時計台の鐘が鳴る 27





「新井くん!」

父親の叫ぶような声が聞こえて、すぐに火を止めて駆け寄っていく大きな背中が一瞬見えていた姿を遮った。最初に思ったのは、

あ、新井だ

と、ごくごく当たり前の事だった。
けれど、その直後、久しぶりに見る新井の姿に、ドカーンとかピカーンとか……とにかく雷にでも打たれたような衝撃がきて、弁当ガラを前にして、弁当に詰めていた卵焼きを握りしめたまま、両親と新井が言葉を交わしているのをただただ見つめていた。

「お父さんは大丈夫?」

「あ、はい、いや、えっと……あの、すっかりご無沙汰してしまって……更には大変なご迷惑を……」

父親の言葉に言いづらそうに顰めた顔の顎のラインが少しスッキリとしているように思う。言いながら差し出した紙袋には菓子でも入っているのか「気を使わなくても良いのに……」と言いながら父親がそれを受け取る。

「あの……話があって」

「うん。あ、ごめん!今、注文が入っててちょっとばたついてて……」

その父親の言葉にひょいと首を伸ばして厨房を見た新井と目が合う。それにもうまく反応出来ないでいると、新井がフッと頬を緩めた。いつもの意地の悪そうな嫌な笑いではなく、眉毛が下がって困ったような笑い顔だった。

「すみません、お忙しい時に……」

新井の恐縮した言葉にちらっと時計を見た父親が「あんまり時間があるわけじゃないけど」そう前置きをして、新井を伴って厨房を抜け、住居部分に向かう。それを目で追っていると、

「優ちゃん、後ろがつっかえちゃうわよ」

笑いながら言われた言葉に、流れ作業で進んでいた列を止めていたことに気づき、慌てて作業に戻った。










「優、寂しいのはわかるけど、もうちっと早く歩けねぇ?」

少しだけ前を歩く細い背中が大勢の人ごみの中に紛れそうになるのを優は必死で追いかけていた。
そうして追いついて隣に並んだと思ったら、そう言われ、優は「寂しくない!」と暑さだけではない頬のほてりを感じながら睨むように見上げて反論の声を上げる。
だけど、その声も通り過ぎる人の流れに乗って、後方へと連れ去られるような気がした。

「かわいくねぇの」

「別に可愛くなくても良い。重いから遅くなるんだってば……」

止めどなく流れる汗を手の甲で拭いながら言うと「さっき1つ持ってやったろうが」と新井も汗を拭いながら言った。

「そ、そうだけど……」

ぶつぶつと言いながら両手に持った袋は新井が持っているのと合わせると合計6つ。
保温素材のあったか亭うららのロゴの入った特製のバッグは容量も大きくて、幕の内弁当が合計で8個も入る大きさで、肩に掛けられるから安定感がある。だけど、多くが入るということは、それに伴って重くなるということだ。
少し前にどうしても重くて、散々な言われようをしたが新井が1つ持ってくれて、優は両肩に1つずつになった。軽くなったのだから歩みは早くなるようなものだけど、気持ちの部分がそれを阻んでいるように感じる。
父親と新井が厨房の奥へ消えていたのはほんの5分ほどの間だった。いつもはかしましいおばさん達も作業に追われて忙しいからか私語を慎み、黙々と弁当を仕上げていく。だからなのか余計にその静かな空気が優の不安を煽った。
何となく予感はしていた。
だけど、予感をしていただけで決定はなかったのだ。
だから、厨房へ現れた父親が「新井くんがバイトを辞めることになりました」と言った時、やっぱりと思う気持ち半分、嫌だと思う気持ち半分だった。

「短い間でしたが、お世話になりました。それと、ここのところ、ご迷惑をお掛けしてすみませんでした」

そう言って頭を下げる新井が、優に見せる顔ではなく、どこか余所行きの顔で言っているのも知らない人みたいで嫌だった。
それでも、この街に住んでいれば会う機会もあれば、弁当を買いに来ることもある。はたまたちゃっかりとしたところのある新井のことだから、ご飯を食べに来ることもあるかもしれないと思っていたのに、新井は当分地元に帰るらしい。
仕方のないことだ。
大変なのは新井で、お父さんの体の具合が良くなるまでは実家にいなきゃいけないと言うのも何となく理解出来る。
頭では理解出来るのに、気持ちの部分がどうしても嫌だと訴える。
それがどこからやって来ている感情なのか認めちゃいけない気がして、そうでなくても重たい荷物が複雑な感情で更に重くなった気がした。

