梅雨が明けてから、今までは準備期間でこれからが本番だ、とでも言うかのように、夏を象徴する日差しは空気さえも焦がすほどの勢いになった。
屋外競技のサッカーやテニスも大変だろうけれど、室内競技であるバスケ部も、その日差しから受ける暑さの影響は充分にある。直射日光こそ受けないが、サウナのごとくあたためられた体育館で体を動かすというのは拷問に近かった。
今日も茹だるような暑さに包まれながらの練習を終えて、くたくたの体をなんとか気力で引っ張りながら着替えを済ませる。帰ったらTシャツもタオルもすぐに洗濯しないとな…と思いながら、荷物をまとめた。

「じゃあ、今日は先に失礼するな」
「おー、木吉おつかれー!」
「先輩、お疲れ様です。さようなら」
「あ、お疲れ様っす」

コガや黒子、火神たちから口々に挨拶をもらい、それにこたえるように軽く手を振って部室を出る。俺よりすこし先に出た日向は確か自販機の前にいるからと言っていた。待ち人のもとへと急ぐべく、俺は足を速めた。

オレンジ色の光がそこら中を染める中、すらりと伸びた日向の影を見つける。視線を上にうつせば、影の足元から本物の日向が立っているのが見えてほんのりうれしくなった。夕陽が直接目に降り注いできて眩しいので顔の前に手をかざしながら、見つけた日向の名前を呼んだ。

「すまん日向、遅くなった!」
「おっせーよダァホ、さっさと帰んぞ」
「ああ、わかった」

口は悪いもののさほど怒ってはいない。なんだかんだ言いつつも、じつは世話焼きで優しい日向はいつもちゃんと待っていてくれることを、俺は知っている。
背を向けて歩き出した日向の隣に急いで並ぶ。毎日部活を終えたあと、日向と一緒にゆっくり歩きながら帰るこの時間が、俺はとても好きだった。
今日の練習のこと、授業で出された宿題のこと、昨日のテレビのこと、夕飯のおかずのこと。いろいろなことを話しながら、駅までの道を歩く。
アブラゼミの声が遠くから近くから輪唱のようにひびいて、心地よく鼓膜を揺らすから、あと何回、部活のあとこうして日向と帰れるのかなという寂しさが幾ばくかまぎれた気がした。

***

「ったく、毎日ほんとあっちーよな…」
「だなあ…。俺もちょっと暑さで練習バテかけたぞ」
「お前でもそんなんって相当だな…丁度いい、アイスでも買うか」

汗を手の甲で拭いながらそう言って、日向は駅前のコンビニへと足を進めたので、俺もついて行った。自動ドアが開くと同時に、冷えた空気が俺たちを出迎える。首にまとわりついていた不快な汗が即座に冷やされていくのが分かって、文明の利器はすごいなあという今更な感想が浮かんだ。日向は真っ先にアイスのクーラーボックスへ向かい、最近シーエムでよく見かけるアイスの袋をつまみ上げた。

「…木吉は買わねえのか?」

俺がその一連の動作をぼんやり眺めていると日向に問われた。特別買いたいアイスがなかった俺はいいよと手を振り買わない意を伝える。日向はそうか、と頷いて会計を済ました。
店員の声に見送られながら店を出たら、日向が俺の目の前にずいと何かを差し出してきて。目をしばたかせながらピントを合わせると、それは先ほど日向が買ったアイスだった。

「…おら、俺のおごりだから食えよ。……チョココーヒーなら、お前でも食えんだろ」

ぶっきらぼうに、だけど俺も食べられるようにとチョココーヒー味を選んでくれた日向の優しさが心地いい。斜め下にある耳がすこし赤くなっているのが見えて、なんだか胸がくすぐったくなった。

「…ありがとう、な」

小さなアイスを受け取って、俺はそっと笑った。

***

立ちながらだとこぼれるだろうと、俺たちは近くの公園のベンチへ腰を下ろすことにした。
遠くの空がオレンジから紫に染まり始めているのが見える。

「さすがにちょっと溶けちまったな…」
「まあ食えねえことはねえよ」

移動しているあいだに手の中でやわらかくなったアイスのボトルをつまみながら、切り口を引っ張って開けた。水滴で指先が湿る。ボトルを口にくわえてちゅうと吸い込んだら、甘くて冷たいアイスが思いのほか渇いていた口の中にじんわり染み込むように広がった。鼻へ抜けるコーヒーの香りは、チョコレートとミルクが混ざっているせいか優しくて、いつものように苦手だとおもわなかった。
横へちらと視線を寄越せば、日向はもうすでにアイスを食べ終えそうで、あっという間に空になった容器をさっきまでアイスが入っていたプラスチックの袋へと入れた。
ふいに日向がこちらへ振り向いて、ちょっと怪訝そうな顔でなんだよと口を動かす。

