時計台の鐘が鳴る 1





夕方6時前の小さな商店街は買い物帰りの客や、サラリーマンにOLでそこそこの賑わいを見せていた。
家路を急ぐ自転車のおばちゃんが前方からふらふらした様子で近寄るのを何とか交わし、内山優は走っていた。
入学式の前に切ってもらった髪がパタパタと目の横で跳ねる。
なんてことはない。
小学生のときから見続けているテレビアニメが6時から始まってしまうからだ。
アーケードの照明が点いているということは、5時45分は確実に過ぎている。
母親に似た細く小さな体は運動が苦手だった。
体だけではない。
どうしてこうも母親の方に似てしまったのかと恨まずにはいられない容姿は、女の子と間違えられることもしばしばだった。
おまけに買ってもらった制服は、小柄な母親とは対照的に185を超える父親の体格を考慮し、そして優本人の願をがんがんに掛け、少し大きくてダブついている。折り返すだけの裾あげの長さを思い出すと涙すら浮かびそうだ。
それでも絡む足を必死に動かし、ハアハアと息を切らして走る。

「優ちゃん、そんなに急いでどうしたの?!」

商店街の中ほどにある八百屋の青山青果店の逞しいおばちゃんには無言で通した。
「アニメが始まっちゃうから」なんてとてもじゃないけど恥ずかしくて言えない。

「優ちゃん、コロッケ一個持ってくかい?」

その隣の肉屋のミート藤井のでっぷりとしたおじさんの誘惑に心惹かれなくもなかったが、「また今度!」と一声掛けて、それでも恨みがましい目線を送る。

「優ちゃん、中学校慣れたかい?」

だけど、茶葉を売る木の葉庵のこのはが店先でお客さんにお茶を淹れている姿を見ると、話をしないわけにはいかなかった。

「っはぁ……うん、そこそこ!」

足は止めずにゆっくり走る。

「そう」

濡れたような黒髪は肩のあたりでまっすぐに切りそろえられ、やや切れ長の目にはそう多くはないが長い睫があり、鼻筋がすうっと通った線の細い和風美人。今日もすっきりと和服を着こなし、にこりと笑う。
一瞬、急いでいるのも忘れて見蕩れてしまう。

「そろそろ新茶の季節だからってお父さんに言っておいて」

「うん!」

急いでいることを思い出し、少しスピードを上げる。
間に合わないかもしれない。
最初のオープニングと前回のあらすじを説明する部分を入れれば2,3分なら過ぎても構わない。
商店街に備え付けられた時計台はまだ鐘を鳴らしていないから6時にはなっていない。
それからも商店街の脇道に入ったところにある『スナック キャサリン』のキャサリンや、優の家の向かいの『喫茶店 ジン』のジン、その隣のミート藤井の娘さんであるベーカリー藤井の八重子お姉ちゃんと次々に声を掛けられながらも、何とか自宅の前に到着したと同時に、時計台の鐘が優しい音で6時を告げる。

間に合った……良かった

ホッとするのも束の間。
ここからが実は勝負であったりする。
優の家は商店街の中で、手作りのお弁当を売る『あったか亭 うらら』。
健康を考えられたメニューや優しい味付けが、近くにある会社や仕事帰りのサラリーマンにOL、そして、ちょっと手抜きをしたい主婦の間で結構な人気なのだ。
昼時には行列も出来る。
ここで帰ってきたと見つかっては、手伝えといわれるのも予想がつく。
店の正面を通ると見つかってしまうので、裏道に入ったのが功を奏したのか、家で言えば玄関になるのだが、優の家では裏口と呼ばれるドアを開けて、ハアハアと息をするのは隠せないが、それ以外の音を立てないようにこっそりと階段を上ることが出来た。
店から「いらっしゃいませ」と言う母親の声と、大学生のアルバイトの声が小さく重なって聞こえる。
3階にある自室に入り、学校指定のバッグを下ろすこともせずにテレビの電源を入れる。
前回のあらすじを説明しているナレーターの低い声が響くのを聞いて、本当にホッと肩の力が抜けた。
手に持っていたバッグがするりと床に落ちる。
ベッドに腰掛け、テレビに目をやる。
そしてテレビから流れるアニメの声に混じって「ハンバーグ1つ」と言う声が聞こえ、それと同時に「いらっしゃいませ」と聞こえる。
混雑しだした証拠だった。





