おくすりのめたね



「ふむ… 風邪、ですね。熱も数日で下がるでしょう」
「…そうか、良かった…」


 王宮内に常駐している医師から、喉の状態や倦怠感、咳や熱などの症状から下した診察の結果を手短に伝えられた兄が、ほっと安堵の息を吐いたのが分かった。
 思い当たる節があるとすれば、春先とはいえまだ肌寒かった先日の夜、湯浴みのあと薄着で遅くまで魔導書を読みふけり、夜更かししてしまったことだろうか。余計な心配をかけさせてしまって申し訳なく思う。小さく溜め息をついたら、けほんと一つ咳が出てしまった。


「解熱剤と抗生剤を五日分出しておきますので、一日三回食後にお飲みください。それでも体調が優れないようであれば、またお呼びください」
「ああ、分かった。ありがとう」
「お大事になさってください、ソーン様、騎士団長様。…では私(わたくし)はこれで。失礼いたします」


 一礼ののち、初老の医師は静かに部屋の扉の向こうへと姿を消した。それを見送った兄が、僕がこの身を横たえる寝台の側へと戻ってきて、頭と頬をそっと撫でてくれる。手袋を外した掌はひやりとしていて、いつも以上に心地がよかった。

「…兄様、ごめんなさい…。お忙しいのに、迷惑をかけてしまって…」

 無意識に、触れてくれる手へ縋るように頬を寄せていた。面倒をかけていると頭では分かっているのに、熱で言うことを聞かない体や、ぼんやりと霞む意識のまま一人で夜を明かすのはやっぱり心細くて、世話を焼いてくれる兄に甘えてしまう。

「そんなことはない、お前は俺に迷惑をかけまいといつも気を遣ってるだろう?こういう時ぐらい甘えたってばちは当たらないぞ」

 琥珀色の瞳が柔らかく細められ、夜空に浮かぶ月を思い起こさせる。やさしくて、僕が大好きな表情だ。

「今日はもう寝なさい。薬は明日、起きて朝食の後に飲めばいいだろう」
「…はい… …おやすみ、なさい…」

ぽん、ぽんとあやすように頭を撫でられ、寝るのを促されると、次第に瞼が重くなってくる。一瞬視界が陰り、額に冷たく柔らかいものが触れた感覚を最後に、僕は意識を手放した。

「…おやすみ、ソーン」



***



 翌朝。浮上した意識に従い、まだ怠さは残るものの、昨日よりは幾ばくかましになった体をゆっくり起こす。目を明るさに慣れさせるために数度瞬きしてから室内を見渡せば、僕の寝台の側で椅子に腰かけたまま腕を組んで眠る兄の姿があった。格好が昨日と変わらないということが、あの後自室に戻らず一晩中僕の側にいてくれたのだということを物語っていた。
 このままの姿勢では辛かろうが、起こしてしまうのもなんだか忍びなくて、声をかけようか迷っていたところで兄が目を覚ました。

「あ、兄様、おはようございます…ご気分は…?」
「ん… …ソーン、起きたか…」
「はい、僕もいま起きました。兄様は、お体大丈夫ですか?」
「ああ…俺は大丈夫だよ、こういうことは慣れてるからな…。ソーンこそ体調はどうだ?」

 体を解すためか伸びをしながら慣れてると答えた兄に少し切なくなる。自分は外に出られないから、兄が普段外でどのような任務をこなしているのか、本人や周りの人から話を聞くよりほか知る術がない。きっと想像もつかないような、厳しい状況下での任務もあったに違いない。
 自分がもっと強ければ、兄の傍で、共に戦えていたかもしれないのに。
 寂しさともどかしさからしゅんと項垂れてしまった僕の髪をくしゃくしゃと混ぜるように、大きな手で撫で回される。

「俺のことは心配し過ぎなくていい、本当に大丈夫だから。それよりも今は自分の体を治すのが最優先だろう」
「はい…」
「で、体の調子はどうだ?」
「昨日よりは、ましになりました」
「ならよろしい。朝食を食べて、薬を飲まないとな。一日でも早く治そう」
「はい、ありがとうございます」

 そう言われて思い直す。そうだ、少しでも早く体を治して、魔法の勉強をしに戻らねば。兄様の役に立てるようになるために。

「じゃあ朝食を頼まないとですね…。兄様の分も一緒に、」
「ああ、俺が少し炊事場を借りて作ってくるから待っていろ。軽いものがいいだろう?」
「へっ?兄様が…ですか?」

