時計台の鐘が鳴る 17





少しだけゆっくりと浸かって、それでも湯はなるべく使わないように気をつけて風呂から出た。
Tシャツとハーフパンツで代わり映えのしない服装に、明日は土曜日だし、少しだけ外に出てみようかな?と思いながら、濡れた髪をタオルで拭きつつ脱衣所を出ると、寝ころんでいた新井が起き上っていた。
こういう場合って「お先に失礼しました」とかって言わなきゃいけないのかな?と思いながら、冷蔵庫に入っている水を取ろうと扉を開けた瞬間、「優」と新井に声を掛けられた。

「あ、お、お先に、しつれ、いーっ!」

言い慣れない言葉を口にしようとして、振り返った瞬間。思わず声を上げてしまった。
持っていた水の入ったペットボトルがガコンと音を立てて床を転がっていく。
ここの床が何となく傾いているのは知っていたけど、ころころと転がるペットボトルが結構な勢いなのを見て、近いうちに抜けるんじゃないのか?と、叫びながら場違いなことを思ったりしていた。

「これ、見た?」

ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべた新井が持っているのは、昼間掃除機をしまおうとして見つけた例のエロ本だった。

「見た?」

もう一度言って、立ちあがって、凶悪に性質の悪い笑みを浮かべて近寄って来る新井に、嘘だとばれるとわかっているのに勢いよくフルフルと首を横に振る。
その拍子に、濡れた髪が盛大に飛沫を飛ばしたけれど、気にしてはいられなくて、数歩後ずさった。

「見たよな?」

尚も首を振りながら後ずさると、腰の辺りに冷蔵庫がぶつかる。
これ以上後ろに行けないことを知ると、「み、見てないよ」と上ずった声がこぼれた。


「お前が風呂に入ってる間にしようと思って開けたら、場所が移動してた」

場所が移動したのは、掃除機が奥の方にしまわれていて、ついて出てきてしまったからどこにあったのかわからなかったからだ。
だけど……その前の言葉の方が問題だ!

「何、考えてんだよ!」

「はぁん?」

「俺がいるのに……しようと思ってたなんて……信じらんない……」

顔に血液が溜まっていくのを感じて首に掛けてあるタオルで口の辺りを隠した。
自分がいるのにそんなことをしようと思っていた新井に対して怒りにも似た感情が湧きあがったもの事実だったけれど……少しだけ、想像してしまった……一人でしている新井を……

「おっ前なぁ〜、18歳の健全な男子の性欲、何だと思ってんだよ……俺はずっと我慢してたんだよ、お前がいるからって」

「じゃあ、今だって、我慢すれば良いじゃないか!」

「何日やってないと思ってんだ!?」

「そ、そんなの知らないよ……」

「あの日だって、お前が来なきゃ……やれてたっていうのに……」

ぼそりと言われた言葉に、あの日という単語があって、瞬間的に絵梨菜さんが思い浮かんだ。
付き合ってるんだ。優と比べれば二人とも大人で、そんなことは付き合ってる二人には当たり前のことで……
だけど、ひどくショックだった。
やってるんだ……というその事実に、急激に新井が遠い人になっていくような気がして冷蔵庫に凭れたままでしばし呆然としてしまう。


「まぁ……それは良いけど。で、どうだった?」

優が今、考えていることなんて関係ないって感じで聞いてくる。
その無神経さに腹が立つ。
この時ばかりは、居候という呪文の言葉も思いつきもしなかった。
タオルを掴んでいた手を咄嗟に放すと、目の前まで来ていた新井の体を力任せに突き飛ばす。


つもりだったのに、突き飛ばす前に腕を取られて、余計に距離が近くなった。

「お前の動きくらい見てたらわかるんだよ。それより、なぁ、どうだった?勃った?良かった?」

「う、うるさい!不潔だ、大人なんて!」

「やってないのか?あっ!それとも」

キッチンの明かりは点けてなくて、6畳間の明かりを背負う新井の顔は暗い。
逆に優の顔は照らされていたはずなのに、新井の顔が近付いてきたから視界が暗くなった。
そうして出来た薄暗闇の中、新井が優の耳元に息を吐きかけるようにして囁いた。

「やったことないんだろ?」

ビクンと体が跳ねた。
言葉に…と言うよりも、耳の辺りに感じた吐息に、びっくりしたからだった。







確かに昼間、学校でやり方なんて教えてくれないと思った。
誰かに教えてもらうのかもしれない……とも。
だけど……だけど……こんな状況、望んだ覚えは爪の先ほどにも絶対にないっ!

「ほら、腰、上げろっ」

「やっ!もうっ……嫌だ、やめてっ」

「脱がせねぇだろうがっ!」

「だからやりたくないって言ってんだろっ!」

布団の上に向かい合わせで、間にはページを開いたエロ本と、脇にはティッシュの箱が置かれている。
さあ、どうぞと言われるような体制で、じゃあ、と言える人なんていないと思う。
さっきから新井が教えてやると言って、優のハーフパンツのウエストを脱がそうとしている。
その魔の手から逃れるために、狭い布団の上で逃げ惑っているのだが、これだけ騒げば隣がいてうるさいと壁を殴って来そうなものなのに、金曜の夜だからかまだ帰って来ていないようだった。
そうなると新井の手が緩むことはなく、いい加減優はゼエゼエと肩で息をしながら抵抗していた。
そうこうしているうちに、肩を押されて布団の上に仰向けにされる。

「えっ!?ちょっ、ちょっと待ってっ!」

いきなり倒されるだなんて思ってなくて、焦って起き上ろうとした優の動きより一瞬先に新井が優の太ももの上に馬乗りなった。

「重いーっ!嫌だー、やめてっ!」

「っち、手間ぁ掛けさせやがって……」

舌打ちの後、極道映画か時代劇の悪代官のようなセリフを吐いて、優のハーフパンツのウエスト部分を掴んで下着と一緒に一気に太ももまで引き下げた。

「なっ!何すんだよっ!」

大事な部分に手を当てながら叫べば、「うるせぇ」と耳を塞ぎながら言われた。

「だ、誰のせいだと思ってんのっ!」

「お前」

「な、なんで……どけてよ」

「だから教えてやるって」

「いいって言ってんじゃん!」

「遠慮すんな」

「してないっ!本心!本心!」

押さえている手を掴まれて、必死でそこを守り切ろうとした。
だけど力の差は誰が見ても歴然としていて、優の抵抗空しく手が取り払われる。

「いーやーっ!」

「うるさいって言ってんだろ?今、誰かが来たら、お前フルチンだぞ」

笑いながら言われて、その光景を浮かべてぞっとする。
悔しさでなのか、恥ずかしさでなのか、何が原因かわからない涙が瞼の縁に浮かんできた。
泣き出す一歩手前の優をよそに、新井がそこをじーっと見つめる。
悔しさもあるけど、やっぱりこれは……恥ずかしいっ!

「……うぐっ」

もう泣く!そう思った瞬間、

「あ!うっすら毛が生えてきてねぇか?」

「嘘!」

新井の言葉に、別の意味で涙吹っ飛んで、肘を支えにして上半身を起こす。

「ほら、これ」

言われて見たそこには確かに細い細い一本ではあるけれど、それは存在していた。
優でさえ気づかなかった体の変化をこんな形で知らされるはどうだろう?と思っていると、つつーっと指先で際どいところをなぞられて、ゾクゾクゾクゾクっと一気に駆け上がる感触があって、肩を縮めてそれを逃す。
だけど、その感触はなかなか体の中から出ていかなくて、身震いをしてしまう。
そして、そんな優の反応を見逃す新井ではなかった。

