時計台の鐘が鳴る 11




一年生の教室のあるフロアに来ると、途端に視線に意味を含んだものが多くなった。
遠慮なんて一つもない感じに、あ!と声を上げる人もいれば、連れ立って歩く人とひそひそと話したりする人もいる。
そういう人たちは、優の顔を見て、次に足もとを見る。
そうして、優の足に履かれた緑色の来客用ナイロンスリッパを見て、やっぱりという顔をする。
悪いことなんて一つもしていないのに、居た堪れなくなって、顔を上げて歩くことが出来なくなる。
そんな優を察してか、竹波が焦ったように昨日の初部活の話を面白おかしく話してくれていたけれど、視線が気になって、気の無い相槌ばかりを繰り返していた。
加えてさっきの宏の態度を思い出し、昼休みに取り調べさながらに聞き出されることを思うと憂鬱になる。
ペタンペタンと歩くたびに聞こえるスリッパの間抜けな音も、それを助長しているようだった。

教室のドアの前。
少しだけ、緊張した。

昨日と同じようなことになっていたらどうしよう?
また、昨日のような視線をみんなから受けるのだろうか?
ミニスカサンタが微笑み掛けていたらどうしよう……
さっきポケットに突っ込んだそれを、生地の上から手のひらを当てて感触を確かめる。
まだそこにあるものを感じると、ふつふつと怒りが沸いてきそうになったが、何とか押さえ、小さく一つ深呼吸をして、意を決してドアを開く。



「……あ」

ガラっと音を立てて開いたドアに気づいた誰かの声が聞こえたと思った瞬間、昨日と同じようにがやがやとしていたそこは急激に静かになった。

「お……おはよ」

「おはよー!!!」

戸惑いながら発した声に、被せるようにして竹波が一際大きな声を発した。

「おはよう」

「おはよ」

その声に次々と返事が返ってきて、幾分ホッとする。
優に言ったわけではなく、竹波のあまりにもあっけらかんとした挨拶に思わず言ってしまっていたとしても……

ついっと視線を黒板に向けると、昨日のように何かを書かれているわけでも、引き伸ばされた写真が貼られているわけでもない。
次いで、自分の席に視線を送っても、ここから見る限り、特に変わったことも無いようだった。
それに心底安堵して机に向かって歩き出すと、竹波も自分の机に向かって歩き出した。
そこに数人のクラスメイトが近寄り、竹波と顔を寄せ合ってひそひそと話をし出した。
その様にさっきホッとした心が、嫌な予感を察知してざわざわと騒ぎ出す。
ひょっとして……俺と一緒にいない方が良い……とか言ってたりして……
思わず、そんな自虐的なことを考えながら、鞄の中の教科書を机に移し、椅子に座って雨に濡れる窓を見つめる。