「あ…いや、なんでもないんだ」

俺はそう答えて、忘れかけていた残りのアイスを食べることに戻った。数日前、リコに言われた言葉がふっと頭に浮かぶ。

近ごろ、俺はよく日向を見ているらしい。本人から、最近お前からやたら視線感じるんだけどなんだよと言われて初めて気がついた。そうなのか!と返すと、気付いてねえのかよ…と脱力ぎみに言われ、話はそこで終わってしまった。確かに、よく視界に日向がいるなとは思っていたが、それは俺が日向を見ていたからだったのか。
どうして俺は気付いたら日向を目で追っているのだろうと考えてみたけれど、いくら思考を巡らせてもはっきりした答えは見つからず、リコなら分かるかもしれない、と相談したら、うーんとうなられてから複雑そうな顔でゆっくりと言われた。

「鉄平は、日向くんのことが…気に、なってるのかも」
「…?…そ、うか」

リコの言葉を反芻してみるけれど、余計に分からない。
新しい答えをもらうたび、新しい疑問が生まれる。開けても開けても中身にたどり着かない箱のようなこれは、いったい何なのか。
俺は日向が気になっている。フレーズとしてはシンプルなのに、そこに秘められた解が膨大すぎて、どれが正しいのか分からないのだ。

「…どうしたんだよ?またボケッとして。アイス終わったんならゴミ、これに入れろ」
「え、あ…ああ、ありがとう」

珍しく日向が俺を見ている。眼鏡越しのグレーが細められて、俺の様子を伺っているのが見えた。
その視線に心臓がぎくりと鳴る。なぜかいたたまれなくなって、目を逸らしながら空の容器を日向に預けた。なんだ、これ。妙に鼓動が早くなって、体温が上がる。日向と目が合った、それだけなのに、息苦しくてたまらない。
心臓から湧き出した熱がだんだん体中にめぐっていく。指先も頬も熱をおびて痛い。

「なんか今日、らしくねえぞ。もしかして熱でもあんのか?」

日向の声にわずかな心配の色が混ざったのがわかって、大丈夫だから気にするなと言おうとしたら、額に冷たい掌がぴたりと当てられる感触。それが日向の手だと数秒あとに理解して、俺は息を詰まらせそうになった。頼むから収まってくれ、心臓。

「あ、いや…その…!」

日向がふれたところに熱が集中して、まともな言い訳も浮かばない。頭が許容量をこえてしまってもはや軽く泣きそうだ。日向の言うとおり本当にらしくない。
思わず俺は、その純粋ないたわりの手を払いのけてしまっていた。

「な、おまえ…」
「す、すまん日向…!今のは、違う…!」

びっくりした顔の日向を見て、俺は慌てて謝る。頭の中がぐちゃぐちゃでもう何をしたいのかわからないけれど、そんな中でも、日向に見放されたくないと必死に縋ろうとする自分がいた。

「…また調子悪いくせに無理してるとかじゃねーだろうな?」
「それは違う… …ただ、俺はおまえに…、…」

先の言葉が続かず、黙って俯いてしまう。空になったアイスの袋を持つ日向の腕を、遠慮がちに掴んだ。日向がそのまま離れていってしまいそうで怖かった。
以前日向に面と向かって嫌いだと言われたことがあったが、それに対して恐れを感じたことはなかった。たとえ日向に嫌われていたって、バスケではちゃんとお互いに認め合った仲間だという確信があったからだ。
でも今、ここで日向が離れていったら、仲間としてさえいられなくなってしまうような気がしたのだ。

「…なーにを心配して気弱なツラしてんだか知んねえけどよ」

すこし呆れたような言葉とともに、掴んでいない方の日向の手が伸びてきて、髪をくしゃくしゃとまぜられる。大きくなってからは撫でられることが極端に減ったせいなのか、長らく味わうことのなかったその感触があまりに心地よくて、先ほどとは別の意味で涙が出そうになった。

「…別に俺はおまえから離れようとか、んなことは一切考えてねえからな?」

考えていたことをずばりと言い当てられてしまい、思わず顔を上げる。いまだ前髪にふれたままの手の隙間から、仕方ないなとでも言いたげな日向の顔が見えて、胸がきゅっと軋んだ。次は先ほどよりも強く、ぐしゃぐしゃと撫でくり回される。

