不器用なおくち
 ナマエの彼氏って、一年生のパシリなん?
 いつまで経っても慣れることのない京都弁で言われた言葉をいつもどおり頭の中で訳せばとんでもない単語がお友達のひなちゃんの口から飛び出していた。パシリ。え、ひなちゃんいまパシリって。目蓋を大きく持ち上げたわたしにひなちゃんはきょとんとしている。いや、うんパシリってあれだよね、不良がなんか焼きそばパン買ってこいや的なやつだよね。一年生からパシリってどういうことあれパシリってなんだっけ。
 呆然と目を瞬かせながら脳内で繰り返していると、ひなちゃんはわざわざわたしに事の真相を説明をしてくれた。
 どうやら一年生の御堂筋翔という格好いい苗字の子がいろいろとやらかしちゃっているらしい。
 わたしは彼氏の部活の事情をよく知らないし、自転車が好きなんだなあ程度で特に興味もなかったので詮索しようとも思わなかった。もちろん、レースは観に行って応援をしていたけれども、石垣も石垣でなにも話さずに一日の出来事をわたしに飽きさせないようにするためか面白おかしく、話を展開してくれていたので当然のごとく知るはずもなく、女神のような心優しいひなちゃんが教えてくれなければ、わたしは今日の今までのほほんと馬鹿みたいに石垣と帰っていたに違いない。なんだか彼女失格のような気がしてきた。知らずに石垣と一緒に過ごしていただなんて。
 まあ確かに石垣の気持ちは理解できなくもない。一年生から馬鹿にされているなんて話せないと思うし、自惚れではないけれど石垣のことだからどうせ迷惑をかけたくないなんて、申し訳なさそうに眉を下げたまま言い訳をつらつら述べるに決まってる。わたしだってそうする。
 けれど、例えひなちゃんからの情報だとしても、本当かどうかは自分の目で確かめない限り認めたくはないので、ひなちゃんには適当に笑って流すことにした。まんまと乗ってくれた彼女に内心ほっとしながら、切り替わった話題に意識を向けた。
 石垣に限ってパシリをされることはないだろう。そんな思いも虚しく、残念なことに、わたしの彼氏は本当にパシリ紛いなことをされていた。ひなちゃんの言っていたことは正しかったのだ。現在、彼氏は腕にジュースの紙パックをたくさん抱えて、さらにひょろ長いがりがりの男子生徒から頬を掴まれている。どうしてそういう経緯になったかは不明だが、石垣に非がないことだけはわかる。
 ここは彼女であるわたしがなんとかしなければ。正義心に火が点いたわたしは彼氏の部室へ行くことを決意した。

▼△

 いつも通り部屋で着替えていると苛立ちを表すような地鳴りが扉越しに響いた、かと思えば、力任せに開け放たれた。訪ねてきた人物は、腐朽しつつある建物に乱暴するまでには怒っているらしい。対象は知らないが、どことなく心当たりならする。どうかその部員でないように、部活停止にならないようなことをどうかしていませんようにと祈るばかりだ。「御堂筋っちゅう一年に用があるんやけど」ちょっとした問題児になりつつのある苗字が呼ばれて落胆した。ああ、やっぱりなにかしたんか御堂筋。
 声はどこか聞き覚えのある女子で、よくよく考えれば人との接触を避けている御堂筋が女子になにかをするとは考え難かった。「なんや」大儀そうに応答した御堂筋に柄になくはらはらする。とりあえず早く着替えて見守るしかない。

「聞いたで、あんたのやらかしていること全部! どういうことや!」
「……石垣くうん、これきみの彼女さんやろ」
「えっ――あ、え!?」

 勢いよく振り向けば、目を吊り上げて御堂筋に詰め寄っているミョウジの姿。一瞬で思考が吹っ飛んだ。な、なんでおるん。質問しようにも驚きで言葉が出てこなく、その間にも呆然とする俺を置いて二人の会話は続いていく。

「あんた、一年のくせに生意気なんやけど!」
「こっちの事情を知らん先輩に言われたないわ。あとなんその陳腐な台詞」
「なんやて!?」
「ちょ、ちょお、落ち着きやミョウジ」
「石垣は悔しくないんか!? こんな、ひょろくて殴ったら骨が折れそうな一年にいいようにこき使われて!」
「うわあ、悪口のオンパレードや……」
「ノブ、しっ」