優の住む「時計台商店街」は、比較的新しい商店街だった。
名前の由来は、商店街の真ん中に時計台があるからである。
都市計画の一環で、寂れていた駅の北側を活性化する目的で作られた商店街である。
それでも15年ほど経ち、街の北側はそれなりに活性化し、商店街は定着した。
郊外に大きな駐車場を携えた郊外型のショッピングモールが乱立する中、定着して来られたのも商店街の人々の気が置けない人柄によるところが大きい。
優の家である「あったか亭 うらら」も最初の募集で名乗り出た一つだと聞いている。
優の母親の妊娠が発覚したとき、父親は当時していた店をやめ、弁当屋を始めた。
当初は、まだフランチャイズのチェーン店で、冷凍食品をふんだんに使ったメニューに疑問を感じ、優が幼稚園に入る頃、今の形の弁当屋になった。

「優〜、帰ってるの?ご飯出来たけどぉ」

階下から母親の声が聞こえたときにはアニメはとうに終わっていて、代わりに英語の教科書を開いていた。
午後8時半。
朝10時から午後8時までが営業時間の店では比較的早い時間の晩御飯である。
駅前ともあって、深夜まで開けておくことも可能ではあるが、なんせ手作りである。
一生続いていくであろうスパイラルを考えると、長く続けるために無理は禁物。
せかせかと働くのでなく、ずっと続けられる店あることが第一条件のようだ。
商店街のほとんどの店も、この時間には閉めてしまう。
開いていると言えば、スナックくらいだろうか。

「はーい、今行く!」

教科書をパタリと閉じた。
中学生になってから始まった英語はチンプンカンプンだった。
小学生のとき、イギリス人のマクドナルドさんと言う人が1ヶ月だけ来て、英会話を教えてくれた。
子供向けの英会話は楽しかった。だけど、文法となると別である。

頭を捻りながら住居部分である2階に下りると、既に食卓には料理が並んでいる。
野菜をたっぷり使った野菜炒めに、ほうれん草の土佐和え、ぶりの照り焼きに鮭の塩焼き、卵焼きにとりそぼろ、
白和えや酢の物に一つだけあるハンバーグと山盛りのコロッケとトンカツ、そしてキャベツの千切りにポテトサラダ……
何の祭りだ?と思われるけれど、これが内山家では当たり前の食卓である。
簡単に言えば、残り物だ。

「優は、何が良い?ぶり?鮭?それともハンバーグ?トンカツ?コロッケ?」

席について既にビールを手酌している父親に聞かれ、「鮭」とぶっきらぼうに答えて席についた。
4人掛けのダイニングテーブル。
先日まで3人で掛けていた。
だけど……

「あ、俺が注ぎますよ!」

父親の持っていたビールを取り上げ、向かいに座るアルバイトの新井が酌をした。
ありがとうなんて言いながら受ける父親に恨みがましい視線を送る。
優はこの新井が苦手だった。
今年高校を卒業したとは思えない風貌をし、少し癖のあるウェーブの髪は、金に近い茶色。
軽薄そうなイメージがするが、これでも国立大学に通っているらしい。
背はそう高くはなく、175センチくらいだろうか?色が白く、女受けするアイドル顔も気に入らない一つだった。
春までバイトに来てくれていた春日さんと言うおばちゃんが、旦那さんの転勤でやめてしまった。
それこそ優にとっては母親と同じような存在の女性で、両親が忙しいときには幼稚園まで迎えに来てくれたりもした。つまり、10年以上勤めてくれたベテランのバイトさんであった。
その春日さんがいなくなってしまい、店の入り口に「アルバイト募集」の貼り紙を貼ったその日、客として来た新井が「バイトをしたい」と願い出たことで、父親はすぐに決めてしまった。
この春から大学でこっちに来た自称苦学生の新井は、ちゃっかりした性格だったようで、閉店後の食事も込みになったようだ。
もちろん、優の店ではないので、それを嫌だとも言えない。

