時計台の鐘が鳴る 19 一瞬の間が空き、顔を見合わせると野次馬根性を浮かべた竹波の好奇心に満ちた目があった。 「見たい!見たい!」と口ほどに語る目に眇めた視線を送っていた宏がはぁと諦めたような溜息を吐き出し走り出す。 それに釣られるようにして走り出すけれど、リーチの差なのか運動神経の差なのか……いや、どっちもだ。 宏が角を曲がり、次に竹波の背中が消え、少し遅れて優が曲がったところに、夕暮れに明かりを放つコンビニが見えてくる。 その手前の駐車場で、何かを取り合うようにして揉めている二人がいた。 薄暗くなり始めた駐車場は、店内の明かりを背に受けているからか二人の詳細は影となってよく見えない。 先頭を行く宏の背中も黒い塊に変わっていく。 「ほら!渡しなさい!中を見たらすぐにわかることだろっ!」 「だから、僕は何も盗ってませんっ」 さっき角を曲がる前同様に聞こえていたおじさんの怒号とさっきは聞こえなかったが反論をする弱々しい男の子の声。 何かの事件なのかと焦って走っていたけれど、これだけの会話で何が起きているのかわかり、歩みへと足を変える。 たぶん……万引きだ。 商店街でもつい先日、会合が開かれるほどに頻発しているのだ。 ひょっとしたらこの一連の騒ぎの張本人かもしれない…… そして、その会合があった日。 あの時の父親の顔が浮かんで、次いで状況を思い出す。 日が経つほどに薄れていたはずの父親の顔をまざまざと思い出して優の歩みが遅くなる。 「うわっ、万引きかよ…だせーな」 言っていることとは裏腹に少し前を歩く竹波の声は弾んでいる。 ダサいのは捕まったことではなく、万引きという行為をしたことだ。 商店街で商いを営む家に生まれた友人を二人も持てば、竹波の思考が優たちのようになってしまうのも仕方ない。 いやいや、決して悪い方へと向かっている訳ではないのだから、良いことなのだ。 これ以上近づくことを躊躇われたようで、先頭を行っていた宏が少し離れた場所で足を止めた。 買い物を終えた客たちもそんな場面に出くわし、優たち同様好奇の眼を向ける者もいれば、そそくさと立ち去る者もいる。 そろそろ帰宅時間だから、通りを歩く人々はまばらながらも何事か?と振り返ったり、チラッと見て、見てはいけないと思うのか、視線を逸らして通り過ぎて行く。 さすがに足を止めて見る者はいないけれど…… 「しかもあれ中学生……あれ?」 急にトーンの変わった竹波の声に沈みかけていた顔を上げる。 徐々に暗くなるに連れ、コンビニの明かりが辺りを照らし始める。 見えにくくなっていた視界が暗くなるのに開けていく感覚を味わいながら、未だにもみ合う二人を見つめた。 見慣れたコンビニの制服を着たおじさんと、中学生らしき人物は土曜日だというのに白のシャツに黒いスラックスのようなズボン。 はっきりと視界に入れれば、いつもは定位置のように座っている眼鏡が、もみ合ったからなのか少しずれている。おまけに髪も乱れている。 だけど、あれは正しく…… あ……と声を上げそうになった優より先に更に前にいた宏がもみ合う二人に駆け寄った。 慌てて優と竹波も歩みを進める。 「長谷川!」 普通、こういった時に声をかけるのを躊躇うものであるが、そういうところがないのが宏なのだ。 「なんだい君はっ!」 「き、岸田くんっ!」 急に邪魔が入ってびっくりしたのか長谷川の声は裏返っていた。 そして、徐々に近づく竹波と優を見て、いつもは眼鏡の奥に潜んでいてあまり存在を主張しない細い目がまんまるにはならないけれど大きく見開かれる。 「友達か?」 「はい、同級生なんです」 未だに目を見開いて動きの止まっている長谷川の代わりに宏が答える。 その声を聞いて、見開いていた目を隠すようにして長谷川が俯いた。 それと同時に手から鞄が離れ、しめた!と言わんばかりにおじさんが鞄を引き上げ、長谷川の腕を掴んでコンビニの中へ入ろうとする。 そんなおじさんの行動に咄嗟に腕を掴んで宏が問いかける。 「あの!長谷川が何か……」 「長谷川って言うの?うちの商品を万引きしたみたいだから、鞄の中を調べさせてもらおうと思ってね。君も事務所まで来て!」 後半の言葉は有無を言わさぬ強い口調で長谷川に言い、引きずるようにしてコンビニへと向かう。 そんな二人の背中を見ながら、呆然と立ち尽くしていると、納得がいかないという感じで宏が急いで二人の後を追った。 「待ってください!そいつは……長谷川はそんなことをするような奴じゃないんですっ!」 「そんな奴じゃないって……でもね!私はこの子が鞄の中に入れるのを見たんだよ!」 「何かの間違いです!な?長谷川」 「……」 一瞬にして、しんと辺りが静かになったような気がした。 少し離れた位置を走る電車の通り過ぎる音が大きく聞こえる。 この状況で何も言わないってことは…… 肯定している。 つまり、自分は万引きをしたというのを認めたのと同じだった。 「ほら見ろっ!行くぞ!」 おじさんの声には、確信を得たことによる得意気な響きがあった。 腕を取られて長谷川がコンビニへ連れて行かれる。 その姿を見送ることしか出来ない。 後味の悪さを感じながら、ただただ嘘であって欲しいと願うような気持ちが湧き上がる。 敵意を剥き出しにして言われた言葉を忘れたわけじゃない。 失礼だと思う態度を取られたことも決して忘れたわけではないけれど…… 万引きは立派な犯罪だ。 泥棒と同じ。 