 兄の口から出た意外な言葉に思わず素っ頓狂な声で返事をしてしまった。てっきり、使用人に頼むものだとばかり思っていたから。

「ん、意外か?国境付近での警備任務で数日野宿とか、民間からの魔獣の討伐依頼で森に待機とかもあったからな。一応は作れる。ごく簡単なものにはなるが…」
「そっかあ…兄様はやっぱりすごいです」

 自分の近くでは当然、兄がそのようなことをやる姿は見られないから知らなかった。料理まで出来るなんて、やはり兄はすごい。改めてそう思い誇らしくなる。

「あー…本当に大したものは作れないぞ?自分で言った手前だが、あれなら女中に頼むし…」
「っいえ!兄様に、朝ごはんを作ってもらいたい、です…!」

 あまり期待を込めた目で見られても、とでも言いたげに、少し照れくさそうな様子で兄が頬をかく。けれど折角なら、こんな機会でもないと食べられないだろう兄の手料理(と呼んだら、謙遜してしまうだろうか)を食べてみたい。自分がまだ熱っぽいことも忘れ、つい力いっぱいお願いをしてしまって、けほけほと咳き込んだ。

「あぁほら、水を飲んで落ち着きなさい。分かったからそんな咳き込むまで力説しなくてもいい」
「すみません…」
「身体が暖まるものにするから、大人しく待ってるんだぞ?」
「はい」

 殊更優しい声で、焦らなくてもいいからと宥められた。
 手袋をしていない掌が僕の頭と頬をそれぞれいたわるように撫でて離れる。兄の手は冷たいはずなのだけど、今は不思議と暖かく感じた。
 部屋から出ていく兄の姿を見送って、一体何を作ってくれるのだろうかと期待に胸を膨らませながら待つことにした。



***



 扉が静かにコンコン、と二回鳴らされ、はいと返事をする。程なくして兄の声が聞こえ、蝶番の軋む音と共に部屋を仕切る重い板が開かれた。その手にはお盆が乗せられている。

「おかえりなさい、兄様」
「お待たせ、ミルク粥を作ってきた。これなら食べられそうか?」
「はい、ありがとうございます!」

 眼前に出されたそれは温かな湯気をふわふわと立てていて、湯気と共に鼻腔をくすぐるほのかな甘い匂いに思わずお腹がくぅと鳴ってしまった。

「わぁ…!いただきます!」
「ああ、召し上がれ」

 手を合わせてから、真っ白なお皿に控えめによそわれたミルク粥を盆にあったスプーンで掬って、軽く冷ましてから口へ運ぶ。まだ少し熱かったけれど、ミルクと…この風味は蜂蜜だろうか?優しい甘みが広がって、とてもほっとする味だ。おいしい。

「ん…、とてもおいしいです、兄様」
「美味いか、なら安心したよ」
「えへへ…僕、幸せ者ですね」
「なんでだ?」
「だって、風邪を引いちゃいましたけど、こうやって兄様にご飯を作ってもらえるなんて、とっても贅沢です」
「そうか?なんだか大袈裟だな」

 少し眉を下げて照れくさそうに笑う兄に更に嬉しくなる。甘めに味付けられた温かいそれは、兄の優しさをそのまま形にしたかのようで、僕の心とお腹を優しく満たしてくれた。

「ごちそうさまでした」
「量は足りたか?」
「はい、ちょうど良かったです」
「そうか、それは良かった」
「じゃあ…あとは薬だな」
「そうでした…!」

 兄からの言葉にはっとして、気持ちに影が落ちる。せっかくの美味しい食事のあとに薬を飲まなければならないということがちょっぴり残念だった。

「これを飲むための食事でもあったしな」
「…やっぱり、苦いでしょうか…」
「それは分からないが…少なくとも水薬は甘いはずだ」
「なら先にそっちを飲みます!」
「分かった。ゆっくりでいいぞ、焦らずにな」

 兄の言葉に頷いて、処方された薬の内の小さな瓶に入った水薬を手に取った。少し不思議な色を纏って瓶の内で揺らめくそれは、いかにも薬です、といった風に自身を主張しているようにも見えた。

