嫌いがつまったラブレター
嫌いだとかムカつくとか、子どもっぽい感情とは思えどどうしても気に食わない奴というのはいるもので、つまり私はあの男が好きではないのだ。強豪と呼ばれる自転車競技部ではインターハイのメンバーに選ばれ、同級生だけに限らず後輩からも人気が高い、存在自体が嫌みのようなその男は、私のクラスメイトだったりする。新開隼人、お菓子をあげると笑顔で受け取ってくれる優しい人なんだと、隣のクラスのあの子は話していたっけ。甚だしい程にどうでもいい情報だとその時は思ったが、今後もそれが何かの役に立つことはないのだろう。同じクラスとはいえ、私と奴に接点なんてものはない。あったところで、奴と関わりを持とうだなんて、思いもしないのだから。

さて、それでは何故私は今、嫌いなはずのクラスメイトと二人きりで顔を突き合わせているのだろうか。「ミョウジさん、ちょっといいか?」その呼び掛けに思わず立ち止まってしまったのがいけなかった。そこには笑みを浮かべた新開の姿があって、私の返事なんて端から聞く気もなかったのではないだろうか、腕を掴まれ引っ張られる。そんな強引なところも、彼の嫌いなところだ。

「…で、何なの?」
「そんな怖い顔するなって」
「はあ?誰のせいだと…」
「俺のせい?」
「他にいないでしょ」

話していてこんなにも苛々すること、他じゃそうない。連れてこられたのは、この時間人通りの少ない、屋上へと続く階段の踊り場だった。どうして素直に引っ張られて来てしまったのか、自分でもわからないが、抵抗していたところで結果は同じだったようにも思える。とにかくさっさと用件を終わらせてほしい、そう願いを込めて、目の前の新開を睨んだ。苦笑を浮かべた新開が、静かに口を開く。

「ミョウジさんって、俺のこと嫌いだよな」
「……」
「何でそんなに嫌われてるのか、俺にはわかんねぇんだけどさ」

わからないならわからないままでいいじゃないか。別に、嫌いだからと悪口や陰口を言ったり、何かすることはないのだから、ほっといてくれ。随分と自分勝手な願いを口に出すことは叶わずに、口を噤む。何なんだ一体、どうしてこんなに気まずい空気を味わわないといけないの。それに、結局何が言いたいんだろう、彼は。続きを促すべきかと、再度睨む様にして新開を見やれば、ちょうど口を開こうとしていたところだったらしい。

「俺はミョウジさんのことが好きなんだけど、どうすればミョウジさんは俺を好きになってくれる?」

紡がれた言葉を理解するのに数秒。そんな、まさか、有り得ない。この男が私を好きだなんて、そんなことあるはずがない。何も言わない私を見てか、怪訝そうな表情を浮かべた新開は、「ミョウジさん?」そう、もう一度私の名前を呼んだ。

「……わかってると思うけど、私はあなたのこと好きじゃないの。だから、好きになるとか、今後もないから」
「人の心なんて変わりやすいもんだぜ?」
「だからって、私が新開のことを好きになる理由とかないから、それだけは変わらないと思う」

話はそれだけ?それじゃあ私、先に教室戻るから。返事を聞く前に、踵を返して階段を下りる。新開がどんな顔で此方を見ていたのかなんて、私にはわからない。階段を下りきったところで、背中に向かって声が届く。

「そういう風に言われると、余計に燃えちまうな」
「…その熱、無駄なことには使わない方がいいよ」

言い捨てて、私は自身の教室を目指し歩き始めた。新開が追いかけてきたらどうしようかと思ったが、その日はそれ以降彼が私に話し掛けてくることはなかった。

そう、その日は。次の日から、しつこいまでに付きまとわれる破目になるだなんて、誰が思うだろう。少なくとも、私は予想もしていなかった。

「おはよう、ミョウジさん」
「………」
「おはよう、聞こえなかったか?」
「……おはよう」

朝、教室で顔を合わせれば、満面の笑みで挨拶を寄越される。一度はシカトしたものの、この様だ。私の返事を聞くなり、満足そうに彼は自分の席へと帰っていった。

「ナマエ、新開くんと何かあったの?」
「…何もないはずなんだけどね」

横で見ていた友達が不思議そうに問い掛けてくるのを、適当に流しておいた。それからと言うもの、事あるごとに新開は私のところまで来て、大して中身もない話をしては去っていった。無視を決め込めるならそれが何よりだったのだが、クラスメイトの目もあることだし、そこは無難に対応しておいた。人気者の新開くんの敵だなんて思われたら、それこそ厄介だからだ。最初はしつこいし鬱陶しいし、お前はハエかとでも言ってやりたい気持ちでいっぱいだったのだけれど、少しずつ、少しずつ、自分の中で何かが変わっているのを感じていた。認めたくはなかったが、それは確実に、私の心に変化を与えていたのだ。


「あのさ、どうして私に付きまとうの?」
「嫌かい?」
「嫌に決まってるでしょ、私があなたのこと嫌いだって言ったの、忘れたの?」
「嫌いってはっきり言われたのは今が初めてだけどな。…けどよ、ミョウジさん、最近俺と話してて笑ってくれること増えたの、気付いてる?」
「……気のせいじゃないの」

