時計台の鐘が鳴る 13





「宏、まだ部活?」

「3時くらいには終わるって言ってたんだけど……」

ゲームセンターで一頻り遊んで、戦利品であるアニメのキャラクターのついたキーホルダーをくるくると回しながら、商店街に備え付けられたベンチに竹波と並んで座っていた。
夕方の商店街は、帰る人とこれから買い物をする人でごった返し、一番の賑わいを見せる。
そんな人波の中を自転車の前のかごにお米の袋を入れたおばちゃんがふらふらしながら自転車をこいでいる。
危ないなぁ〜なんてのんきなことを考えていたら、時計台の鐘が4つ鳴った。
宣言通り、ミート藤井のおじさんがくれたコロッケは、とうに胃の中に収まり、残ったのはいつものことながら忠告をしてくれたおばちゃんの言葉を無視して、揚げたての熱々を食べた名残の火傷だけだった。

「何か飲む?」

「うん」

返事をしてキーホルダーをズボンのポケットに突っ込んで立ち上がり、すぐ近くの本屋の前に備え付けられた自動販売機へと向かう。
店の前に止められた数台の自転車の間を財布から小銭を出しながら縫うように進んだ。
駅の南側にあるデパートの本屋に比べれば、小さく品揃えは悪いものの、それでも休日の本屋というのは混み合う。外の棚に並べられた週刊誌の前にも数人の大人たちがいて、立ち読みをしている。
開け放たれたドアから、エアコンの涼しい風が一緒に吐き出され、明るい店内が見える。
間口に比べて奥深くなっているのは、商店街の店ならどこも同じだ。
蛍光灯で明るく照らされた店内の出入り口付近、新書のコーナーでは父親と同じ歳くらいの男性二人が肩を寄せ合うようにしてビジネス書をパラパラと捲っているのが見えた。

「優、オレンジジュース?」

「あ、うん。いいよ、自分で買うし」

「いや、コロッケ貰えたの優のお陰だし」

そう言って、竹波がジュースを奢ってくれた。
「ありがとう」と言って、ガコンと音を立てて落ちてきたジュースの缶を取り出そうとしゃがみこんだ。

「あ」

竹波の声に立ち上がりながらそちらを見ると、休日だというのに白いカッターシャツに黒いズボン。
肩に大きな鞄を提げた、銀縁の眼鏡をかけた神経質そうな横顔……

「えっと……隣のクラスの長谷川だっけ?」

竹波の思った以上に大きかったその声に、びっくりしたのか、飛び跳ねるほどにビクリとしてからゆっくりと首を回してこちらを見る。

「なんだ……内山くんと竹波くん、か。びっくりするじゃないか」

自分たちだとわかると明らかにホッとして、相変わらず優等生らしい仕草で眼鏡の位置を直した。

「ごめん」

「まぁ。遊んでるの?」

悪いと思ったのか、竹波が謝罪の言葉を口にしたのに、どうでも良いように返される。
あの日、デパートの本屋で会ったときと同じような口元には笑みがあるのに、眼鏡の奥の細い目は冷たい視線を送ってきていた。

「あ、うん」

「そう……僕はこれから塾なんだ」

「へ、へぇ〜大変だな。日曜日なのに」

さすがの竹波にもその言葉に本来の意味以上のものが含まれているのを感じたらしい。
苦笑いを浮かべながら「頑張れよ」と言った。
それに「ああ」と答えながら、今度はしっかりと優の方に向き直る。

「内山くん。次のテストで僕は、全教科、君より良い点を取るよ」

「は?」

「じゃあ」

「あ、うん」

「また明日、学校で」

先ほどと変わらず笑みを浮かべているはずなのに、冷たい視線の中に何かきな臭い感じのものが見えた。
例えて言うなら、何かが燃えているような。
大きな炎を上げているのでなく、燃え尽きた後に燻って煙を上げている、と言った感じの。
そんな視線を振り返るギリギリまで優に向けて、背中を向けて足早に立ち去る。
思ってもいなかった言葉と、その燻りに、しばしその場に佇んでしまった。
明らかに向けられる敵意に、何で俺?と思わないでもなかったけれど、こういうのは嫌いじゃない。

