※1146さんが猫化してしまう設定があるので、苦手な方はお戻りください



先日の二度目となるがん細胞の襲来から特別大きな怪我や病気もないようで、この体(せかい)は穏やかな日々が続いていた。
とはいえ、外からの細菌の襲撃にいつ何時であってもすぐ対応出来るよう万全に備えておくのが、免疫細胞最後の砦である俺たちキラーT細胞の仕事だ。
出動命令がなくても、心身の鍛錬は常に欠かしてはいけないという自身の矜恃のもと、今日も今日とてまだまだ未熟でヒョロっこいナイーブ共の扱きに精を出していた。


「オイ!なんだその弱ぇ突きは!アァ!?腕の突き出し方に全然腰が入ってねぇぞ!!もっと足腰踏ん張れクズ共!!」
「「「イエッサー!!」」」
「突き練習、左右それぞれあと500回追加だ!!」
「「「イエッサー!!!」」」


全くもって世話が焼ける。ヘロヘロになりながら俺に向かってきては投げられるナイーブ共の姿は在りし日の弱い自分を見ているようで、一日でも早く立派なキラーT細胞にしてやらねばならないとつくづく思う。これは班長としての義務感だけではなく、兄のような、一種の親心のような、そういった気持ちも含まれているのだ。

一通りの基礎トレーニングを終えて、残りの体術訓練の指導メニューを副班長に渡し、軽い休憩がてらリンパ管の訓練所から出る。首や肩を回しながら軽く筋肉を解すと骨が鳴ると共に、案外腹が空いていることに気付いた。飲み物と適当な軽食でも買いに行くかと歩いていれば、なんの偶然か。リンパ球の内一際多くいる好中球共の中でもよく顔を合わせるホノボノ球──もとい好中球1146番の野郎が、仲間の好中球一人と連れ立って、今日もまたほのぼのと血小板のガキに囲まれて笑ってやがるのを見つけた。ガキの言葉にいちいち丁寧に対応しては穏やかに微笑むあいつの周りに花が飛んでるように見えるのは、決して俺だけじゃねえはずだ。NK辺りが見たって花が飛んで見えるに決まってる。まぁあの女と意見が合うなんて真っ平御免だが。

とはいえここで見つけちまったのも何かの縁だ。腹ごしらえの前に、相変わらずほのぼのしている好中球に免疫細胞としての心構えを説いてやるのも悪くはないだろう。別に血小板のガキに好かれてるのが羨ましいわけじゃねえぞ。あのほわほわした緩みまくりのツラを誰彼構わず見せて油断してやがるから一喝入れに行くだけだ。
俺が好中球の方へ向かう途中で、血小板のガキ達はニコニコしながら手を振って去っていった。先程までいた同僚の好中球もいつの間にか別れたらしく既にいなかった。血小板達を見送りながら手を振り返す好中球に、俺は好機とばかりに大股で近付きながら声をかけた。


「オイ!好中球!テメーはまたそんなにほのぼのしやがって。ガキのお守りかよ」
「キラーTか。俺はただ血小板に道路標識の読み方を教えていただけだが」
「別にテメーが教える必要はねえだろ」
「同じ体(せかい)ではたらく仲間とコミュニケーションを取りたいと思うのはいけないことか?」
「悪いとは言ってねえ、他の奴が教えればいいっつう話だ」
「しかし…」


少し好中球が言い淀む。俺の言葉のせいか、俺よりも目線が下にあるからか、心なしか好中球の表情は寂しげにも見えて、じわりと心の底に昏い悦びのようなものが滲んだ。
こいつはガキに微笑みかけるツラより、細菌共とギラギラ睨み合うツラの方が似合う。殺し屋なんだから俺みてえにもっと殺し屋らしくしてろ。そんなことを思いながら、話題を変えようと一度好中球から視線を外し再度向き直ると。