 こそこそと聞こえてきた後輩の会話に吹き出しそうになりつつも、口内を緩く噛んで我慢する。いまここで失笑すればきっと矛先がこちらへ向かってくるだろう。現にこちらの反応を待っている彼女からは睨みつけられている。興奮しているのか肩が激しく浮き沈みして、これ以上の刺激を与えれば平手が向かってきそうだ。ここは一旦宥めさせてなにがあったかを聞かなければ。「なあ」ミョウジ、と呼ぶ前によりもはやく御堂筋が声を発していた。

「気が済んだならそこ、どいてほしいんやけど」
「はあ!?」
「はァ? はこっちの台詞なんやけど。大体、部外者が口を出すのもおかしい思わんの? こないなとこまで来て、怒鳴り散らして、挙句に貴重な部活の時間の邪魔をして。迷惑掛けとる自覚あるん? ……ああ、そこまで頭回らんかったんやね。さすが石垣くんの彼女さんや」

 言葉に詰まったミョウジが顔を真っ赤にさせて俯いた。怒りを超えた羞恥の感情が現れており、言い過ぎや御堂筋と注意するよりも完全に言い負かされた彼女の次の行動に胸が落ち着かない。「……っさいわアホ!!」震える声を押し殺すように叫んだ彼女が飛び出していった。垣間見えた表情はもう泣いており、無意識に足が動き出す。もはや御堂筋を注意するどころではなかった。
 前を行くミョウジの足は速かった。待て、の一言を紡いでも途端に心臓が圧迫されて息が上がる。彼女と追いかけっこをした経験はあったけれども、はて、彼女はこんなにも速かったのだろうか。記憶を掘り返しながら後を追うが、そんな彼女の足も限界だったのか徐々に距離は近付いていく。
 人気のない場所で立ち止まり、段差のある階段に腰を落として自身を抱きしめるように蹲った彼女に、俺は走るのをやめて息を整えた。「ミョウジ」歩み寄って声を掛けても腕で目元を強引に擦っているだけだった。すんすんと鼻を啜っている姿は痛々しかったけれども、こんなにも俺のことを想って乗り込んでくれたのだと思えば不謹慎ながらも胸がぽかぽかと温かくなってくる。隣に座って丸まっているちいさな背中を、安心させるようにやさしく撫ぜた。
 しばらくしてたいぶ落ち着いたのか嗚咽もなくなり、大きく深呼吸をするが、まだ息が弾んでいる。

「ほ、んまっ……ほんま、意味わからん、あのひょろ男。なんもないとこで転けて、骨折れたらええのに」
「まあまあ、そんな怒らんでも」
「石垣が馬鹿にされて悔しいのがわからんのあほッ!!」
「いや、わかっとるよ」
「っなら言わせんどってや、殴るで!」
「はは、それは堪忍やわ」

 かわいいかわいい彼女に、ぶわりと込み上げてくるものが抑えきれなくて、髪の毛をくしゃくしゃにしてやる。頑なとして俺に顔を見せようとしないのは、負けん気溢れる彼女なりの精一杯の強がりなのだろう。

「ありがとうなあ、ミョウジ。俺、正直嬉しかった」
「……ん」
「なあんにも考えんで突っ走るそういうところ、好きで好きでしゃあないわ」
「……それ、褒めとるん、それとも貶しとるん」
「両方や」
「……あほ」


△▼


 休憩時間に入ってから二人が戻ってきた。ほら、と背中を押された石やんの彼女の泣き腫らした顔を御堂筋は相変わらずの無表情で見下ろしている。「……ごめん」ぼそぼそと言いにくそうに唇をへの字に曲げながら石やんの彼女が呟いた。

「ほんのちょおおっと言い過ぎたし、その……いろいろとごめんな!」
「……キモッ! キッモ!! あかん、キモすぎて鳥肌立ったわ」
「なっ、なんやてこのひょろ男!! 石垣、部長の権限でもなんでも使ってええからこの一年追い出しや!!!」
「ミョウジ、一旦落ち着こか」

 苦笑しながら羽交い締めにして止めにかかる石やん、暴れる彼女、舌を出しながら文句を並べ立てる御堂筋。心なしか三人とも楽しそうに見えるのだが、それを言ってしまえば鉄拳が飛んでくること間違いないだろう。とりあえず、頑張れ石やん。ほかの奴らは知らんけど、俺はちゃんと胃薬を準備して石やんのことはもちろん、二人を応援しとるからな。




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