Only for Me 2





先に手に取っていた本がバサバサと床に落ちる。


は?

え?

あきほ?


いやいやいやいや……俺はあきおだって。


一生懸命否定はしたものの、どう考えても自分のような気がする。
拾い上げてパラパラとページを捲って、中身を見ると、自分に似てなくも無い主人公。
そして…その主人公は編集長の机の上で見るに耐えない痴態……しかも、この絵……


「用意出来ましたよ」

「うっわぁーっ」

「そんなに驚かなくても……」

背後から急に掛けられた声に、びっくりしてそのまま振り返れば、
シャツの袖を直しながら山本が近づいてくる。
床に落ちた本を拾いながら。

「何してんですか?」

またバカにされたような物言いがいつもならカチンと来るところなのに、今はそれどころではない。

「坂田さん?はい……わぁぁぁ!」

床に落ちた数冊を渡そうとした山本の目に、
やっとこの本が入ったのか勢いよく手の中から本が取り上げられる。

「見ました!?」

あまりの慌てぶりを見せる山本に、やっぱり……と思う自分がいる。

「それ、飯田の絵だよな?」

「ち…ちがいますよっ!」

「何で否定するんだよ!飯田の絵だろ?俺が間違うはずがないだろっ」

「違いますよ、嫌だなぁ、坂田さん。
ほら、男だったら、色々とあるでしょ?俺にだっておかずの一つや二つ……」

山本のどの言葉にカチンと来たのかわからない。
絶対に飯田の絵なのを否定されたこと?
自分が『あきほ』とやらのモデルだったこと?
それを山本がひた隠しにしていること?
ぐるぐると色んな怒りが体の中を駆け巡る。
その矛先をどこに向けていいのかわからなくなった口から飛び出す言葉はただ一つ。

「帰るっ!」

そう叫ぶなり、バックを掴み、玄関へと走りぬける。

「え!?ちょっ!坂田さんっ!待って!」

そう言いながら追いかけてくる山本を振り切り、階段を駆け下りて駐車場に向かう。
さっきまで薄明るかった景色が、完全に夜の景色に変わっていた。
必死に走るけれど、若くて足の長い山本に勝てるわけがない。
そう思ったから、曲がり角を曲がった直後にある小さな路地に身を隠す。

「坂田さん!」

数秒遅れてやって来た声に、必死な色が混ざっていて、
走ったことで上がった心拍数ではないものが、心臓を叩き始める。
それを見過ごすように、携帯を取り出し、黒田にかける。
数コール聞こえた後に、

「もしもし?あきほちゃん?」

間抜けな声が聞こえて、少しだけホッとした。
会社にいることを確認すると、少し考えてから指示を出して、早々に通話を切った。
路地から首だけ出して通りを見渡し、山本の姿がないことを確認してから一気に駆けだした。
はぁはぁと肩で息をしながら辿りついた公園の入り口にあるポールに腰を掛け、どうしてここまでして山本から逃げようとしているのか自分でもわからなかった。
額から頬にかけて汗が一筋流れた。
月と等間隔に見える街灯の明り。
近所の家々から聞こえてくる笑い声。
犬の遠吠え―…
その中に、機械的な音が流れて、慌てて携帯を取り出し、ディスプレイで確認した名前は山本だった。
鳴り終わるのを待ってから電源を落とし、黒田を待つ。
数分して路地を抜ける車のヘッドライトが見えた。
指示通りにやって来た黒田に面白半分にどうしたの?と聞かれ、考える時間はあったはずなのに、いい訳の一つも考えていなかったことに気づく。

「車が動かなくって……」

苦し紛れに出た言い訳は、キスマークを虫だと言い張ったときと同じくらいに見透かされていたに違いなかった。





送ってもらっても結局次の日に足がないことに気づいて、黒田の家に泊めてもらう。
居候となるのだからとソファで良いと言ったはものの、寝心地は最高に悪かった。
妙にスプリングのきいたソファは動く度にぎしぎしと音を立てる。
夜中に何度なく目が覚め、寝返りをうつ度にぎしぎしと耳元で鳴るそれと、
坂田さん!と呼ぶ山本の声が木霊する。
窓の外が白くなりだした頃、漸く眠りに着いたけれど、起きてからの機嫌はマックスに悪かった。

