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「あきほちゃん!何、ぼーっとしてんの?」

「あきほじゃない。あきおだ。何?」

「機嫌悪いなぁ。生理?」

「違う!」

子供の頃から何度となく言われ続けた「あきほ」と、容姿から女性に例えられることはしばしばで、こういったセクハラまがいなことを営業の黒田だけじゃなく、上司や同僚からも良く言われる。
最近は……短期で雇ったアルバイトにまで言われてる気がする……

「この前はサンキュー。すっげぇ助かった。次の〆切にしようと思ったんだけど、そうすると、うちだけ遅れるだろ?シーズン明けの事もあるからさ、年契約取るのに、必死だったんだよ〜」

「あ、そう。次はぎりぎりとかやめてくれますか?この時期、編集は皆、大変なんですから」

「悪い、悪い。気をつけます。で、これだけど……」

そう言って、またしても無理難題を押し付けてきた。

普通の出版業界と違い、物件を紹介する住宅情報誌は営業が不動産屋や建設業社を回り、掲載する物件を集めて来て、編集がそれを本にする。
黒田は営業の中途採用だった。
人懐っこい性格で、見た目と口調はちゃらちゃらとして見えるが、営業という仕事をする者としては部署でも一目置かれる存在で、俺とは馬が合うのか、会社の中で一番仲が良い。
受け取った原稿を見ながら、手がいっぱいいっぱいの俺は無理だと、パッと顔を上げ、
誰に振ろうかと見渡せば、アルバイトを始め、社員までもが目を合わせないようにと急いで画面へと目を向ける。
が、やらねば本は出ないのだ。

「田中くん、それ終わったらあと規格のページだけだったよね?」

「俺っすか〜!!マジっすかぁ!?」

「だって、君くらいしかいないんだから」

そう冷たく言い放てば、

「わかりました…」

渋々原稿を取りに来た。

「助かります。よろしく」

若干笑顔で言えば、

「…あきほさんにそう言われちゃあ、断れませんから…」

「そう…、でもあきおだから」

笑顔を貼り付けたままに言えば、

「は、はい!あきおさん!」

そう言うや否や、猛スピードでデスクへと戻って行った。

「…おっかねぇなぁ…」

そう言う黒田にも、

「誰のせい?」

笑顔で言えば、

「ごめん、ごめん。今日、帰ってくるとき、皆に何か買ってくるよ!だから、あきほちゃん!機嫌直してね!」

「あきおだ!」

遠ざかる黒田の背中に叫んだとき、ブライダル課の方から視線を感じた。
いや、今だけじゃなくて、ずっと感じてる。
その根源がどこにあるかを知ってしまった俺は、恐くてそっちを向くことすら出来なかった。

あの日、どのくらいそうしていたのかわからないくらい長かったのか、それとも単に俺がそうされていることが嫌だから長く感じたのか……
だけど、背中から離れていくぬくもりを、ほんの少し、ほんの少しだけ名残惜しくも感じてしまった。
そのまま無言で山本は走り去ってしまった。
残された俺は、寒かったからとか、人恋しい季節だからとか、疲れてるから人に触れられて一瞬気がぬけたとか、色々な言い訳は浮かんでくるけれど、どれも本当に言い訳で、心の奥に微かに引っかかったのは、もう少しと思った自分への苛立ちだった。

そのせいか、最近本当にぼーっとしている。
黒田にまで言われるのだ。
これが上司なら怒られるかもしれないと、気合を入れるためにトイレへと駆け込んだ。

冷たい水で顔を洗う。ジャージャーと水を流して、バシャバシャと勢いよく洗っていると、誰かがトイレに入って来た。
一気に覚醒した頭をついっと上げて、きゅっと蛇口を閉めて、鏡を見れば、俺の後ろに立って、こちらを見ているのは山本だった。びくっと体が強張る。

「……あ、使う?」

極力気にしていない風を装った。
今は昼間で、フロアにはたくさん人がいるんだけど、先日の事があるから気はぬけない。

「……いえ」

ポケットから出したハンカチで顔を拭きながらも、尚も動かない山本に何かを言いかけた瞬間、

「…やっぱり、無理です…」

「…何が…?」

「諦めるの」

「は?だって、この間あれで諦めるって……」

「はい。言いました。だけど……」

「……だけど、何?」

「さっき、黒田さんと仲良く話してましたよね?あれ見てたら……何か、ダメだって思ってしまって……」

「ふぅ……。そんなの前からだし……、だいたい黒田は同僚だし、俺が男を好きになるとか、黒田が俺を好きになるとか普通に考えて有り得ないと思うんだけど!」

徐々に怒気を含んだ声で言い放てば、

「はぁ、わかってないんですか?坂田さん」

間抜けな声を出す。

「何がだよ!何かバカにされてる気がする!」

そう言えば、

「そういうつもりはありませんよ!」

「じゃあ、どういうつもりなんだよ!」

「坂田さん!坂田さんのために言っておきますよ」

急に真剣な顔になって、諭すような雰囲気で山本が言い出したから、何となく焦る。

「だから、なんだよ…」

「坂田さんは…そこらの女性より綺麗なんですよ」

「はぁ?何言ってんだよ、そりゃ確かに女顔だとは思ってたけど、それは女性に対して失礼だぞ!」

「好きだからとか、そういう贔屓目を引いたとしても、坂田さんは十分美人なんです!」

「お前、眼科に行け!」

「本当ですよ!俺、仕事でスチール撮りとか行くじゃないですか?そのときモデルの子を何人も見てきたけど、坂田さん以上に綺麗な子なんて……いませんでした……」

「お前おっかしいよ!しっかりしろよ!そんなことあるわけないだろ?」

「俺が何もせずに坂田さんに気持ちを伝えたと思いますか!」

急に声を荒げられたことにびっくりした。

「……俺だって、認めたくなくて、合コンに行ったり、その……モデルの子と遊んだり……は、したんですよ……。入社式で初めて見て、好きになって、それからもう10ヶ月ですよ!何もせずに言ってるわけじゃないんですよ……俺だって、……真剣に考えたんですよ…」

そう言って、うな垂れる。
だからって俺はどうすればいいんだよ?
何をすればこいつは俺を諦められんだ?

そう思っているところで、ガチャッとドアを開けて黒田が入って来た。
まさか、さっきの話……聞こえてないよな?

「あれ?あきほちゃんに山本じゃん。ちょっとどけてよ。俺、漏れちゃうから」

山本を押しやりながら小便器へと向かう。

「坂田さん、もう一度、考えてみてください。お願いします」

下を向いたまま早口で言った山本は、とっととトイレから出て行ってしまった。

「何?なんか頼まれたの?」

用を足しながら言う、黒田に、

「…………別に」

そう冷たく言った。

何を考えれば良いんだ?あいつが諦める方法?
それとも…まさか、付き合うとかそういう方へという事なのか…?
途方にくれた思考のまま、結局覚醒されたはずの頭は、その日一日使い物にならず、平日だというのに、俺は一人泊り込みで原稿を上げなければならなかった。







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