80年よりも前の世界では、男女の兄妹が禁断の恋に落ちるという内容の映画だの漫画だのが流行っていたらしいが、そんなものは所詮空想の物語だ。現実に起こり得ることなんて殆どないに等しい。
クラスの女子がきゃらきゃらと楽しげにしていた会話をたまたま盗み聞いたくらいのものであったから、右から左へ流れるように通り過ぎていったのはもう何日前のことだったかも曖昧だ。
そんな記憶の端にすら引っ掛からないで消化されていくような取り留めのないスクラップを、俺は今更脳内で反芻していた。

何故そんなことがわざわざ思い出されなくてはならないか、それは目の前に佇む男のせいだった。
昔から本当の気持ちを容易く読ませないやわらかな表情も、俺よりも未だに頭ひとつ分以上高い身長も、俺と違ってさらりとなめらかな黒い髪も何ひとつ変わらない。ただ昔と大きく違うのは、その男が血の繋がった実の弟であるはずの俺に、吐き気をもよおしそうなほど甘ったるいいわゆる睦言をささやきかけてきているということだ。

今の俺は昔の幼い非力な俺ではないから、体術の技量も格段に上がったし、脳内でより多くの策を巡らせて他人を出し抜くことも出来るようになった。けれど、ただ手首を掴まれて壁際に押し付けられているだけなのに体がその場に縫い付けられたように動けずにいた。
堕落したからと歩む道を自ら外れたくせに、この男から隙というものを微塵も感じられない。

「エスカ」

小さなときと同じように優しく名前を呼ばれて大きな掌に頬を包み込まれる。意識的に嫌いにならなくてはならないと押さえつけていたけれど、本能的な部分ではこの人を嫌いになれなかった。

俺が俺の決めた道を行くために切り捨てたはずの記憶が次々浮かんできて胸がつかえたようになる。いや、本当は切り捨てられてなどなくて、最初から無理やり心の奥に閉じ込めて忘れたふりをしていただけだったのかもしれない。

この人が小さな頃の俺の希望であり光であり、憧れでありすべてだった。いつもそばにいて、けれどテレビで見ていたアニメのヒーローよりもずっとかっこよくて、何よりも自慢の兄。見上げる背中はいつだって眩しくて、頭をくしゃくしゃと撫でてくれた掌だって忘れたことはない。

耳の奥で反響する声に昔の兄の面影を思い出させられる。

瞼を強く閉じて再び開いて、もう一度兄の顔を見た。もう揺るぎはしない。

「俺はこれからも絶対にあんたと馴れ合うことはない、けど」

心の内側で複雑に渦巻く気持ちを表す言葉を探しながら、やっとの思いでゆっくりとひねり出す。
好きでも嫌いでもない、恨みでも悲しみでもない。もやもやと立ち込める煙のように、曖昧で覚束無い。けれど離しがたいこの感情を一体どう伝えればいい?

「嫌いには、なれないんだ。だから―」

もう一言、と息を吸い込んだ瞬間、視界が不意に暗くなる。
気付いたときにはもう兄は俺から離れていた。

「続きはまた今度聞かせてくれよ」

と耳元で言われてから、兄が俺の唇をかすめていったことを知る。慌てて目で追うと、すでに彼の背中は俺のいる場所から数歩先にあった。こちらをふり返ることはせず、右手をひらりと軽く振って、どこに向かうのか、彼はあっという間に俺の視界から消えた。

取り残された俺はひとり、またひとつ胸に積もった消すことのできない出来事に振り回されないよう必死に生きていくのだろうか。






bird・cage(本当にとらわれたのはさて、どちら?)






兄エスWebアンソロに参加させていただいた際に寄稿したものです!

兄さんとエスカちゃんのつかず離れずというか、お互いに離れられない関係がとても好きです。
絆ではないけど、心の中のどこか深い場所で依存しあう二人みたいな雰囲気をこの話から少しでも感じてもらえれば幸い…

素敵なアンソロジー企画に参加させていただき本当にありがとうございました!




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