物が無くなったり、汚されたり……確かに不可解で理不尽で嫌な思いを虐げられるけれど、誰か……例えば、宏や竹波にも被害が及ぶのは、もっと精神的に……

そこまで考えたとき、

「優!」

あまりに大きな声で呼ばれ、びっくりして肩を跳ねさせて声の方を向けば、思いっきりの笑顔で近寄ってくる竹波がいた。

「な、なに?」

勢いに気圧されながら問えば、近寄ってきた竹波が優の肩をポンっと勢いよく掴み、更に笑みを深めて言葉を繋ぐ。

「今朝も書かれてたんだって」

「はぁ?」

まるで『今日の一時間目、自習らしいよ』というときみたいな口調だった。
だから、一瞬、何のことを言われているのかわからず、間の抜けた声を上げてしまう。

「だからぁ〜、さっき鈴木が言ってたんだけど、今朝も『内山優はオカマの子』って黒板に書かれてたんだって」

先ほど同様、当てられるとわかっている授業が無くなった時のような、なんとなく嬉しさを感じさせる言葉は、あまりにも言っている内容と不釣合いだった。

「えぇっ!?」

「鈴木が一番で来たらしいんだけど」

見つめてくる竹波の目が、だんだん輝きを増していくような気がする。

「え、でも消されて」

「うん。鈴木が消したんだって」

「何で?」

「優が良く思わないだろうからって…」

「でも、今、聞いたら一緒じゃ」

「あ、そうか」

そうか、じゃない!
せっかく鈴木が気を遣ってくれたことを……とジトッとした目線を送ると、

「でも、鈴木も良い気がしなかったから、思わず消しちゃったって言ってからぁ」

と言い、細い目を更に細めてへらっと笑う。
だけど、その細い隙間から、更に輝きを増した瞳がのぞき、怪しげな光が一瞬宿ったと思ったら、

「何か、やる気起きない?」

そう聞いてきた。

「はぁ?」

「俺はやる気、起きちゃったんだよぉ〜」

起きちゃったんだよぉ〜って!!!
思わず絶句して、口をもごもごと動かした。だけど、肝心の言葉はなかなか出てこない。
何に対して?とか、何のやる気?とか色々聞きたいことが一瞬に浮かんで、どれを口にすれば良いのか体が反応しなかった。
漸く動き出した思考に、理解しがたい思いをそのまま口に出そうとした途端。
ホームルームを告げる鐘が鳴る。
ガラっと音を立てて担任が入ってくるなり「始めるぞぉ〜」と言う言葉を合図に、席を離れていた連中がわらわらと席に戻り出す。

「また、休み時間に詳しく話すから!」

そう言って、例に漏れることなく、スキップすらしそうな勢いで満面の笑みを浮かべて自分の席に戻る竹波の様子を、呆然にも近い眼差しで見つめることしか出来なかった。










「で?」

「えっと……それで、傘に穴が開いてて……」

「開いてて?」

「それで……傘立てに行ったけど……ちゃんとした、傘がなくて……」

「なくて?」

「……えっと……それから……それから……」

「あー!もうっ!宏が優をいじめてるように見えるっ!」

「うるさいっ!竹波は黙ってろっ」

「……」

のどかな昼休みのはずだったのに、ここだけ警察官の取調室のような雰囲気が流れていた。
思った通りだと言えば、思った通りである。
昼休みになるなり、宣言通り隣のクラスからやってきた宏は、朝同様のオーラを纏い、不機嫌もあらわにした雰囲気を隠そうともしないから、前の席に座っていた女子は逃げるようにして他の女子のところに行ってしまった。
お陰で宏は居座るスペースを堂々と提供されたわけである。
そんな宏に、もじもじと答えているところを何となくハラハラとした視線で見ていた竹波も、声を上げたは良いけれど、あっけなく宏に一喝されて押し黙ってしまう。

「それで?」

「えっと……もう一回、確かめるために出口に行ったところで…」

「ところで?」

「後ろから押されて……びったーんと転んで」

「押された!?」

「あ!多分!押されたような気がしただけかも、……しれないし……うん…」

思わず声を上げた竹波を、今度は視線だけで封じ込めるように宏が睨むから、思わず優の声も小さくなってしまう。

「ごめん……先をどうぞ」

手を差し出して、続きを促す竹波を哀れだと思うけれど、今はそれどころではなかった。
どうして、宏にこんなに恐怖心を煽られなければならないのだろう……

「で?」

「あ、うん。それで、制服汚れたし、びしょ濡れだし、何か家に帰りたくなくて、新井んとこに行った……」

「それで全部?」

「うん」

ふーっと鼻から息を吐き出し、宏が偉そうに腕を組む。
その姿にふつふつと怒りが沸きあがりそうになって……寸でのところで抑えた。

だって……心配してくれてるから……

心配してくれているから、怒るのだろう。
しかも、何かあったら言えとまで言っていた人物に、綺麗さっぱりと話もされずにいたのなら、尚更だ。
朝だって一緒に来たのに、優は一言も言わなかったのだから。