「んなことはいい。それでよ、好中きゅ……ってあれ?好中球?…どこ行きやがったんだ」


さっきまで言葉を交わしていたはずの好中球の姿が忽然と消えていた。抗原の侵入を告げる好中球用のレセプターも鳴っていないし、こいつに限って人の話の途中で黙っていなくなるなんてことは恐らくしないだろう。ならば一体何処へ。疑問符を浮かべながらもとりあえず辺りを見回せば、何故か地面に落ちている好中球の白い制服と、同じく白い帽子、あとは…なんだこれ、サポーター?訝しみつつも膝をついてしゃがみ込み、まじまじと見詰めたその真ん中に、もそもそと蠢く小さな膨らみがあった。もしかして細菌か!?と慌てて服を捲ると、その中には──ふかふかとした豊かな毛並みを蓄え、足先から尻尾、ぴんと立った大きな耳の先まですべて真っ白な猫がいた。


「は…??」


思わず間抜けな声が出て、マンガよろしく目をぱちぱちと数度瞬かせてしまった。いやだって、なんで、好中球の服ん中に、突然こんなモフモフの猫が。
驚いて思考停止してしまった俺の意識が、なぁお、とこちらを伺うように鳴いた目の前の猫の声に引き戻される。ぷるぷるっと軽く身を震わせた猫は、居住まいを正すように前脚を揃えて座ると、俺に話しかけるかのようにもう一声鳴いた。何か言いたげな雰囲気すら感じるその猫と視線を合わせるために、俺も本格的に地面へと座り込んだ。先程は驚きのあまり分からなかったが、この猫の顔をよく見ると、前髪のような長い毛が右目を覆い隠している。こちらに向いている目は黒々としており、目つきは鋭いもののくりっとしていて大きく、可愛らしさもあった。スッと通った小さな鼻は薄いピンク色で、中々の器量良しなようだ。…ていうか、この顔どこかで見たような。顎に手を当てて記憶を探る、までもなく答えはすぐに出た。…そうか、好中球に似てるんだ。寧ろ好中球を猫にしたらこんな感じ、の具現化のような…まさか。


「まさか、お前、好中球…?」


半分は冗談で、残り半分はもしかしてひょっとして、という予感だった。複雑に入り交じるそれらを言葉に込めて恐る恐る眼前の猫へと尋ねると、猫はゆっくりと瞬きしながら頷く。そしてなぁん、と俺の問いかけを肯定するかのように鳴いた。いや、実際肯定したんだろう、本当に好中球だから。


「マジかよ…」


にわかには信じ難いが、俺の言葉を完全に理解していると思われる反応、あいつによく似た真っ白な毛並みと顔、何より周りにある服と制帽が、この猫は好中球であると物語っていた。なんだってこんな急に猫になっちまったのかは全くわからないが、とりあえず元に戻るための方法を探すのが先決だろう。俺は腕を伸ばし猫を抱き上げ、周りに散らばる好中球の服や帽子をかき集めようとした、のだが。


「オ゙ァ゙ァ゙!!」


腕に抱いた猫──もとい好中球から突然上がる激しい威嚇の声と、左頬に食らう衝撃。次いで襲ってくる痛みと脳が揺れる感覚に視界がぐらつく。何が起こったか理解出来ず全てがスローモーションに見える中、驚きの速さで俺の腕からすっ飛んでいく好中球。なんとか倒れず踏みとどまり目だけでそれを追えば、白い塊はすぐ近くの細胞壁が入り組む薄暗い路地裏へと吸い込まれていった。
強烈な猫パンチを食らった頬をさすりながら服を持って後を追う。いきなりなんなんだと呟いた途端、口の端がぴり、と鋭く痛んだ。どうやら切れているらしい。流石好中球と言うべきか、猫の癖にとんでもねえ戦闘力だ。
そして辿り着いた細胞壁の向こうを覗こうとした瞬間。


