時計台の鐘が鳴る 12





「なぁ」

「ん?」

食事も終わって、いつものように英語の勉強を見てもらっている……いや、単語をひたすら解いていくというプリントの穴埋めをしているところで、新井が背後から声を掛けてきた。

「お前さっきおかしくなかったか?」

「な、何が?」

「飯食ってるとき」

「そ、そんなことないよ」

「そうかぁ?」

「う、うるさいなぁ!今、問題、問いてんだから、黙っててよ!」

「ああ?誰に向かってそんなこと言ってんだ!?」

「新井」

「新井様だろうがっ」

そう言って、ちっと小さく舌打ちが聞こえて、ベッドがギシリと音を立てた。
肩越しにチラッと視線を送ると、ベッドに寝転んでいつものように漫画を読んでいる。
聞いても無駄だと判断したのだろう。
深く追求されると昨日同様に知られるのが嫌だから、何と言って誤魔化そうかと一瞬ひやっとした。
ホッとして小さく息を吐き出し、プリントに向き直る。

父親がオカマだったかもしれなくて、それで、学校でいじめのようなことをされている。

テレビや新聞で、偉い大人たちは、一人で抱え込んだり、悩むことをせず、身近な大人に相談しろと言う。
小さなうちに相談して対処をすれば、大きないじめにはならないから……と。
だけど、幸い優は一人ではない。
宏も竹波も知っているし、起きたことに関しては、クラスの連中も、噂を聞いた連中も知っている。
皆、大人ではない。
だからどうしたと言うのだ。
大人が何をしてくれる?
有難いことに誰も教師には言っていないらしく、担任にも呼び止められるようなことはなかった。
救いの手を差し出してくれるのは嬉しい。
小さな変化を読み取って、それに気づいてくれることも。
だけど……相手を見つけ出して優に謝罪の言葉を言うように言って、それで何が解決するのだろう……
根堀葉堀聞き出して、優が知られたくないことも何とか無理やり聞き出すのだろう。
父親がオカマだったかもしれないということも、傘に穴を開けられたり、シューズを隠されたり、黒板に落書きをされたり……そういうことを。
心のどこかで、もう中学生なんだから、こんなことくらい自分たちでやっていける!乗り越えて見せる!と思う気持ちもあるのかもしれない。
良い意味で自分だけが特別であると思いたい反面、悪いことで自分だけが特別であることを恐れる。
幼かった頃にシャンプーが一人で出来ると褒められることは、親が忙しくて構ってもらえなかったということの裏返しである場合もある。
だけど、その裏側にあるものは見たくない。そして、見せたくないし、知られたくないのだ。
強がっていると思われるかもしれない。
子供が何を言っているんだと言われるかもしれない。
だけど……そんなことよりもやっぱり……知られることが嫌だった。


「出来たのか?」

新井の声にハッとする。
さっきからほとんど問題も解かずに思いに耽っていた。

「ま、まだ」

「ほら〜、だから言ってんだろ?お前、おかしいって」

「……うん。でも、もうちょっとだから」

「……しょうがねぇなぁ」

再びベッドがギシリと音を立てる。
棚から漫画を取り出す音が聞こえる。
しばらくすると、調子っぱずれな鼻歌が聞こえる。
それにぷっと吹き出すと、「何の曲かわかったか?」と問われる。