「この間のテスト、よっぽど悔しかったのかな〜」

「そうかもね」

「じゃあ、俺、長谷川が優に勝つ方に、ミート藤井のメンチカツ!」

「はぁ?俺が負けるって思ってるの?」

「そりゃあそうだろ!優は今、俺と遊んでて長谷川はこれから塾……ってことは、俺が優と遊んでれば勉強できないから、毎日遊んで……この勝負いただきだ」

「なんだそれ……じゃあ、もう帰るよ。竹波とはもう遊ばない」

「ええ!?それは困るぅ〜」

身を捻りながら「そんな冷たいこと言っちゃいや!」なんて女の子みたいな声を出す竹波を見て、ゲラゲラと声を上げて笑う。
元にいたベンチに向かって歩いているところに「優!竹波!」と聞きなれた宏の声が掛けられた。

「おっせーよ、宏!」

竹波の言葉に「だって、部活だもん」と返しながら歩いてくる幼なじみは、さらに背が伸びたような気がした。

「さっきさー」

先ほどの長谷川とのやりとりを竹波が面白おかしく話して聞かせる。

「じゃあ、俺は優が勝つ方にミート藤井のメンチカツ」

「さすが宏!竹波みたいな薄情な奴とは違うよなぁ」

「あ!?俺は勝負を公平に判断した結果だねぇ」

「何が公平な判断だ!」

「ははは。俺は違うぞ。単に優は負けず嫌いだから」

そんなことを大声で話しながら、結局ベンチに座ることなく三人で盛り上がる。
その声は本屋の向かいにあるミート藤井の中にも、もちろん聞こえていて、おじさんとおばちゃんがニタリと笑う。
そして……すでに姿が見えなくなっていたはずの長谷川の耳にも、聞こえていたのである。










優が竹波と遊んで帰ってくるのと入れ替わるようにして、父親の武志は商店街の会合に向かった。
テレビでは日曜日の夕方でお馴染みのアニメが放送されている。
ずっと小さな頃から見ているキャラクターたちのやり取りを見ながら、優は居心地の悪さを感じていた。

……母親がおかしい

さっきから優の顔を見るたびに何かを言いかけてはやめる。
こんなことは珍しく、何かやばいものでも見つかったか……とさっきからそれを確認するために部屋に行こうかどうしようかと悩んでいるから、アニメの内容はちっとも頭に入ってこない。
新しい漫画を買いすぎたことは認めるけれど、おこずかいの範疇だし……ひょっとして小学校のときからずっと本棚と壁の隙間に突っ込んでたやばいテストが見つかったとか……

だったら、ヤバイよなぁ

とは、思うけれど、そんなことくらいでこんな風に母親がそわそわしたり、何かを言いたそうにして口を噤むとも考えにくい。
だって、「優!これ、どういうことなの?」と一喝してしまえば良いのだから。
それに、どちらかと言えば……優にとって都合の悪いことではなく、母親にとって都合の悪いことのような気がした。

「……ふふふふ、優、晩御飯何が良い?」

「えっと……何でも良いよ」

「そう?」

目が合うと、何かを言いかけるも言葉を飲み込むようにして引きつった笑みを浮かべる。
何度となく繰り返した会話もそろそろ本気で辛くなってきた。
居心地が悪いし……ソファから立ち上がると、主人が出かけることを察知した留守番の犬みたいな目で見上げてくる。