「だから、ベッドで一緒に寝ようって言ったのに」

軽く朝食を済ませ、助手席に乗り込むなり言われた言葉に思ったまんまが口から飛び出す。

「気持ち悪いだろ、男同士でベッドで一緒に寝るなんて……」

「あきほちゃんなら別にいいけど」

「俺がいやー」

黒田の言葉に軽く返しながら、どうしてだろう?と思っていた。

山本なら良くて、黒田なら気持ち悪い……
その境界線はどこにあるのだろう。
世間から見れば、それはどっちも同じことなのに。

山本……眠れたのだろうか?
ぐっすり眠れていた…と言われれば腹が立ち、眠れなかった…と言われれば、自分に腹が立つ。


「着くまで寝てろよ」

そう言ってくれた黒田の気持ちに甘えるようにして目を瞑るけれど、
もちろん眠ることなんて出来なかった。


会社に着き、4階にある自分の部署に向かいながら、山本が来ていたら……
そう思ってどきどきとしていた俺の目に、
スケジュールを書き込むホワイトボードには『山本:終日取材』と言う文字が既に書き込まれていた。
顔を見たくないと思っていたのは事実だけれど、会えないと思うとそれはそれで面白くない。
何なんだ?と自分で自分の気持ちがわからない。
大したことじゃない。
自分が飯田の漫画のモデルになっただけのこと。
その本を山本が持っていた。
それだけのことなのに、どうしてこんなに大事にしてしまったのかわからない。
自分のことなのに……そう思って席について頭を抱えていれば、

「おはようございます」

飯田の声が耳に入ってきた。

徐々に近づく飯田の声。
ふつふつと湧き上る怒りの炎。
この男さえあんなものを描かなければ、こんなことにはなっていなかったのに!

問い詰めたい!

という衝動に駆られるが、証拠も何もない。
何もなければ、知りませんと言われればそれでおしまい…
あの本を持って来れば良かった……そう思ったけれど、後の祭り。
いやいや、あんなおぞましいものを持ち歩くのは勘弁だ。

「坂田さん、おはようございます」

すぐ隣で聞こえた声に、落ち着けと言い聞かせた。

「……おはよ、飯田」

やっと搾り出した声は、どこか硬い。
ひくひくと引きつるこめかみに我慢が出来ずに、

「入稿チェックしとけ!トイレに行って来る!」

え!と言う飯田の声を無視して、その場を去る。
生理かな……ぼそりと呟く誰かの声なんて、耳に入ってくるような余地はまったく持っていなかった。





飯田の隣が耐えがたく、デスクの並ぶところから少し離れたミーティング用の大きなテーブルのところで校正をしていた。

「お疲れ様です」

「お先に失礼します」

エレベータ付近とあって、帰る人、帰る人が声を掛けてくれる。
その声に一つ一つ応え、デスクから離れているとなると、営業陣も声が掛けやすいのか、
質問が増える。
そして……仕事とは関係のないことを言ってくる黒田のような存在もいる……

「でな、今週は○×不動産のみかちゃんの友達と合コンなの。あきほちゃんも来る?」

「行かねぇ」

「えぇ!みかちゃんは女子短大の出だから、女の子の友達たくさんいるのに、もったいねぇ」

「興味ねぇ」

「そうか……やっぱりあきほちゃんは彼女が出来たんだな」

「出来てねぇ」

間違ってない。彼女は出来ていない…

「じゃあ、行こうよ」

「行かねぇ、つーか少しは黙って。校正中」

「知ってる。あ!ちょっと待って、あの原稿……」

「え!また!?」

出し忘れてた…そう言って、自分のデスクに向かう黒田にくだらない話するくらいなら、
そっちを早く出せ!と悪態をついているところに、チンとなるエレベータの音。

「ただいま、戻りました」

パーテーション越しに背後から聞こえた山本の声にびくっと反応したけれど、そっちを見ることはしなかった。
腹が立っていたはずなのに、ホッとする自分……
ホワイトボードの方へ向かう足音ですら聞き耳を立ててしまう。

「お!山本、お帰り!週末暇?」

「暇なわけ無いでしょ?取材ですよ」

「ちぇっ、あきほちゃんと言い、お前と言い、誘いがいがないやつらだな…」

自分の名前が言われたことで反応してしまう。
そちらを見ると、山本もこっちを見ていて、一瞬、視線が絡んだ。
どんな顔をすれば良いのかわからなくて、サッと逸らす。

「黒田、早く。俺、早く帰りたいから……」

意識しているからなのか、徐々に声が小さくなる。
その声に「はいはい」と応えながらテーブルの上に原稿が置かれ、説明を受ける。
説明を受けながらも、意識は山本にあった。
大きな荷物を抱え、奥のブライダルの方へと歩いていく。
いつも通りにどさりと置く音が聞こえ、そこでやっと息が出来た気がした。








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