「はあ、やっと河川敷……なんて人?」

思考の渦にはまりながら、河川敷に向かう土手を登る。
見た感じはそうでもないのに、傾斜は急でちょっとずつ開いていく二人の距離を必死につめて登り切ると、そう聞かれる。

「予約の人?由美子お姉ちゃん」

「誰だよそれ?」

「あ、父さんと母さんの友達」

「ふーん」

切れた息を整え、肩からずれて来てしまう荷物をかけ直してズボンのポケットを探る。
父親から渡された携帯電話を取り出し、時間を確認すると5時45分を少し過ぎていた。
由美子お姉ちゃんの顔は知っているし、父親の携帯電話に番号も登録されている。
約束の時間に間に合ったのは、挨拶を終えた後、新井が手伝ってくれたからだ。
両親は良いと遠慮をしたけれど、ここの所の無礼を詫びる意味と、今日は時間があるからと言って手伝ってくれた。

「もう来てるのか?」

「うーん……電話してみる」

多くの人がこれから始まる花火のために河川敷を訪れる。
良い場所を取ろうと我先へと急ぐ人もあれば、河川敷に並ぶ出店をひやかす人もいる。
その中に由美子の姿は見つけられず、人の事は言えない容姿をしているのに、「小さいからなぁ」と思わずこぼすと、新井がぷはっと吹き出した。
それを睨みながらも端に寄ってバッグを地面に置き、携帯電話から登録された番号を押すと、すぐに由美子は出てくれ、その後すぐに頼まれた若い男性社員が二人取りに来てくれて、配達は無事終了した。




「さて。んじゃ行くか!」

汗でべったりとなった頭をぐしゃりと新井に撫でられて、これでさようならなんだ……と一瞬落ち込みそうになった優の目の前に、ぴらっと封筒が掲げられる。

「……何それ?」
たっぷり30秒は見つめてから本当に意味がわからなくて問えば、「武志さんがくれた。優と花火でも見てやってって」と言う。

「え?」

「本当は行きたかったんだろ?」

「うん」

勢いで返事をしてから、子供だと馬鹿にするかと思った新井は、ははっと笑いを漏らしただけだった。

「迷惑かけました〜つったら、礼は優に言ってくれって。俺が来られなかった間、お前が手伝ってくれたからっつって」

「父さんが?」

「うん。文句も言わずに手伝ってくれたって」

「そうなんだ……」

「ほれ、何食いたい?花火まであと1時間しかねぇぞ」

「えっ、えっと、イカ焼きとリンゴ飴ととうもろこしと、それから……えっと」

「はは。後は途中で考えな。とりあえず、イカ焼きから行くか」

「うん!」

そうして宣言通りにイカ焼きを買い、次にリンゴ飴を買って、とうもろこしを買う。
自動販売機の方が安い缶ジュースを散々迷っていつものオレンジジュースにして、「内緒な」と言って新井はビールを買った。
スーパーボールにするかヨーヨーにするかを迷って、ヨーヨーにした辺りで、夜の帳が落ち始め、以前父親に教えてもらった、とっておきの場所に思い出しながら向かっている途中で花火の一発目がドドンと上がった。
すれ違う人たちが一瞬止まって夜空を見上げる。
大きな大輪の花は、パラパラと音を立てて散った。
夜店の灯りが遠のいた少し小高い所にある神社の階段は、少し遠くなるからか、人気がなく、中腹辺りに座って正面に見える絶景のポイントだった。
新井より一段高い所に座って、上がる花火をとうもろこしに齧りつきながら見る。
宏や竹波はクラスの連中と下で楽しく見ているのだろうか?と考えているところで、新井が振り返って、買ってきたものの袋を漁る。

「とうもろこし、うまいか?」

「うん。おいしいよ」

「どれ」

優の囓っていたとうもろこしを優の手ごと掴んでがぶりと一口残しておいた真ん中に齧りつく。

「あーもうっ!そこが一番おいしいから最後にとっておいたのに!」

「じゃあ、間違いねぇじゃねぇか」

「バカ!返せ!」と言いながらパチンと叩くと、「飲み込んだから返せませんー」と小学生みたいな答えを言って、はははと笑ってくるりと背中を向けた。
それでも「返せ!」と再び肩の辺りを叩くと「お!優、もうちょっと右」と今度は肩たたきを要求される。
そうしているとまた花火が上がる。
新井の金に近い茶の髪が、その度に花火の色に染まる。
それがことのほか綺麗で優は一瞬見とれた。
ドドドドンと一際大きな花火が立て続けに上がり、わーと歓声が上がる。
そして、煙が残って見えにくくなるのを防ぐための休憩になった。






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