……と思うことにする。

本心は、これ以上の雷が落ちないことを願うだけなのだが……

「でも、シューズは戻ってきたんだろ?」

「あ、うん」

「そうなんだよなぁ。あれ不思議だったよな?」

竹波が同意を求めてきたので、優も素直にうんと頷く。
そうなのだ。
3時間目の体育は生憎の雨で、当然体育館で行われると思っていたのに、2時間目が始まってすぐに嘘のように雨が止んでしまった。
そして、急遽、外での体育の授業となったのだが、その時、運動場に出るために下駄箱に向かい、スリッパから、持参したレジ袋に入ったスニーカーを出し履き替えた。
そして、いつもの癖で下駄箱にスリッパを入れようとして蓋を開くと、朝は跡形も無く消えていたシューズがそこにあったのだ。
しかも、汚された形跡も何もなく、いつもの通りにそこにあった。
思わず朝の出来事が嘘か、それとも寝ぼけてでもいたのだろうかと思ったけれど、体育の時間が終わってすぐに調べた制服のポケットには、忌々しいことにミニスカサンタの写真がくしゃくしゃになって入っていたのだから、自然に考えれば、戻って来たということになるのだろう。
お陰で歩くたびにペタンペタンと間抜けな音を立てて歩きづらかったスリッパからは開放され、廊下を歩くときも人の視線が幾分減ったような気がするのは有難いけれど、元々隠したりされなければこんな苦労を味わわされることもなかったのだ。
しかし……シューズとは快適なものである。そんなことを思い、シューズを履いている足をくいくいと動かしてその感触を確めてみる。
うん。音がしない。
これで、授業中に「パタンパタンうるさい」と怒られることもないだろう。

「何で戻したんだ?」

「そんなの、俺が聞きたいくらいだよ」

相変わらず腕を組んだまま首を捻って考えていた宏に問いかけられ、得意気に足首を動かしていたことに夢中になっていたから、思わず思っていたことをそのまま口にする。
なのにそんな言葉に「だよなぁ」と竹波が同意した。

「俺は朝から気合の入った落書きしてるから、相手もかなり本気だなぁと思って楽しみにしてたのにぃ」

続けて言われた言葉に、朝の優、同様、宏も一瞬固まった。

「楽しみ?」

「うん」

「何で?」

「朝、一番に鈴木が来たらしいだよ。ほら、今、黒板の前の席で本読んでるやついるだろ?」

言われて、宏が視線を送るのと一緒に、優もそちらも見る。
鈴木は、この中学校の学区でも一番遠い地域に住んでいて、バスで通学している。
駅の北側の住宅地の更に向こうは山が連なっていて、竹波の住んでいる住宅地も少しだけ小高い山の裾野を登るような形で作られていた。
その山の向こう側に住んでいるらしく、とにかく近隣に学校が無い。
そこで、一番近い中学校というとここになるのだが、丁度良い時間のバスもあるけど、かなり混雑するため、一本早いバスで鈴木は来ているらしい。
そして、昨日もそうだったけれど、今朝も当たり前のように一番に教室に入ってきた。
そして、黒板に例の「内山優はオカマの子」と書かれているのを見たそうだ。
だけど、昨日とは少し違っていた。
赤いチョークだけで大きく、殴り書きされたような文字に、優が来るまで残していようと思ったらしい。
けれど、時間が経つにつれ、自分でもこんなに不気味で、何やら恐ろしいものを感じるのに、優が見たらどう思うのだろうか?と考え、更に言えば、雨が降って、薄暗い中今と同様におとなしく本を読んでいた鈴木自身、なんとなく恐ろしくなって、消してしまったそうだ。
そして……そんなことをする相手に対して、竹波は物凄く興味を持ったらしい。

「犯人探しだよ!事件だよ!なんか、学園物ミステリーみたいで楽しいじゃん」

はしゃぎながらそう言った竹波を、冷たい目線でまたも宏が封じ込めたのは言うまでもない。

だけど、優にはわかっていた。
竹波がこうして面白おかしくしていてくれるから、深刻な話になっていないということも。
心の中で、そんな竹波に「ありがとう」と感謝の気持ちを持たずにはいられなかった。







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