「…よし、」

 小さく呟いたつもりだったが、決意の言葉は思いの外大きく声に出てしまい少し恥ずかしくなる。どうやら執務机に向かう兄にもしっかり聞こえたらしい。視界の端の背中が僅かに震えていたので、笑われたのは確実だったが仕方ない。
 決心が鈍らない内にと小瓶の栓を取り、水薬を一気に飲み干した。味は思っていたよりは甘く、けれど飲み込む前にほんの少し舌の奥に苦味が感じられて、やはり薬なんだなあと実感する。
 とはいえ第一の試練は突破できた。あとは粉薬だけだ。

***

 兄から渡された薬とにらめっこを始めてはや十数分。抗生剤の方は甘めに味付けされたシロップ薬なのでなんとか飲めたのだが、もうひとつの解熱剤は紙に包まれた粉薬だった。きっと苦いんだろうなあという想像から、なかなか手をつけられずにいるのである。
 水を口に含み、そこへ浮かべるように粉薬を乗せ一気に飲み込むのがこつだ、と兄が教えてはくれたけれど、上手くできる気がしなかった。

「…むう… 」

 いくら見つめていてもこれが都合よく消えたりなんかしないのだが、願いを込めるように、掌に載せた薬の小さな紙包みにじっと視線を送る。

「…ソーン、そんなに見つめても薬はなくならないぞ?」
「うう、そうですけど…」

 書類を確認し終えた兄がふ、と少し笑いを滲ませながら未だ薬を飲む決心のつかない僕に声をかけてくる。分かってはいるけれど、苦すぎて吐き出してしまわないかとか、噎せて鼻に入ったりしないかとかそんなことがたくさん浮かんで怖いのだ。

「そうか、…」

 どうにも気が進まない僕の様子に、兄が一旦言葉を切って僕の寝台の側へと来る。そして何を思ったか、盆にあったコップの水と僕の粉薬を自分の口に入れてしまった。

「な!え、ちょっ兄さ」

 兄の奇行とも呼べる意図をはかりかねる行動に驚いたのも束の間。兄のことを呼び終わる前に僕はその長い指に顎を掬われ、唇を塞がれた。

「んん、ッ!?」

 さらに予想だにしなかった突然のことに目を見開く。それだけじゃない、こちらの口内に入り込んだ熱い舌と共に流し込まれてきた苦味のあるこれは…薬だ。
 受け入れ難い匂いと味に涙が滲む。生き物としての本能で自身の舌の根がその苦みを押し戻そうとするけれど、後頭部をしっかりと押さえられながら上顎や頬の内側を舐められると体の芯が痺れるような感覚がぞわぞわと駆け抜け、受け入れるほかなかった。
 次々襲い来る未知の刺激に恐怖すら覚え、縋るように兄の背に腕を回して、深い口付けに応える。薬の苦味はいつしか消えていて、どうやらもう喉を通り過ぎていたらしかった。お互いの荒い息遣いと、唾液を混ぜられるいやらしい音、鼻に抜ける甘ったるい声が、鼓膜にこびりつく。

「ん …、」
「っふ、…ぅ…んん…!」
「は、…っ」

 長い口付けが終わりようやく唇を離され、肩で息をする。濡れた口元を拭う余裕はなかった。

「はぁ …っはぁ… 、に、いさま、一体…」
「ん 、やっと薬が飲めたな」
「そ…っ!でも、いきなりあんな…く、くちづけ なんて…!」

 恥ずかしさから口ごもっていると、前髪を掻き上げられて額へ軽い口付けをおくられる。続けて親指で唇を拭われた。

「でも苦い薬を飲めたろ?ご褒美にココアを淹れてくるから、大人しく待ってなさい」
「!…、は、はい…」

 ほんの少し笑みを乗せた、悪戯が成功したときのような表情で、僕の大好きなココアを淹れるだなんて甘い提案をされれば、先程の恥ずかしさを差し置いて絆されてしまう。兄は僕のことならなんでもお見通しで、何をしてもかっこよくて、なんだか少しだけずるい。今だって口付けのことを上手くはぐらかされてしまった気もするし…。
 それが嫌というわけではないけれど、自分も兄を驚かせたりしたいのに。それはもちろんいい意味で、だ。


 部屋を出ていくすらりとした背中を見送りながら、いつかその隣に堂々と並び立つ日が、少しでも早く来るようにと祈った。その前に、何かで絶対驚かせてみせる、とも。


(とりあえず今は魔術で作ったものを自由に操れるようにならなくちゃ。頑張るぞ!)



×
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -