首根っこ 夕飯の片づけを済ませ、高元がリビングのソファで一杯飲みながらニュース番組を見ている間、こっそりと寝室へと向かった。 リビングとは違い、冷えた空気が廊下に流れていた。 その寒さに一瞬ブルっと震えながらも、急いで入って寝室の電気と暖房をつける。 壁一面に備え付けられたクローゼットの扉……向かって左側のスペースを開けた。 仕舞い込まれたというほどではないが、それでもいつもつけているネクタイよりかは、奥に仕舞われているネクタイを取り出す。 『俺には若い気がして…』 そんなことを言っていたけど、去年これを買ったときの俺の勇気をどうしてくれよう…… 一生懸命、高元に似合うだろうと思って選びに選んだネクタイ。 自分がするネクタイですらあんなに悩んだことなんか一度だってなかった。 時期も時期だけに女性の姿もちらちらと視界に入る。 店員に相談しようとしてやめた。 上司に贈る…と言えば無難なものを選ばれそうな気がしたし、かといって友達に…と言うのもおかしい気がした。 だから自力で選んだのだ。 少し遠くで相談しているOL風の女性に対し、説明する店員の声を聞いたから…と言うのはこの際隠しておいても良い情報だ。 どんなスーツにもシャツにも合わせやすいようにと、ブラックに近い濃いネイビー。 小さなひし形がちりばめられたネクタイは、確かに高元が普段しているネクタイよりは派手だったかもしれない。 ほとんどつけることなくクローゼットの奥……とは言っても、ギリギリ隠れる手前に吊るすあたりは、 高元の心遣いを感じなくはないけれど、俺としては今風に言えばヘビロテしてくれた方が嬉しいのだ。 女性が男性にネクタイを贈るのは、首根っこを掴んでおくって意味があったとか…… 一応念のために掴んでおいて間違いはないから、その意味を俺も取り入れることにした。 明日、高元が着ていくスーツはグレーの質のよい細身のスーツだった。 その中に薄いピンクのシャツ。合わせていた濃紺のネクタイを抜き取り、クローゼットの奥に吊るして、 さっき取り出したネクタイを合わせてみる。 少し遠目から見てみよう… そう思って、クローゼットの扉の前に掛けて、スプリングの利いたベッドの淵に腰掛ける。 いいじゃん 高元が濃紺のネクタイを選んでくれていたのが良かったのかもしれないけれど、 俺が買ったネクタイが合わせやすいものだから……と、ちょっとくらい思ったっていいだろう? 例えば…… 例えば、あまり考えたくはないけれど、それでも去年同様、高元に女性社員たちはチョコレートを贈るだろう。 中には高元が『ちょっといいな』とか思う女性がいるかもしれない。 だけど、このネクタイを締めていれば…… 俺には大切な大切な英太がいた。何を血迷って…… くらい思うかもしれない。 いや、ひょっとしたら、今年は 『大切な恋人がいるから、受け取るわけにはいかないんだ』 とかなんとか言って断ったりして!ナイスアイデア!さすが、俺! と、そこまで考えて、妄想を中断。 多分、去年と一緒だ。 『本命だったら、受け取れない……』 とか言って、きっと義理チョコは受け取るんだろうな…… せっかく自分のために買ってきてくれたのだ。 その気持ちくらいは受け取ったって、構わないだろう? そのくらいは言いそうだ。 はぁ〜 ため息を吐きながらバタリと後ろに倒れこむ。 ギシギシと小さく音を立てるスプリング。 揺れる視界に見慣れた天井が見える。 俺は今年、何個もらえるんだろう? 会社の女性社員たちから……とみんなで1個。 あとは、あそこの事務員さんは毎年くれるから、それで2個。 今年は姉ちゃんには会えないから、それは無しとして、ああ、ユキちゃんからは貰えるかな? ってことは……うららさん……からも、もらえる、かも……… 「英太?」 そっと開けた寝室のドアから中をのぞけば、点けっぱなしの電気の中、ごうごうとエアコンからぬるい風が吹き出されていた。 「寝たのか……」 ニュースを見ていて、ふと気づくと英太の気配がなかった。 もう寝たのか?と来てみれば、ベッドの淵に足を落としたまま、体だけが横たえられている。 返事がないから寝たのだろう…… 数歩進んで、ふと視界の端にグレーのものが入り込む。 ん? 向けて見えたものに頬が緩む。 思った通り…… 昨日夜、金曜日には何を着ていくのか?と聞かれて、すぐにピンと来た。 あのネクタイをずっとしていなかったことを気にしていたに違いない。 俺には少し若い気がした。 高橋に「代理の趣味じゃないですよね?」と聞かれたこともあり、何となく気恥ずかしいという気持ちもあった。 一緒に暮らす前ならば、結構締めていたことを知らないだろう? だから、せめて明日くらいは…… そう思ってネクタイに似合うであろうスーツとシャツを選んでおいた。 エアコンの風をもろに浴びて、うっすらと色づくピンクの頬。 重い体をずり上げれば、目くらいは覚ますだろうと思っていたのに、う〜んと低く呻くだけだった。 なんとなく気に入らない。 同じような心配を俺がしていないとでも思っているのか? ふと湧き上がった感情のまま、寝ている英太の首筋にそっと噛み付く。 そのままきつくぎゅっと吸えば、小さな紅い花が咲く。 首根っこを掴んでおきたいのは、俺だって同じだろ? 満足して、横に体を滑り込ませる。 シャツの襟ギリギリのところにつけたキスマーク。 それに気づいて何と怒るのか…… 考えただけで楽しそうだ。 [*前] | [次#] ≪戻る≫ |