嘘だ、ほんとはわかってる。新開と話していて楽しいと思ってしまう自分がいることに、ちゃんと気付いているのだ。だけど、私は新開隼人という男のことは信用しないと決めているのだ。何と言われようが、結果は変わらない。

「ミョウジさん」

は、と気付いたとき、すぐ目の前に新開の顔が迫ってきていて、思わずぎゅっと目を閉じる。けれど何も起こらない、そう思った瞬間、耳元で聞こえた低い声に、鼓膜が揺れる。

「好きだよ」

心ごと、揺らいでしまう。いつもの余裕たっぷりの笑みを浮かべた新開は、私の顔を見ては楽しそうに笑みを深めて、それじゃあ。とだけ告げ、その場から居なくなった。残されたのは、顔に集まった熱を冷ますことも出来ず、ただ呆然とその背中を見送る私だけ、だ。

「好きになんて、なっちゃいけないのに…」

ぽつりと吐き出したその言葉は、誰の耳にも届くことなく宙に溶けた。いけないとわかっているのに、それでも気持ちの変化は確かにあって、彼の想いに応えてもいいんじゃないかと、そんな風に思ってしまう私は甘いのだろう。だけど、あと少し、もう少しだけ、確かめさせてほしいのだ。彼の言う好きが、本当であるのかどうか。


その日は、前日に妹に手伝わされて作ったクッキーが大量に残っていたため、学校へと持っていって食べることにした。お昼に友達と一緒に食べられるように持ってきたものと、他にもう一つ、きちんとラッピングを施したプレゼント用のもの。バカみたいだと思われても仕方がない、そんなこと、私が一番思っているのだから。あれからも変わらず、新開は私に話し掛けてきて、最初と比べればかなり打ち解けた様にも思える。彼の気持ちに応えようと、思い始めてきたのだ。だけど切っ掛けがない。あれから、彼と二人きりになることなんて一度もなかったから。だから、これを理由に、彼を呼び出そうと、そう思っていた。

新開を探し歩いていたとき、耳に届いた聞き覚えのある声に、無意識に足を速めていた。その角を曲がった先に彼がいるのだと思うと、今になって緊張してくる。深呼吸して一歩踏み出そうとした、その時――

「そういえば新開、お前彼女出来たんだって?」

耳を疑う様な言葉が聞こえてきて、その場に立ち止まる。どくどくと脈打つ胸に手を当てた。クッキーを持った手が、小さく震えている。

「付き合い始めたのはつい昨日の事なのに、一体何処から聞き付けたんだ?」
「おめーの彼女がわざわざ俺に報告してきやがったんだよ」
「荒北は同じクラスだからな」
「寿一まで知ってたのか」
「俺が言った」
「まぁ、構わねえけどな」

事実だから。そう続いた言葉に、ぎゅっと胸が締め付けられるのを感じた。同時に、唇を噛み締める。その声が、段々と此方に近付いてきていることに気付けない程に、私は動揺していたのだと思う。

「しかし新開、お前確か前に、同じクラスの女子を狙っていると言っていなかったか?」
「ああ、尽八…それはもういいんだ」
「?それは一体…」

言葉の途中で、彼らはその角を曲がってきた。その先にいるのは、もちろん私。驚いたように目を丸める新開の姿がそこにあって、他の三人は何も知らない様子で私を一瞥した後、通りすぎようとした。そんな彼らの前に、私は立ちはだかる。

「あ?ンだよ、てめー」

鋭い瞳で此方を睨んでくるその男には見向きもせず、私はただ新開を睨み付ける。他の人にどう見られようと、今はもうそんなことどうでもいいのだ。「ミョウジさん…」彼が私の名を呼んだ。眉を下げたその表情からは、いつもの余裕なんて、一つも感じとることが出来なくて。私はそれにただ、強がりの笑顔を浮かべて見せるだけ。

「少しでも、あなたの好きを信じた私がバカだったんだよね」
「……」

何も言わない新開に、腹が立って仕方ない。異常を感じ取ったのだろう、周りは誰も何も言わずに、ただ私と新開を見ていた。小さく息を吸って、吐き出す。きっと睨みつけても、新開は何も言わないままだ。

「もう二度と私に話し掛けないで、付きまとわないで。あんたなんか…、大嫌い」

言うなり彼らを押し退けて、私は走った。後ろから呼び止められることも、ましてや追い掛けられることもない。一人あの時の階段を上って、誰もいない屋上へと飛び出した。いつしか頬を伝い始めた雫を拭うこともせず、崩れるようにその場に座り込んでしまった。

新開隼人は、人の良い好青年といった容姿を持っているが、実は物凄く女慣れしているのだと、そんなことは初めから知っていた。恋人だって、今まで何人いたかわからない程に、何度もとっかえひっかえしていたのだ。そんなことくらい知っている、だって私は、新開のことが嫌いだったから。だから、信じないと決めていたはずなのに、私は本当にどうしようもない程の、大馬鹿者なのだろう。

「……新開なんか、嫌い。今までだって、これからだって…」

心が悲鳴をあげているのに、気づかない振りをした。大丈夫だ、きっと直ぐに忘れられるから。そう、明日からはまた、前と変わらない日常に戻るの。地面に転がしたクッキーは、私と同じ、要らないものなのだ。



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題名は自慰様よりお借りしております。





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