸せなのかな?と思ったりもする。
長引きそうな雰囲気を察したのか、母親が手招きしてくる。近寄ると「ジュースでも買って、あそこのベンチででも座ってて」と小銭を優に渡してきた。
「うん」と答えて、階段下のスペースにある自動販売機に向かった。
日曜日だけあって、デパートはそれなりに客足が多い。
目立ち始めた両親の姿に誰かと出会わないか?と冷や冷やし出していただけに、助かったと思わずにはいられなかった。
自動販売機の前に到着して、しばし考えた後、小銭を入れていつも飲んでいるオレンジジュースのボタンを押す。
取り出すのにしゃがみこんだとき、階段の途中辺りから「優じゃん」と言う声がする。
どきりとして、一瞬心臓が止まりそうになった。
さっきまで考えていた事が事なだけに、ドキドキとしてしまう。
言葉の感じからどう考えてもそれなりに親しい間柄の人物に違いない。
目の前の取り出し口は既にガタンと音を立てて缶ジュースが落ちて横たわっている。
ずっとこのままの姿勢で気づかない振りも出来ないな……と思っていると、

「何してんの?」

再び掛けられた声に「なんだ、良かった」と思って体を起こしながら、ぶっきらぼうに「買い物」とだけ答えた。
起こした目線に見慣れた金に近い茶色い髪が入り込む。
だけど、その横で「知り合い?」と尋ねる女性がいたのにびっくりしてまた動きが止まった。

日曜日の昼下がりのデパート。
いつもより少しめかし込んだ新井の姿。
そして、主にピンク系で纏められた可愛い雰囲気の女子大生……
一目見て「デート」とわかるその二人にびっくりして目を見開いてしまった。

それなのにそんな優を気にすることなく「うん、そう。ほらバイト先の…」と答える新井の対応が、いつもの優への対応と違って、何となく優しい。

「ああ、お弁当屋さんの。優ちゃんだっけ?」

「そうそう。一人で来てんのか?」

まるで初めてのお使いさながらの心配ぶりをする新井に、そこまでいつもと対応が違わなくても良いじゃないか?と心の中で突っ込む。

「いや……お、親と……」

それでも、何となくこの年にもなって両親と買い物だというのが新井の隣にいる女性に思われるのが恥ずかしくて、手の中で冷たい缶を弄んでしまう。
新井だけなら何の気負いもなく言えただろうし、少し先に行けば、未だにああでもないこうでもない、こっちの方が良い、いやこっちかな?とさっきから聞こえている父親の声にすぐにばれてしまうだろう。
だけど、新井の彼女も一緒にいるのだ。
相手は大学生で自分よりもうんと大人だから、そんなことは気にしないかもしれないと思うのに、何となく居た堪れない自分を感じた。

「ああ、本当だ」

ああ……ばれてしまった。
そう思ってますます下を向いて缶を弄っていると、信じられない言葉が聞こえてきた。

「ほら、あそこの化粧品コーナーにいるだろ?背の高い男の人と小さくて可愛い奥さんの夫婦」

「うん」

「理想なんだよなぁ。俺の」

その言葉にびっくりして顔を上げて新井を見る。少し目を細めて、優しい顔で微笑んでいるであろう横顔が見えた。
なんだ……こんな顔もするんだな……と見つめてしまう。

「ああ、何かわかるかも。良い旦那さんって感じがする。あんなに必死になって奥さんの化粧品選ぶ人って初めて見たわ」

「だろ?店でもいっつも仲良くってさぁ。初めて行った店なのにその雰囲気に憧れて、それで俺バイトしたいって言っちゃったんだよなぁ」

「ふふ、そうだったんだぁ。優ちゃん、良いお父さんとお母さんで良かったねぇ」

覗き込んでくるようにして合わせた目がキラキラと光っていて、化粧品と香水の香りが漂っているにも関わらず、その匂いを掻き分けてふわりと甘い香りがした。
そして、新井の彼女だと言うのに可愛い人だなぁと思ってしまう。
母親と同じくらいの身長で少しだけぽっちゃりとしている。
色が白くて、目は大きくて、縁取る睫毛は長くて多い。
ふっくらとした頬はほのかにピンク色で小さめの唇も淡いピンク。清楚で可愛い雰囲気にドキドキしてしまう。
言われている内容はかなり小さな子供に言い聞かせるような内容なのに、意識してしまって徐々に顔に血液が集中しだすのがわかったから俯きながら「う、うん」とだけ答えておく。