「ほら……ここも」

また、つつーっとなぞられる。

「……はっ…」

新井に腹や脇腹を擽られたことは何度もあった。
それは、兄弟がじゃれているようなもので、腹を抱えて、痛くなるくらい爆笑するものだった。
だから、こんな……こんな感覚は知らない。

「これもか?」

「はっ……んっ」

新井の指先が、皮膚の柔らかい部分を触れるか触れないかの感触で移動する。
そこからぞわぞわとした感覚が広がって、思わずぎゅっと手を握ってしまう。
肘で上半身を支えていたから、それに伴って、上半身も震えた。

「あ、らい……やめっ……」

「やめていいのか?」

「うっん……はぁっ!」

うんと言おうとしたところで、足の付け根の際どいところを指先が這う。

「……勃ってきた」

そう言ったかと思ったら、今度は手でそこをそっと包み込まれた。

「いやっ」

「ちょっと我慢しろ……すぐ良くしてやるから」

それは……少し掠れた、甘い声だった。
馬乗りになっていた新井が腰を浮かせて、優の上半身を起こす。
さっきまでなら、この隙に逃げてやる!と絶対に思ったと思う。
だけど、体の中に生まれた感覚や、新井のさっきの声が魔法のように体を支配していて、逃げだそうだなんて思わなかった。

抱き込むようにして優の背中を大きな手が支える。
体にうまく力が入らなくて、新井の肩に額を付けた。
そうすると、嫌でも手の動きが見えてしまう。それが嫌でぎゅっと目をつむって身を預けた。

「痛かったら言えよ」

また優しい声が耳元でして、優しくふにふにと揉まれる。
徐々に動きが大きくなって、新井の手の中で形が変わって、そのうちにどんどん熱く、硬くなっていく。

「あっ……んっ……んっ……」

小さな感覚が大きくなって、どんどん体の中に溜まっていく。
溜まって溜まって、風船を膨らますみたいに、それがいつか爆発するんじゃないのかと思うと怖くなる。
更に目をつむって、新井が着ているTシャツをぎゅっと掴んだ。

「我慢すんな……そろそろだろ?」

「あっ……こわ、い」

「大丈夫、ほら」

一際早く手を動かされて、先走りがグチグチと音を立てた。
恥ずかしくて、苦しくて、少しだけ痛くて、でも……我慢できないっ!

「んっ!」

火花が散った。
パチンと大きな音がして、チカチカと残り火を残す。
目の前が瞬いているような気がして、はあはあと肩で息をしながら、そのままの体勢で落ち着くのを待つ。

優の背中を抱いたまま、新井の体が動いた。
シュッと音がして、「やっぱ薄いな」と言った。
それが何の事だかわからない。
少しだけそこがジンジンと疼く。

「気持ち良かったか?」

余韻に浸っていたところで、無粋な新井らしいコメントに、一気に現実に引き戻された。

握っていたTシャツの手を放し、すぐに首元を掴む。
浮かんだ涙はきっとさっき達ってしまった時のものだけど、我慢できずに顔を上げてきつく睨む。

「なんてことをするんだ、バカっ!」

怒鳴った言葉に一瞬きょとんとした新井だったが、

「はぁっ!?お前が大人の階段を上るのを手伝ってやっただけじゃねぇか!」

「そんなの、頼んでないっ!どけてっ!」

掴んでいた手を突き飛ばすようにして離すと、新井の体が一瞬後ろにのけぞった。
その隙にハーフパンツと下着を手に取り、急いで立ちあがって履く。

「新井のバカっ!」

「お前の方がバカだろうが」

「うるさい!早く風呂行け!」

「言われなくても行きますよーだっ!」

そのまま掛け布団をひっつかんで頭からかぶって、新井に対して呪詛の言葉を浮かべるだけ浮かべて唱えていた。
だから、優は気づかなかった。
密かに新井が前かがみで浴室に向かっていたことを。
そうして逃げ込むようにして入った脱衣所で「俺、そっちもいけるんだ……」と呟いていたことを……









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