時計台の鐘が鳴る 21





その笑いに釣られるようにして笑う。
喉が痛くてひーひーと引き笑いになったけど気にせずに笑う。
ぎこちない感じで長谷川も笑い出す。
公園の中に無意味に笑う声が響く。
涙と鼻水と汗でぐちゃぐちゃの顔で、きっと後々まで宏や竹波にからかうネタを提供してしまったけれど、泣いてスッキリした分、笑いたかった。
ひょっとしたら長谷川もそのうちネタに使うくらいに仲良くなれれば良いのに……
そんなことを思いながら、げらげらと笑っていると、「やべぇ、今何時だ?!」と我に返った竹波が声を上げた。
その声にみんなの笑いが一瞬にして静まった。

「9時過ぎだね」

腕時計を見ながら冷静に答える長谷川に「マジで!?」と宏と竹波の声が重なった。

「帰るぞ!」

宏の声を合図にして一斉に公園の出口へと急いで向かう。
方向の違う竹波が「じゃあ俺、こっちだからぁ」と手を振りながら反対の方向へ足を向ける。
「バイバイ」と言うと「じゃあな!」と言って一度背中を向けた竹波がくるりと振り返り、

「優!月曜に学校でな!」

ニカっと笑って言われた言葉に、そうだ、もう学校に行かない理由がないのだと思う。
何となく気恥ずかしくもあったけれど、その声に「うん」と返すと、今度こそ本当に竹波は住宅街の暗い道を遠ざかっていった。

「よし、俺らも帰るぞ。長谷川は駅の南側だったよな」

宏が問いかけると「うん」と長谷川が返事をした。

「時間、大丈夫か?」

「大丈夫。塾に行ってると思ってるから」

「そうか」

長谷川と宏の声を聞きながら、気持ちを表すように少しだけ後ろを歩いていた優は、新井のアパートへと繋がる道で別れようと足を止めた。

「じゃ、じゃあ、俺こっちだから」

ぎこちない声が出た。
その言葉に二人の足が止まり、振り返る。

「何で?」と問う長谷川の声に宏が被せるように言ってきた。

「優、もう帰ろう」

「……え?」

きっぱりと言い放つ宏の強い視線が突き刺さるようだった。

「もう良いだろ?」

その目のままで問いかけられて、言い淀んでしまう。

「いや……でも……」

「武さんもユキさんも店では笑顔で頑張ってるけど、やっぱり元気がなかった……」

「……」

「もういいじゃん。……きちんと話もしてないんだろ?」

「うん……そうだけど……」

言いながら俯いてしまう。
帰りたくないわけじゃない。
父親や母親のことを嫌いになったわけでもない。
寧ろ今でも大好きだと思う。
帰りたくない理由を聞かれると、今更、気恥ずかしいという思いが一番大きい。
どんな顔をしてあの二人に会えば良いのかがわからない。
一番近い存在と思っていたのに……
きっとたくさん傷つけて悩ませて困らせてしまったと思うから。
いつかは戻らなければならないのだから、早いほうが良いのはわかってる。
父親と母親がこれ以上気落ちしない為にも、早く帰ったほうが良い。

「良いチャンスだと思うけど?」

追い打ちをかけるように宏に言われて、目をキョロキョロとさせて、それでも帰らなくても良い理由を探してしまう。

「内山くん……家を出てるのか?」

そこに探るような声音で長谷川が聞いてきた。
ゆっくりと視線を合わせると、「僕のせいで?」と申し訳なさそうな目が眼鏡の奥から覗いていた。
「い、いや!長谷川のせいじゃないよっ!」と取り繕ってみたところで、宏からすげない視線を送られる。

「長谷川のせいじゃないけど……」

言いながら、事の発端は長谷川のせいだろうと思う。
でもここまで拗らせたのは、完璧に優のせいだ。
父親と話をするチャンスから逃げ出し、その後も両親を共に遠ざけたのは他の誰でもない優なのだ。