「っわ、おい…!俺は犬じゃないぞ…!」
「置いてかないでって顔に書いてんだよダァホ!犬みてーなもんだろが、あ?……俺はそんなに信用ねえのかよ?」

俺はいつ自分の顔に置いていかないでほしいなんて書いたっけと思いながら、日向のぶっきらぼうな手のひらの温度を甘受する。最後の一言にほんのすこし寂しそうな色が含まれていて、俺ははっと気付いた。

「…すまん」

そうだ。俺の方が、日向を信用していなかったのだ。信用しているつもりでいたけれど、心の隅では信用しきれずにいた。ひとりで勝手に、日向は俺のことが嫌いだから、いつか離れていっても仕方ないと諦めていたんだ。


***


先ほども思わず口を滑らせてしまったが、やはり木吉は犬のようだなと思う。193センチという身長を持つくせに、今は眉を下げてしおらしくしているせいなのか、毛先があちこちを向いた栗色の髪の中に垂れた耳があるようにさえ見えてしまうのだ。
気に入らない部分が多いやつだが、そういうところは放っておけない。
一人でつらいことを抱え込んで、本当は傷だらけなくせに大丈夫だと笑ってみせる。そんなもん強がりだなんてことくらいこっちはとっくに分かってんだよダァホ。バレないとでも思ってんのか?こいつは。今だって、例えば逆さにして振ったら転がり出てくる缶ドロップのように、無理やり肩をつかんで揺さぶったらポロッと涙をこぼしてしまいそうな顔をしているのに。

「…どうしても言いたくねえなら、無理に言わなくたっていい。けどな、つらいことを隠して無理に笑うんじゃねえよ」
「ひゅう、が」

俺を見る薄茶色の瞳がわずかに揺らいだとおもったら、透明な涙の粒がぽろぽろとこちらへ降り注いできて、突然のことに俺は眼鏡が割れんばかりの勢いでぎょっとする。木吉の喜怒哀楽はなぜいつもこんなに読めないのか。

「ちょ、きよし」
「っ…ごめ、日向が、やさ し…から、…」

暑さとは別の汗を心にかきながら、どうすればいいのか思案を巡らせる。こういうときハンカチとかをすっと出せれば気が利くんだろうが、俺の手持ちにはあいにく部活で使ったスポーツタオルしかない上にそれさえもただ乱雑に鞄に突っ込んであるだけだった。
ああもう仕方ねえと半ばやけくそになりながら、俺は自分の親指の腹でぐいと木吉の目元を濡らす水分を拭ってやった。涙の膜でいまだ潤む瞳はぱちくりと開かれて、俺の行動に驚いたことを明確に表していた。

「…悪い。手元に拭くもんなくてよ」

よく見れば長い睫毛も茶色で、今は涙の水気でしっとりと湿っていた。俺の言葉を聞くと、その綺麗な二重まぶたはゆっくり弧を描いて、ありがとう、と小さく言われた。
すこし震えたやわらかい声色に、涙のあとが残る瞳に、きゅうと胸の奥を締めつけられた気がして、俺はほとんど衝動的に、自分より一回りほど大きな木吉の体を強く抱き寄せていた。
俺の方が身長や体格が小さいので端から見るとやや間抜けな絵面だろうとはおもう。だが今そんなことはどうでもよかった。自分の心臓が大きな音を立てて鼓動を速めていくのがわかる。俺の急な奇行に木吉がどんな顔をしているか気にはなるものの、嫌がらないのをいいことに離すこともできず、ただ黙って木吉の心音を感じていた。

「ひゅ、うが…?」

こわごわ、といった表現がぴったりであろう、木吉が俺の名前を小さく呼んで。俺はその声で弾かれたように、腕を回していた木吉の身体を離した。

「っ…わり…」

いくら混乱していたからとはいえ泣いてるのを宥めるのに涙を指で拭った挙げ句抱きしめるなんて、同性にされたら気持ち悪いだろうに、木吉がなにも言わないのをいいことに俺は何をしてしまったんだ、と我に返ってから自分のしでかした行動に頭を抱えたくなった。
情けないことに恥ずかしさで顔が熱い。
木吉を直視できずに微妙な距離を空けたまま何も切り出せずにいると、蝉の声が鼓膜を焼くみたく響く中、木吉が小さく、だがはっきりとした声でもって俺へ言葉を寄越してきた。

「…なあ、日向」

そして俺の考えていることを読んだように続ける。

「…俺さ、日向にそうしてもらって、全然、嫌じゃなかったよ」







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