「優、お味噌汁出来たから運んで」

母親の声に、一度はついた席を離れる。
お盆の上には美味しそうな出汁の匂いをさせるお椀が4つ。
この味噌も減塩で有機大豆を使っていて、体には良い。
出汁もきちんと鰹節といりこで摂る徹底ぶりだ。

それぞれの前にお椀を置いて、優も食事を再開する。
席は新井の隣である。
やっと落ち着いた母親も父親の隣についた。

「ユキも飲む?」

「ううん、やめておく」

「そっか、残念」

「私を酔わせてどうするつもりなの?」

「そりゃあ……ね?」

「もう〜」

母親が照れて父親の肩を押す。
それすらも嬉しいようで、父親が鼻の下を伸ばした。
なんとも情けない顔である。
だけど、そんなことはいつものことである。
山盛りに盛られたコロッケを一つ取り、そのまま齧り付く。
ほんのりと甘みがあって、ほっこりとしていて、それでいて衣はサクサク……
夕方、ミート藤井のコロッケを食べ損ねたことを思い出し、あそこのコロッケはあそこのコロッケで肉が良い分うまいんだよなぁ〜などと考えていた。

「武志さんとユキさんって仲良いよな」

隣に座る新井の言葉に、コロッケを頬張ったまま無言で頷く。
出来るだけ会話は最低限にしたい。
でも、まったくしないのも両親に悪い。雰囲気を壊してしまう。
それくらいの気遣いは出来るつもりだ。
だから素っ気無く対応する。

「優、中学校はどう?」

頬張っていたコロッケをゴクリと飲み込む。
そこは新井と差をつけたい。

「……別に」

「英語がなぁ〜ってこの間言ってたじゃない」

父親の質問にぶっきらぼうに答える。
別に父親が嫌いなわけではないのだ。
どちらかと言えば、好きな方だと思う。
だけど、いかんせん思春期である。
小学校のときのようにべったりとへばりついて「遊んでぇ」などとはもう恥ずかしくて言えない。
それなのに、すかさず母親が真実を暴く。恥ずかしいじゃないか……新井もいるのに……

「……そうだけど……まだ始まったばっかりでよくわかんないよ」

「塾行く?」

「えぇー…」

父親の提案にすぐさま不満の声を上げた。

「宏くんは駅の南側の塾に行きだしたって聞いたけど?」

宏くんとは優と同い年で幼なじみである。
この時計台商店街で唯一の魚屋である岸田鮮魚店の息子で、女の子っぽい優と違って体も大きくて逞しい。小学生で既に160センチを軽く超え、今年中には170を超えるであろうと同級生の間では言われている。
優は150センチとちょっとだ。母親と同じくらい。これから大きくなるのだ。そう予定している。制服だって大きいのがすぐにぴったりとして、着られなくなるのも時間の問題だ。そう、心配はない!……はずだ。
運動が出来て、その分勉強が出来ない…子供の頃から何かと比較されてきた。
テストで優が良い点を取れば、宏が「優くんは……」と言われ、運動会で宏が活躍すれば、優が「宏くんは……」と言われる。
幼なじみの悲しい性である。そして、永遠のライバルだと言っても良い。
しかし、それなら尚更塾になど行くわけには行かない。

「塾なんて行かなくても大丈夫だよ」

「そう?」

「……うん」

ここで胸を張って、大きく出たいところであるが、さっき開いた教科書はチンプンカンプンだった。
慣れればどうにかなる。
要はわかるまで勉強すれば良いのだ。
それだけのことだ!
そう思っていた優の考えが、甘いと知ったのはそう先のことではなかった。
そして、唯一あった人気No.1のハンバーグをずうずうしくもこっそりと取る新井にも気づかなかったのである。







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