「俺も一緒に行ってやるから」

止まった言葉の先を予想したように宏が言葉を重ねてくる。

「……でも……」

「あーもうっ!何ウジウジしてんだよ!ここで帰らなかったらいつ帰るんだよ!行くぞ!」

そう言って宏が優の腕を取って歩き出す。
一瞬たたらを踏んで前につんのめりそうになったけれど掴んだ宏の腕がびくともせずに優を引っ張る。

「待ってよ……待てってば……」

宏の腕が、言い訳のように優の口からついて出る言葉の通りに振り払うことの出来る強さになっても、優はそれを放すことなく掴まれたまま歩みを進めた。
宏が連れて行くから……仕方ない……
そんな言い訳を用意してくれている。
こんな風に心を察して手を引いてくれる幼馴染のことを頼もしく思った。










「すーーーっ……っはぁ〜」

思いっきり息を吸って、腹の底から吐き出す。

「いいか?」

「待って!まだっ!」

「……っもう、何回目だそれ?」

「僕も行く!」と言う長谷川を遅くなるから、余計ややこしくなるからと丁重に断って、宏と二人で優の家の玄関の前に立ち、インターホンを押そうとする宏の行動を阻止すること数回。
うんざりと言った雰囲気をまざまざと浮かべた宏の声が暗い商店街の裏道に響く。


「だって、まだ心の準備が出来てない……」

「もう10時、来そうな気がする……俺、怒られるの決定だな」

「あ……ごめ」

ピンポーン♪

「はっ!何してんの!?宏!」

「押しちゃった」

「押しちゃったじゃない!」

そう言ってる先から玄関のドアの向こうからドタバタと階段を駆け下りる音がする。
そしてその勢いのままバタンと大きく外側にドアが開かれる。

一瞬びっくりして飛び跳ねたのは優と宏だけではなく、ドアを開けた張本人の母親も同じようだった。
その顔が信じられない物でも見るように目が見開かれ、思わずといった様子で「ゆう」と口から零れる。
心の準備が出来ていたような、出来ていなかったような優からすれば、久しぶりに見る母親の顔は何となく頬がこけたような気がした。

「か、母さん……あの……そのっ……」

言葉に詰まって俯いてしまうと、

「優!良かったぁぁぁ……」

叫ぶように言った母親に優は抱きしめられていた。
ふわりと包むように香るのはシャンプーの匂いでも香水や化粧品の匂いでもなく、揚げ物をする油の匂い。
父親と母親からする匂いはいつもこの匂いだった。
香ばしい匂いはお日様の匂いに似ている。
ぎゅっと力を入れて抱きしめられると、幼い頃に戻ってしまったような感覚に陥る。

「あー…良かったぁ……」

耳のすぐ横で聞こえた母親の言葉に、徐々に意識が覚醒してくる。
そっと体を離そうとしたその時、「あ、あのぅ…」と遠慮がちな宏の声が聞こえたから一気に腕を伸ばして母親との距離をとった。
その態度に一瞬眉間にシワを寄せた母親と目が合う。
だけどその後すぐにハッとする表情をして「宏くん!」と大きな声を出す。

「な、なんですか?」

どもりながらも返答をする宏に「お父さんとお母さんが探してるのよ!」と優を放り出すような形にして今度は宏の肩をガシリと掴んだ。

「え?え?なんで?」

ぶんぶんと揺さぶられながら宏が問うと「こんな時間まで帰って来ないって!」と未だに揺さぶりながら返事をする。
そうして「急いで連絡してあげなきゃ!」と優同様、ポーンと音がしそうな勢いで宏の肩を放すとポケットから携帯を出して母親が宏の家に連絡を始める。