それを、同級生がしてしまったなんて信じたくなかった。 ちゃんと向き合って接したことがないから良くはわからないけれど、数少ない接点しかなくても長谷川が優等生を絵に描いたような人物だということはわかった。 たまたま出くわしたデパートでの件を思い出せば、父親にしても同じようなタイプだ。 そうだ、あの父親…… あの父親に知られるようなことがあれば、長谷川はいったいどんな叱られ方をするのだろう…… きっとすごく怒られそうだ。 ひょっとしたら叩かれたり、殴られたり、蹴られたり……優の想像を超えるようなことをされるかもしれない…… 本当はしてしまったのかも…… でも……それでも、どこかで長谷川がそんなことをするだなんて思いたくなかった。 各々で考えを巡らせていたから、結構な時間が経っていたのかもしれない。 「俺、やっぱり行ってくる」 こんなとき、誰より先に行動に移すのはいつも宏だった。 「じゃあ、俺も行く〜」 その言葉を待ってたんだよ〜、宏、なかなか言ってくれないんだもん。と言外に含んだ目線で言う竹波を見ると、さすがに自分だけここに残る選択は出来ない。 「じゃあ……俺も」 「よし!長谷川救出作戦だ〜」 竹波の声を聞きながら、それでも本当に長谷川が万引きをしていたらどうしよう…… コンビニへと向かう中、きっと三人ともが同じような不安を抱えていた。 解放されて公園に着いたときには日はとっぷりと暮れていた。 小さな電灯が所々にしかないから、公園の中は明るいとは言えなかった。 だけど、こういう時は……その方が良いのかもしれない。 ぐずぐずと鼻を啜る音だけが聞こえていた。 「まぁ。ほら、良かったじゃん……色々と一件落着して」 人が四人もいるのに誰も言葉を発しない状況に耐えられなくなった竹波がとりあえず言ってみたという感じで言葉を発する。 せっかくの糸口を無駄にしてしまうのも悪いので、優もとりあえず言葉を発してみる。 「……気にしてないから」 「何が!?」 さっきまでの沈黙を切るような強い言葉だった。 泣いている長谷川を目の前に、どうにか泣き止んでもらおうと、とりあえず言った優の発言が気に入らないと大きな声を出したのは宏だ。 「何がって……」 「バカ!学校だって休んだんだぞっ!!気にしろよ!」 色々と宏が思うところを抱えているのはわかる。 優だって、きっと竹波だって、当人の長谷川だって抱えているだろう。 だけど……普段言われ慣れていない言葉がそこに存在していた。 抱え込んだ色々をポイっとまるっとどこかに放り投げずにはいられない言葉。 この言葉だけは我慢できない。 だって、賢い・頭が良い・勉強が出来る、宏に比べて。と小さな頃から言われ続けて来たのだ。 それを比べられていた宏に言われるとなると、優だって黙ってはいられない。 「バカって……少なくとも宏よりは頭は良いよ!」 「そういう問題じゃないだろ?」 「じゃあ、バカって言うな!バカって言った奴がバカなんだ」 「何を〜!!せっかくお前のために言ってやってんのにっ!」 「頼んだ覚えはないよ!宏が勝手に言ってるだけじゃないかっ!」 「うるさい!人のこ、こ、こうい?を素直に受け入れられないような奴はバカ以外の何者でもないっ!」 「厚意くらい漢字で言え!しかもまたバカって言った!もー、許せんっ!」 間合いをつめて、飛び掛ろうとした優を竹波が慌てて止めに入る。 「放せ、竹波!殴ってやる!」とジタバタとする優を、必死……とは言い難く、余裕と言うよりは必死な様子で竹波が後ろから羽交い絞めにする。 心の中で宏じゃなくて優で良かった。あんなデカイ奴を止めることなんて出来ない……とこっそり竹波が思ったのは内緒でありながら、公然とした事実だった。 「優!宏も落ち着けって。ほら長谷川がびっくりして止まっちゃったじゃないか〜」 言われてやっと長谷川の存在を思い出した二人は同時に長谷川を見る。 まるでぜんまいで動くロボットがぜんまいの旋回が終わって止まったみたいに、泣いている最中だったのか、幽霊のポーズで瞬きひとつしない。 今日はよく動きを止める。 ひょっとしたら本当にロボットなのかもしれない…… いや、涙も流せば鼻水も垂らす。 生身の人間ではあるのに間違いはないが、優に対していつも見せている顔が顔なだけに、そのギャップがおかしくて…… 「……っぷ」 やはりというか何と言うか…… 噴出したのは宏だった。 続けてがはははといつもの笑いが暗い公園に響き渡る。 一番最初に助けてやりたいと名乗りを上げ、一番最初にコンビニのおじさんに立ち向かい、一番最初に長谷川に対して憤った人物が、一番最初に笑いだしたのだ。 長谷川に、と言うよりも宏に振り回されているような気分になって、バカらしくて体の力が抜けた。 それと同時に竹波の拘束が解かれる。 それでも宏は笑っている。 やっと状況が把握できたのか長谷川が居心地が悪そうにして、残っていた涙と垂れそうだった鼻水を持っていたハンカチでぐいっと拭う。 「そ、そんなに笑うことないじゃないか!」 「そうだよ宏ぃ〜、あんまり笑うと長谷川くんに悪いじゃないかぁ」 まったく悪いだなんて思ってなさそうな軽い感じの竹波の声に反応し、そこで漸く宏が笑いを引っ込める。 あっけなく。 今までの笑いは演技だったのか? そう思えるほどにあっさりと真顔になった宏が、真剣な声で長谷川に言った。 「じゃあ全部。話してもらおうか」 [*前] | [次#] ≪戻る≫ |