「そんなに音痴じゃ、何の曲だかわかんない」

「うるせぇ……早く解けよ」

「わかった」

今度は思いに耽ることなく、問題に向かうことが出来た。





「よし!完璧!」

解き終えた問題を新井が採点して、それが100点だった。

「当たり前だよ」

胸を張って答えると

「何を偉そうにっ!俺のお陰なんだからな」

更に胸を張って新井が答える。

「はいはい、ありがとうございます、新井様」

恭しく言った言葉に、

「お!やっと様つける気になったか!俺の偉大さがやっとわかってくれて嬉しいよ、内山くん」

どこぞの社長のように肩をバンバン叩かれながら言われて、「新井、痛い!」と返すと、そのまま後頭部をパコンと殴られた。

「もう!痛い!」

「痛い!じゃねぇよ、お前」

急に真剣な顔をされて、大げさに後頭部を擦っていた手の動きが止まった。

「あんま心配さすなよ?」

「……うん」

そのまま、手を下げると、頭も視線もつられるようにして下に向かった。

「武志さんもユキさんも何にも言わなかったけど、お前の態度見てたら、おかしいってことくらい気づいてんだよ」

「……うん」

「昨日のことだって、二人ともすっげぇ聞きたそうにしてんのに、何にも俺には聞かなかったけど……まぁ、聞かれても俺も知らねぇしな。だから、お前から話してくれるの待ってんじゃねぇのか?違うか?」

「……わか、んない……でも……」

「俺だって……待ってんだけど」

「えっ……」

思わず顔を上げると、視線が合った。
その瞬間、しまったという顔になって、眉間にぎゅっと皺を寄せて、視線を逸らされる。
頭をガシガシと掻いてから、「あぁ!もう……あれだ!」と叫ぶ。
手を止めて居住まいを正して、ちょっと怒ったように言葉を足した。

「今は時期じゃねぇってことなんだろ?言いたくねぇってことなんだよな?」

「……うん」

「武志さんやユキさんが嫌いって訳じゃねぇよな?」

「うん」

そこはきっぱりと頷くと、ホッとしたのか、ポンと頭に手が乗せられる。

「言っても良いとか、これ以上我慢出来ないとか……そうなったら言えよ」

「……うん」

「よし!」

そう言うなり、頭に乗っていた手が、わしゃわしゃと髪をかき混ぜられる。
「やめて!やめて!」と叫ぶと、「俺だって今日、さんざんだったんだから、こんくらい我慢しやがれ!」と言われる。

「な、何が?」

手を払いのけようと攻防を繰り返しながら、息も切れ切れに問いかけると、

「あの後寝ちまって、必修に遅れたんだぞっ!」

「知らないよーっ、そんなことっ!!!自業自得じゃんっ!」

「お前さえ、泊まらなきゃ、そんなことになってねぇんだよっ」

「あ……ご、ごめん」

急に申し訳なくなって、逃れようとしていたのを止めたものだから、新井の手は勢いをつけたまま、ぐるぐると頭をかき回している。

「まぁ……俺は優秀な学生さんだから、一回出なかったくらいで単位落とすようなヘマはしねぇけど……」

「……うん」

手はまだぐるぐるとかき回している。
時々、顔へと垂れてきた前髪の間から新井の顔が見える。
今日も色々あって、すっかり忘れていたけれど……

「あ、の……」

「ん?」

未だに手を止めてもらえず、既に「鳥の巣」だなんて可愛らしい形容は出来ないのではないだろうか?と思うほどにぐちゃぐちゃのもしゃもしゃにされたままの頭で言うのを躊躇ったけれど、今言わないと言えない気がして、思い切って言葉を発した。

「き、昨日は、色々と、ありがとう、ございました……」

それでもやっぱり恥ずかしくて、徐々に声が小さくなってしまった。
朝慌てて出てきてしまったから、きちんとお礼を言うのを忘れていた。
それを今さら言うのは、遅いし、恥ずかしい。
だけど、今、言っておかないと、後から新井との関係もギクシャクとしたものになってしまうかもしれない……
その態度に、一瞬、虚をつかれてびっくりしたのか、やっと新井の手が止まった。
手を伸ばして、頭に触れると、毛玉がいくつも出来上がっていて、後から櫛で梳くと、きっと何本も抜けてしまうのだろうとぐったりとした気持ちになる。
そんなことを思っていたから、まさかそんなことを言われるなんて思わなかった。
きっと「二度とごめんだ」
そんな風に言われると思ったから……

「何かあったら……また泊まりに来いよ……」

ボソリと聞こえた言葉を聞きなおしたい衝動に駆られたけれど、今の新井の顔を見るときっと二度と言ってくれないような気がして、うんと一つ頷くだけにした。

「その代わり…ちゃんと武志さんとユキさんに言ってから来いよ!」

「うん」

もう一度頷くと、新井がにこりと笑った。
いつものがはははと笑う屈託のない顔でも、皮肉っぽい感じの嫌な顔でも、親やお客さんに見せるような作り物の顔でもなく、それはもう、本当に綺麗な顔で……
急に胸がドクンと跳ねる。
ドキドキに連動して、顔に血液が集中するような気がした。

何?

