「…悪い」

人が、いた。
いつからいたのだろう、まったく気付かなかった自分の馬鹿さと歌を聞かれていた恥ずかしさに今すぐフェンスの向こう側へダイブしたい気分だ。
しかもよく確認すればその人は、この雷門中学サッカー部の一年生にしてエースストライカーとして有名な剣城くんだった。
なんでよりによってそんな人に聞かれたのか…噂が広がるのは正直光より早いのに。こんな有名人の口からこのことが割れれば、きっと学校中の生徒が奇異の目でわたしを見るのだろうという明日からの日々を思うと眩暈までしてきた。
とりあえずこんな微妙な空気の屋上にいるなんて出来ない。

「あ、えと…下手な歌聞かせちゃってごめんなさい…失礼します…」

ああそうか、神様はきっとわたしにしあわせを与えてから地獄の底に突き落とすという波を味わわせて、いいことの後には必ず悪いことが起こるんだって思い知らせたかったにちがいない。ポジティブに物事を考えるのだけは得意だ。
屋上のドアノブに手をかけたとき、剣城くんの声がわたしの呼び止めた。

「あ…おい、待てよ!」

うわあどうしよう。
きっと下手な歌聞かせたから気分悪くなったとか言われるんだ…!なんでこういう想像力って嫌なほうにばかり働くんだろうとため息をつきながら肩をすくめて身構える。

「その、歌…うまかったぜ」

一年生の中では背も大きくて目つきも鋭いし、格好や、最初にサッカー部をめちゃくちゃにするつもりで来たらしいという噂があった(どういう経緯でちゃんとサッカー部に馴染んだのかわかんないけど)ことも相俟って、けっこうやんちゃするタイプの人なんだろうか、なんて思っていた彼から、意外すぎる言葉の羅列が出た。
信じられなくて思わず振り向けば、彼のほうが驚いたのか弾かれたようにこちらを見た。鋭い双眸と視線が合う。よく見たらすこし照れくさそうにしていて、あれ、こんな一面もあったんだと今まで遠かった彼にちょっと親近感がわいた。噂は所詮噂だったということもわかって安心する。どうやら悪い人じゃないみたい。

去る前にいい印象を与えたくなって、自分なりにいちばんの笑顔でありがとう、と言った。
誰かに歌をほめてもらえたのは小さな時以来だったから本当にに嬉しかった。歌を聞かれたのが剣城くんでよかったかも。

来た時よりも軽い足取りで階段を降りながら、また屋上で歌ってみようかな、なんてふわふわと温まった胸で思った。





恋文(歌にのってあなたへ届け)



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