その一連の流れを優と宏はただただ呆然と見ていた。
呆気に取られて……



帰るときは、もっとこう……なんて言えば良いのかわからないけれど……もっとシリアスな場面を想定して、心の準備をしておかなきゃと思っていた。

なのに、このドタバタとした雰囲気は何なのだろう……



「もしもし?岸田さん?宏くん見つかった!うん、うん……優と一緒に帰って来て……え!?ちょっと待って」

弾丸のように話をする母親が携帯の通話口を抑えながら「代わってって言ってるけど……どうする?」と宏に尋ねる。

「えー……怒ってますか?」

「もちろん」

「あー……出たくねぇな……」

そう言って宏は頭を抱えてガシガシと掻き回す。
本気で代わりたくない空気がアリアリと伝わって来たから、優は「貸して」と母親に手を差し出す。
数秒母親と見つめ合う。
ついさっきまで会うことすら戸惑っていたことを思い出すと、なんだか不思議な感じだったけれど、さっき宏は優の心を察してくれた。
今度は優がそれをする番だ。
これくらいじゃ、全然足りないけれど……

「……わかった」

そう言って優の手のひらに母親の携帯電話が渡される。
ゴホンとひとつ咳をして「もしもし?」と告げると同時に『あんたどこで何してたのよっ!!!』と叫ばれて思わず携帯を遠ざけてしまった。
耳がキーンとする。
その漏れ聞こえた声に宏が苦虫を噛み潰したみたいな顔で優を見る。
一瞬竦みそうになる気力をもう一度振り絞って、「優です」と告げると『あれ?優ちゃん?』と宏の母親は声音を変えて言ってきた。
それに苦笑を漏らしていると『宏に代わってくれる?』と言われる。
すっと息を吸って、

「あの……すみませんでした。俺が……」

そこまで言った時、宏の母親は優が今どういった状況にいることを知っているのだろうかと疑問に思ったから母親を見ると、唐突に携帯が奪われた。
使えないわねぇと言う顔をして優を見る。

「あ、岸田さん?もう遅いから宏くん家に泊まってもらうわ。え!?ううん、ほら……うちの優が」

と言いながら、家の中に入りなさいと手で合図をされる。

せっかく、さっきの借りを返そうと思ったのに!と思いながらも、大人には大人にしかわからないことがあるのかもしれない……と気持ちを切り替え、宏と連れ立って玄関に入る。
パタン……とドアを閉めると、優も宏も一気に力が抜けて「ふう」と息を漏らした。
タイミング同じくして出した吐息に、「助かった〜」と笑いながら宏が靴を脱いで戸惑うことなく玄関に上がる。
だけど、優は何となくすんなりとその動作が出来なかった。



帰って……来たんだ



2階のリビングへと繋がる階段を見上げて、家の中に充満する懐かしい内山家の匂いを肺いっぱいに吸い込んでふうと吐き出す。

「優?」

トントンと音を立てて階段を昇りかけていた宏が振り返って声を掛ける。
目が合って、何となく照れくさくて笑みを浮かべると、宏はそこで立ち止まって優を見下ろしたまま言った。

「ここはお前ん家だろ?」

当たり前のことを言われて、一瞬きょとんとしたけれど優は笑顔で「うん」と答える。
靴を脱いで上がろうとしていると、通話が終わったのかガチャリと音を立てて玄関を開けて母親が入ってくる。

「何してんの?こんなところで?」

「あっ……いやっ、そのっ」

優が歯切れ悪く発言していると、

「あ!ご飯食べた?」

と宏と優の顔を交互に見ながら聞いてくる。

「いえ……まだです」

宏が腹を抑えながら言うと「じゃあ、ご飯食べようか!」と勢い良く母親が靴を脱いで宏の背中を押しながら階段を昇って行く。
「そう言われると急激に腹が減ってきた…」と言いながらリビングに姿を消す宏を見ながら、優は小さく「ただいま」と零す。
聞こえていないと思っていたのに、リビングの入口でくるりと振り返った母親が「おかえり」と言った目尻にきらりと光るものが見えた気がした。







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