「部屋で勉強してるから、ご飯出来たら呼んでよ」

「あ、うん」


「勉強ね、そうよねぇ優はもう中学生だし」などと意味のない母親の言葉は、しっかりと視線で追われながら聞こえていた。





「万引き?」

「うん。増えてんだって、ここんとこ。菊池さんとこも峰岸さんとこもやられてるらしい」

会合から戻って来た父親を交えて晩御飯を食べている。
菊池さんというのは、商店街の入り口にあるコンビニで、峰岸さんというのは竹波とジュースを買った自動販売機を設置している本屋だ。
あの本屋でもやられてるのかぁと、定休日で新井のいない食卓で振る舞われているハンバーグに、何を気にするでもなく箸を突き刺せることに喜びを感じながら話を聞いていた。

「学生を中心に気をつけるようにするらしいけど……最近はお年寄りも多いらしい」
「うちはお弁当だから関係ないかしら?」

「うん。ただ、もし万引きをしたのが、優くらいの学生だった場合に、どういう対処が良いのか?って会長の青田さんたちに聞かれちゃって……それで遅くなったんだよ」

うんうんともっともらしく頷いて聞いていた優だけれど、はっきり言って関係ないとどこかで思っていた。
家業をしているところの子供たちは、親がどれだけ色々と苦労をして商品を仕入れたり、販売したりしているのかを身にしみて知っている。
そして、自分たちが何か悪いことをしたら、それが家業に響くことも。
仲が良い商店街だからこそ、そういう話はあっという間に広がる。
もちろん、逆に良い話も広がるけれど。
近所付き合いがあればあるだけ、住民は口や行動に気をつけなければならないのだ。

「ご馳走様でした」

きちんと手を合わせて言うと、「うん」といつもの通りに父親が返事をする。
明日も学校で、英語があるから予習でもしておこうと席を立って、食器をシンクに運ぼうとしたところで父親に呼び止められた。

「優。話があるんだ」

「ん?」

「ちょっとそっちで待っててくれる?すぐに食べ終わるから」

「あ……うん」

何の話だろうと思って、母親を見ると、先ほどの夕飯前同様、引きつった笑みを浮かべる。
「万引き」の話なら、優には関係ない。だけど、ひょっとしたらそういうときの対処法を聞きたいのかもしれない。
でも……そういう感じではなかった。
すごく、嫌な予感がした。
その予感を信じたくなくて、食器をシンクの中に置き、冷蔵庫から麦茶を出してコップに注ぐ。
それを持って、ソファに行って、落ち着かない気持ちを無理矢理押し込んで座った。
テレビでは、芸人たちが笑い声を上げている。
それでも落ち着かなくて、麦茶の入ったコップをもてあそぶ。
さっき入れたばかりなのに、暑さのせいかコップはもう雫を纏い、その水滴が指先を伝って、床のラグの上に落ちた。

「待たせてごめんね」

優と同じように麦茶のコップを持って来た父親が、向かいのソファに腰掛ける。
コップをテーブルの上に置いたから、優も倣って雫を垂らすコップをテーブルの上に置く。

「話っていうのは、これなんだけど」

コップの横にそっと出されたものを見て、一瞬で動きが止まる。
呼吸をするのも忘れてただじっとそれを見た。
くしゃくしゃと皺くちゃになった一枚の写真。
季節はずれのミニスカートを履いて、微笑みかけるサンタクロース。

「優の制服のポケットに入ってたって」

そう、あれは……新井の家に泊まった次の日の朝だった。
無くなった上履きの代わりに、それは白い封筒に入っていて……
その時、どうしたっけ?

ああ、そうだ。ポケットの中に突っ込んだんだ……

「ごめん、優」

何で……

「本当にごめん」


何で、父さんが謝るんだ?


どうして……




頭を下げて謝る父親を無視して、優は立ち上がって、玄関に向かう。
「優!」と呼ぶ母親の声は、ドタバタと階段を下りる音に混ざっていて聞こえていない振りをした。
適当に靴を履きながらドアのノブを掴む。
「優!」と呼ぶ母親の声がもう一度したけれど、それに答えることなく、生ぬるい風の吹く、夜の街へと飛び出していた。








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