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窓を閉め切っていたフロアに入ってくる日差しは春の気配を含んでいたのに、外に出ると風はまだまだ冬の匂いを纏っていて、触れる皮膚にちりりとした冷たさを与える。
吸いなれた動作でタバコを吸っている坂田明穂(さかたあきお)の耳に、子供たちのはしゃいだ声が聞こえて、のどかな空気にそろそろ春は近いのだろうと思っていた。


地域密着型の出版社で住宅情報誌の編集の仕事をして10年。
12月の半ばから4月の頭までが住宅業界の稼ぎ時である。
それに伴って、物件を紹介する自分の仕事は忙しさを極めていく。
連日帰宅する時間は日付が大幅に変わった頃で、家にたどり着く途中で息絶えて車の中で寝ることもしばしばであった。
今日は昨日いきなり営業の黒田から渡されたデザインの原稿を作成していた。
とてもじゃないけど、休日も返上しなければ〆切に間に合わない。

出版業界は華やかなようでいて、日々、細かな作業の繰り返しで、夢を抱いて入ってくる者は多くいたとしても、その現実についていけない者がほとんどで、
多くの者が入ってはやめていく。坂田も同期は他の支社に一人いるだけで、多くいた同期は現実に敗れ、過労に敗れて退社していった。

3年前に建て直した新しい社内は全面禁煙であり、並列してある旧社屋の二階にある小さな部屋が喫煙室となっている。
さすがに休日の今日は、そこの鍵が開いておらず、鍵を取りに二階の事務室へと行っても良いのだが、そこまで行くのなら外に出て携帯灰皿で間に合うだろうと外に出たものの、暖かいと思っていた外の空気は思った以上に未だ冷たさを孕んでいて、上着を着て来なかったことを少しだけ後悔した。

ガタガタと震えながら一本吸ったところで、〆切に間に合わないという焦燥感から、
自分のフロアへと急いで戻る。
エレベータで四階に着き、机を並べ、パーテーションで区切られたフロアを一瞬見渡した。
このフロアは手前が住宅情報課で、奥に結婚情報誌を扱ったブライダル課と釣りの情報誌を扱ったフィッシング課とある。
だけど、どちらの部署も今日は休みのようで、がらんとした広いフロアに自分のパソコンだけが明かりを灯していた。
この時期に合わせた新築マンションの物件紹介。
同じ時期に示し合わせたように作る建設会社たちに悪態をつきたい気持ちを押さえ込み、黙々と作業の手を進めて行った。


日も傾きだした頃、坂田は大きく背伸びをした。
長時間、画面と向かい合いになって出来たページはそれなりな出来で、自分自身が納得のいったものに出来上がったので、先方に確認をするためにメールを送り、ちょっと休憩にタバコでも吸おうと鞄の中へ手を突っ込んだときだった。
チンというエレベータの到着の音がフロアに響き、びっくりしてそちらを見れば、今年新入社員で入ってきたブライダル課の営業の山本悠樹(やまもとゆうき)だった。

「お疲れ様です。坂田さん、一人ですか?」

「お疲れ。ああ、一人だよ。デザインページ、任されてたから…」

「そうですか。大変ですね」

ブライダル課の方へと大きな荷物を持って歩いていく山本の大きな背中を追いながら声をかける。

「山本くんは取材?」

「ええ、読者の結婚式で」

「そっか…。あ、俺ちょっと休憩してくるから」

椅子の背もたれに掛けてあった上着をひっかけ、タバコと携帯灰皿を手にしてエレベータへと向かった。
すぐに開いたエレベータに乗り込み、下へと向かう。
そういえば、山本が入社したころ、女性社員たちが随分とはしゃいでいたことを思い出した。
背も高く、スタイルも良い。
センスも良くていつも着ているスーツはおしゃれなものだった。
編集という職業柄、外に出ることのない自分は私服で、性格上モノトーンばかりを好んで着ている。
今日も上から下まできっちりとモノトーンだった。
彼と比べたところで、勝てるわけもないのだからと少し寂しい感情が持ち上がってくる。
10歳も年下の彼を羨んだところで、損をすることはあっても得をすることもないのだと苦い笑いが出てくるだけだった。

休憩から戻って、送っていたメールの返事を見れば、修正する箇所がいくつかあるものの大した修正はなかった。
修正を直し、もう少しならやれるかと原稿をいくつか進めているときだった。

「すみません、坂田さん」

大きな声で呼ばれる。

「な、何?」

びっくりしたのと長い間言葉を発していなかった喉がはりついて、うまく声が出せなかった。

「パソコンの調子が悪いみたいなんですけど…、ちょっとこっち来て見てもらっても良いですか?」


「ああ」

ブライダル課のデスクのある方へと向かう。
普段立ち入ることのないここのデスクはさすがに女性が多いこともあって、華やかに飾られていた。
山本のデスクの前まで行けば、

「すみません…お忙しいところ…」

大きな体をくの字に曲げて謝る彼に、

「いや…」

見上げて、デスクの上のパソコンを見る。
どこが悪いのだろうと振り返りかけたそのとき、


背中からいきなり抱きつかれた。


不意を突かれたその行動に、普段運動らしい運動をしていない俺の体はその重みに耐えられるはずもなく、あっという間にデスクへと押し付けられそうになった。
が、それに気づいた山本が後ろへ引いてくれ、ホッとしたのもつかの間、そのままぎゅっと強い力で抱きしめられる。

いったいどうなっているのかと理解できないままに回らない思考を動かし出した時、

「…好きでした…」

苦しげで、搾り出されるような声が聞こえた。

「…え?」

「だから…ずっと…初めて会ったときから好きでした…」

そういう山本の声はやはり苦しそうで、からかっているようには聞こえず、かといってその言葉を理解するまでにものすごい時間を要したように思う…。

「…俺、男なんだけど…」

「知ってます」

即答で返ってきた言葉に慌てて体を離そうとするも、やはり叶わず、だけど、何となく感じた身の危険に体を捻って暴れてみれば、

「ちょ、もう少しだけ!もう少しだけこのままで!」

「嫌だ!離せ!…離せよ!!」

尚も身を捻りながらも離れようと試みるが、暴れれば暴れるだけ腕の力は強まっていく。

「痛いし!…離せよ!」

そう言った俺に

「すみません!信じてください!諦めるから…諦めるから…もう少しだけ…」

泣いているのかと思うほどの懇願の声に観念したわけでも、同情したわけでもなく、単に疲れただけのような気もするが、はぁはぁと息をしながらも俺はおとなしく山本に抱きつかれたままで、激しく打つ山本の鼓動をただただ背中で感じていることしか出来なかった。







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