「あ!気づいた」

新井の声に顔を上げると、どうやらやっと決着がついて買い終わったようで、丁寧に店員に見送られながら両親がこちらに向かって歩いてくる。

「新井くんじゃない」

近寄る両親が新井を認めて笑顔になる。

「こんにちは〜」

と答える新井と、隣の女性も笑顔だった。

あれ?名前聞いたっけ?などと思っていると、

「デート?」

母親に聞かれ、新井が「まあ」と頭を掻きながら返答する。少し照れているようだった。

「新井くんと同じ大学で川島絵梨菜と言います」

絵梨菜さんって言うのかぁ〜

雰囲気と名前が合ってるなぁなどとぼんやり考えていると、「これ試供品だけど、いっぱい貰っちゃったからおすそ分け」と母親が絵梨菜さんに試供品を渡している。

「ありがとうございます。これ気になってたんですよ〜」

何て模範的な回答をする。そういうところはかなり好印象だ。
新井にはもったいない……などと考えていると、母親の横にいた父親が、

「あ、絵梨菜ちゃん、その化粧水はね…」

などと、きっとさっきの店員さんに教えてもらったようなことを説明しようとする父親に、小さく肘で突いて母親が合図を送り、

「デートの邪魔しちゃ悪いでしょ」

と早々に話を切り上げた。こういうところは流石だなぁと思う。

「あ!そうだったね。じゃあ、新井くん、また明日。バイト宜しく。絵梨菜ちゃんもいつでもお店に来て。サービスするから」

父親の言葉に「ええ、お伺いします」と笑って答える絵梨菜の笑顔はやっぱり可愛い。
店に来るなら是非とも優が接客をしたいくらいだった。

「じゃあ」と新井が言って、「失礼します」と振り返りながら言った絵梨菜の背中が人ごみに消えていく。

「夕飯にはまだ早いな」

「そうね」

「お茶でもするか?」

ずっと新井たちが去った方向を見ていた優に父親が問いかけ、びっくりして体が跳ねた拍子に持っていた缶ジュースを落ちてコロコロと転がった。

「あらあら」

そう言いながら缶を拾い上げる母親も、三十代後半になったばかりだというのに何となくおばさんくさい。

父さんのこと、言えないじゃないか……

そう思うと頬が緩んだ。

「はい。どこかで飲むより、そこのベンチで缶コーヒーでも飲まない?」

優に拾った缶を渡しながら母親が言い出す。
その言葉にさっきまでの優だったら「勘弁して!」と言ったはずである。
けれど、先ほどの新井の言葉のお陰か、何となく優もそうしたいと思ったのである。

『初めて行った店なのにその雰囲気に憧れて…』

何となく、胸の辺りがくすぐったくなる言葉だった。
ついさっきまで一緒に出かける云々で恥ずかしくて嫌だとか、こんなところを誰かに見られたら…などと思っていたのに、新井の言葉で「自慢の両親」にまでなろうとしている。

「そうだな。じゃあ、買ってくる。ユキは?いつもの缶コーヒー?」

「うーんと……紅茶がいい」

「了解」

出かける前にリビングで見た父親の背中も大きかった。
だけど、今はもっと大きく、そして温かみを感じる背中に見える。

「座ろ」

父親の背中をぼーっと見ていた優の耳に入ってきた母親の声に促され、正面の大通りに面したベンチに腰掛ける。
たくさんの人たちが歩いているのが見える。
目の前にある大きな窓は、マジックミラーになっているから、優からは見えても向こうから優のことは見えない。
それが不躾な視線を送っても気兼ねせずにいられる安心感からかその動きをじーっと見てしまう。
優たちのような家族連れもいれば、さっきの新井たちのようなカップルもいる。一人で歩いている人も多い。
みんなどこに向かっているのだろう?それとも帰るのだろうか?
ふとそんなことを思った。
優たちはきっとこの後、馴染みの中華料理店に行って、優は大好きな酢豚を食べるのだろう。
あそこの家族連れはたくさん入ったスーパーの買い物袋を下げているから、これから帰って食事の用意をすると思う。
あのカップルは二人でいるのが楽しそうだから、きっとその先に目的がなくてもよさそうだ。
あの人は今日も仕事をしているのかな?早足で歩いて、腕には書類封筒を抱えている……
そんな風に街の中をみることが今までなかっただけに、人の動きを見ているのは楽しかった。

「お待たせ」

「あれ?ホットにしてくれたの?」

「うん。こういうときのユキって、あったかい方が落ち着くでしょ?」

「うん。ありがとう」

母親の好みを完璧に理解した父親。
目の前を歩く人たちの中に何人いるだろう?
新井の言葉に少しだけ優越感に浸って、そんなことを思う。
優も缶ジュースのプルタブを上げて、一口含む。
オレンジジュースは少しだけぬるくなって、そしていつも通りに甘酸っぱかった。





「優、欲しいものはないのか?」

缶ジュースも飲み終わり、さっきの自動販売機の横に置かれたゴミ箱に缶を捨てていると父親にそう尋ねられ、8階にある本屋に行きたいと告げた。

「また漫画?」

母親に聞かれ、「違うよ、参考書!」と言ったけれど、本当は漫画が欲しかった。
エレベータに乗り、目的の8階につく。
商店街の中にも本屋はあるのだが、小さな本屋で、優が集めている漫画はそこで事足りるけれど、ここの本屋はその本屋の倍以上の本を取り扱っている。
何か新しい発見があるかもしれない!と漫画コーナーに足を向けると、すかさず母親が「参考書はあっちだって」と、天井からぶら下がった案内表示を指差す。
どうやら本当に参考書を買わなければならないらしい……いや、その後でさりげなく漫画コーナーに行けば…と、先を行く両親について参考書のコーナーに入ると、突然父親が足を止めた。

「あれ?」

「ああ!お久しぶりです!長谷川さん!」

本屋の中であるまじき大声で挨拶をし、大股でその人物に近づいていく父親のその姿に優は内心びっくりしていた。







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