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一度駐車場に寄って、自分の荷物を車の中に入れ、代わりに常備している着替えを手にした。
そこから徒歩3分ほどで到着したのは、レンガ調の茶色いタイルを施したエレベータのない三階建てのマンション。
確かに……ここからなら会社が良く見えるだろうな。

「良いとこだな」

「当たり前じゃないですか?ここ、坂田さんが見つけてくれたらしいですから」

階段を登りながら言われたことに、記憶を辿る。
新入社員のために三部屋ほど探して欲しいと総務から言われて探したことを思い出した。

「お前だけじゃないよ。フィッシングの伊藤くんもうちの営業の新井さんも探したっていうか、条件見て確保してもらっただけだ」

そう言っている間に、三階の一番奥の角部屋の前に止まる。

「こうなるって思ってた訳じゃないから散らかってますけど……どうぞ」

促されるままに玄関に入り、形式だけでお邪魔しますと言い、靴を脱いで部屋に上がる。
1LDKの部屋はフローリングで、雑誌やカタログで見るような、いかにも新社員の一人暮らしの見本と言ったものではなく、濃いブラウンの床と同じ濃いブラウンの家具。
アクセントにシルバーを使っているからか、甘くなく落ち着いた雰囲気を醸し出していた。

だけど……勝手のわからない人の家。
どこか居心地の悪さを感じていると、

「はいはい、坂田さんはシャワーでも浴びて来てくださいね。
俺はその間に、やばいものは隠しておくんで……」

無理やりにタオルを押し付けられ、背中を押されながら浴室へと向かう。
脱衣所に押し込められ、バタンとドアを閉められ、そしてすぐにまた開く。

「お背中流しましょうか?」

「いらねーよ!」

勢い良く内側からドアを押し閉めれば、はははと笑う声が聞こえる。
その声にホッとしたような気がした。

熱めのシャワーを浴びて、用意されたタオルで体を拭き、着替えを済ませ脱衣所を出て行く。

「ありがと。さっぱりした……」

出てきた俺の目に入って来たのはリビングの机の上に置かれた輝くような朝食だった。
部屋中に広がるのはバターの良い匂い。
机の上にはフレンチトーストとサラダ。

「あり合わせだから大したものじゃないですけど……」

「いや、ありがと……」

不覚にもちょっと感動してしまった…呆然と突っ立っている俺に、

「あ!髪、俺に乾かさせて下さいよ!はいはい、ここに座って」

山本のテリトリーなだけに、言われるがままに行動する。
不本意ではあるけれど……仕方ない。

山本の前に座り、後ろからドライヤーを当てられる。
ゴーゴーという音と共に、熱い風が頭に当たる。
美容院でやってもらうのとは違う感覚。
もともと髪自体もそんなに多くないから、あっという間に乾いてしまう。

「お前、こんなことして楽しいか?」

「はい。実家の犬の毛を乾かしてるみたいです」

「い、犬!?」

「嘘ですよ。坂田さんに触れられるなら……どんな事だって……」

その言葉にやばい!と警笛が鳴る。先日の項事件もある。
逃げなくてはと身を捻ると、横からドタンと音がした。

「……避けましたね?」

「当たり前だろ!さぁ、飯食うぞぉ!」

冷めてしまったけれど、フレンチトーストにサラダ。
ちゃんとした朝ごはんは随分と久しぶりのような気がする。

「いただきます」

「どうぞ」

フレンチトーストを一口齧る。

「……うまい」

「良かったぁ〜。甘すぎませんか?」

「大丈夫。……料理も出来るんだな」

「学生のときのバイトがそっち系だったのと、取材でホテルに行くと、料理の事とか色々聞くじゃないですか?」

「あぁ、そうなんだ」

サラダもホテルのシェフに教えて貰ったとかいう手作りドレッシングで、美味しかった。

「ご馳走さま」

「いいえ。あ!片付けしちゃうんで、ちょっと待ってて下さい。すぐ、行きましょう」




ぽかぽかと入り込む日差しは、フロントガラスというものの存在を最大限に利用して、
車内で膨張して丁度良い温度を作り出す天才らしい。
そして、車輪が揺れる感覚も相まって、日頃の寝不足というスパイスを足せば、
うとうとと眠りの世界に入り込むというおいしいシチュエーションの出来上がり。

どこに向かっているのかわからないけれど、今はこの揺れに身を任せて眠りの世界へと入って行きたかった。

「……たさん、坂田さん、着きましたよ」

体を揺すられながら起き上がって見ると、目の前には海が広がっていた。

「時々来るんです。気持ち良いですよ!」

そう言って外に出る山本に倣って自分も外に出て、大きく伸びをする。
潮風の匂い。波が打ち寄せる音。春の日差しに反射する水面。
目に入ってくるものすべてがキラキラとして見える。

砂浜に下りるところのコンクリートに山本が腰を下ろす。

その隣に少し距離を空けて自分も座る。

海なんて来たのは、久しぶりだった。

「……気持ち良いな」

「まだ、ちょっと風が冷たいですけどね」

そうしてしばらく二人で海を眺めていると、突然山本が話し出した。

「坂田さん、兄弟は?」

「兄貴が二人」

「俺は、姉ちゃんが一人。じゃあ、趣味は?」

「見合いかよ……」

「良いじゃないですか。趣味は?」

「映画鑑賞、読書……」

「インドアですね。俺はドライブって事で。運動は苦手ですか?」

「……編集の人間はだいたい苦手だよ」

「それは偏見ですよ。俺は結構得意なんですよね」

家族構成から始まった会話は、今まで俺が知らなかった山本という人物を埋める作業のようなものだった。
ひょっとして、そのための会話なのだろうか?
疑問に思いながらも答えていく。
だけど、子供の頃見ていたお笑い番組を山本が知らないという事実がわかり、あの番組の素晴らしさを夢中になって身振り手振りで話している間に、取っていた距離も心の距離もいつの間にか縮まっていた。
楽しいと感じる時間はあっという間に過ぎていくものである。

腕時計を見た山本が、

「そろそろ、帰りますか?」

そう言われて、まだいたいと思う気持ちがあることに気づく。
日もまだ高い。
春の陽だまりのような暖かさにいつの間にか、いつまでも包まれていたい、そんな気持ちになっていた。
だけど、そんな事を口に出来るわけもないから、山本の提案に従った。




「明日、特集の打ち合わせでしたよね?」

行きと同様うつらうつらとしていた俺の耳に、帰りの車の中で山本に言われて、思い出した。

「あ……」

「ひょっとして、忘れてたんですか?」

「あ……いや、企画書には、目を通し……」

「通してないんですか?」

どこか責められているような口調に、叱られた小学生のような気持ちになってくる。
通してもない。
あの日、机の上に置いたままにしていた。
それどころではなかったから。

「……ごめん。打ち合わせまでには必ず……」

「……まだ、時間ありますか?」

日もまだ高い。昼を少し過ぎたくらいだ。
悪いと思う気持ちから、

「……ある」

と答えてしまった自分を、後から大きく後悔することになろうとは……
当たり前だけど、その時の俺は知る由もなかった。







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