自分でも戸惑っている間に、時間は進む。
そして、新井の時間も進んでいて、さっきの綺麗な笑みを引っ込めた顔が、いつも通りの皮肉な笑い顔になる。

「だけど……そう素直に出られると、……それはそれでムカつくっ!」

頭から手が離れたと思ったら、今度は脇腹を擽られる。

「ぎゃーなんで!?」

「うるせぇ!ムカつくものはムカつくんだよっ!」

勢いあまって、ベッドの上に倒れこむと、その上に新井が馬乗りになって更に擽られる。

「いやーっ!やめてぇー!ぎゃはは、はっ……はっ……ぎゃー!」

擽られて苦しくて心臓が踊る。
苦しくて血液が顔にも上る。
赤くなる顔と早まる鼓動。
さっき感じたそれが、わからなくなる。
それにやっぱり、少しだけホッとする。

「も、もう、やめっ……はっ……はっ」

「やめてください、新井様って言え!」

「やめっ……あ、らいっ!」

「様はどうしたぁ!?」

「ぎゃーっ!」

深夜間近の商店街。
いくら商店街でも、これだけ叫べば親は怒る。
「静かにしなさいっ!!!」と母親のユキが怒鳴り込んでくるまで、それは続けられたのだった……。









あの日以来、黒板への落書きはなくなった。
竹波が張り切って朝早く登校するようになったからだ。

「優にとっては良いことなんだろうけど……俺はつまんないぞ!まぁ、鈴木とは友達になれたけどな」

そんな台詞が言えるくらいに、大きな出来事もなく日常は過ぎていく。
だけど、時折、物は無くなる。それでも数時間すれば戻っている。
不思議な現象にも少しずつ慣れてきた。


「ぷっ!何、これ?」

「笑いを堪えるのが大変だった」

移動教室で教室を空けていた。
その間に、歴史の教科書に落書きをされたようで、人物写真がすべてお下げの女の子にされていたのだ。
中大兄皇子は少し頬を染めて恥ずかしそうな笑みを浮かべている……

こんな感じで竹波と笑える日が続いていた。
だから、すっかり忘れていた……



「ゆーうー!いい加減、制服、クリーニングに出しちゃうから、リビングまで持って下りててねぇー」

「うーん!」

平和な日曜日の午後。
ありきたりな日常のそんなひとコマ。
どうしてあの時、ポケットの中を確かめなかったのか……

そう悔やんだところで、過ぎたことは仕方ない。


壁のハンガーに掛かっていた制服の上着を持って、リビングに下りる。

「ここ置いとくよ」

「やっと、出してくれた。あれ?どこか行くの?」

「竹波と遊んでくる」

「そう、気をつけて。遅くならないようにね」

「うん。行ってきまーす」

飛び出すようにして玄関を出る。
既に夏へと変わり始めた太陽の光が眩しくて、早々に商店街のアーケードの下に入り込む。

「優ちゃん、お出掛けかい?」

「うん。友達と遊んでくる」

「そうかい。お腹すいたら、うちに寄りな。コロッケ一個サービスするから」

「わーい!ありがと!」

目ざとく見つけられたミート藤井のおじさんの気前の良い言葉に笑顔で返す。

「優ちゃん、後で寄って!」

「気をつけて行っておいで!」

そんな言葉を受けながら、商店街の中を歩く。
日曜日とあって、そこそこな人手で賑わっている。
お客さんの相手に忙しいはずなのに、優の顔を見ると、みんな声を掛けてくれる。
その人たちに笑顔で言葉を返していた。




その頃、家では……



ポケットの中に、あの日突っ込んだミニスカサンタが、母親のユキに笑いかけていた。







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