「ッ待て!来るなキラーT!!」
「っうぉおおお!!?」


大きく鋭い制止の声が上がり、またも予想していなかった事態に、俺は大きく肩を跳ねさせざるを得なかった。


「こ、好中球!?ビビらせんじゃ…あ!!戻ったのかよ!!」
「ああ…すまないがその、とりあえず服を渡してくれないか…」
「あ、おう…」


どうやら猫の姿から戻ったらしい。ひとまずは安心か。言いにくそうに服を要求する声が小さく潜められていたので、俺もつられて小声になる。そうか、そういや好中球は今全裸か。そうは言っても同性だし別に遠慮などせず見ても良かったんだろうが、先程来るなと強く言われた手前、覗くことはせずに服を持つ腕だけを壁の向こうへ伸ばして渡してやる。二、三度に分けて服や靴などを向こうに届けると、衣擦れの音に混じってファスナーを上げる音やナイフホルダーの硬質な音がして、数分後にようやくすっかりいつもの装いに戻った好中球が現れた。


「すまんキラーT、手間をかけさせたな。あとさっきは本当に悪かった。人前で全裸になる訳にはいかなくてああいった暴挙に出てしまった」
「いや、それはいいけどよ。…お前、猫になっちまうのか」


開口一番で謝罪を告げた好中球は、俺の言葉に一瞬ぴくりと反応する。所在なさげに視線を彷徨わせたあと、小さく頷いた。それを眺めながら改めてこいつは隠しごとや気持ちを偽るのが下手くそなんだなと思わされる。申し訳なさそうに目を伏せる好中球からは、隠していた自身の秘密を知られた挙句、迷惑までかけてしまって申し訳ない、後ろめたいというのがひしひしと伝わってくる。別にそんな申し訳なさそうにしなくたっていいのに。


「…とあるきっかけがあると、たまにな。幼い頃は時々変身してたから、仲間の好中球は俺のこの体質を知ってるんだが、好中球になってからは殆ど変わることもなかったし、話さなくても支障はないからと黙っていた」
「ふぅん…で、そのきっかけってのは?」


訥々と語られる好中球の秘密に内心では驚いていたが、吐き出された言葉は意外と落ち着いていた。何より、今まで仲間しか知らなかったらしい好中球の秘密を知れたという事実に、優越感のようなものを覚えた。一番ではないが、あの迷子赤血球や血小板よりも先に知れたから良しとする。


「…気分が、落ち込んだ時、なんだ」


俺の問いに、照れているのか少し言いにくそうにしながら答える好中球。こいつは落ち込んだ時、猫になる。こうちゅうきゅうは、おちこんだとき、ねこになる。………なんっっっだそれ!!…決して可愛いなんて思ってねえぞ。いや待て、てことはさっき猫になったのは俺の言葉に落ち込んだから?つまり、俺の言葉でこいつは猫になったのか。落ち込ませたのは心から悪いと思ってる。けど、俺が好中球の気持ちを動かしたのは事実なわけで。とはいえ喜ばせたわけじゃないから、ここでガッツポーズするのは違う。ただ、兎に角色んな奴に好かれていて、俺以外にも笑顔を見せまくる好中球の心の端っこを、今回は俺だけが少し掴めたかもしれないということが、あまり認めたくはないが嬉しいのだ。


「おお、そうなのか。…じゃあ悪かったな、さっきは」
「情けない姿を見せてしまってすまなかった」
「別に構わねぇよ。情けなくねえし、むしろ猫のお前も割と…その、かわいい…」
「いや、キラーTのお陰で俺がまだ未熟だということはよく分かった。このぐらいで落ち込んでいたらいざという時やられてしまうからな」
「は?」
「少しのことでは落ち込まないよう、しっかり気合を入れ直すことにするよ。ありがとう、キラーT」
「お、おう、どう致しまし……ん?」


思わずどういたしましてと返しかけて、何か違う方向に決意を新たにしている好中球の言葉を反芻する。待て、俺は別にちょっとしたことで落ち込んで猫になっちまう好中球でも全然…むしろ猫の好中球また見たいし、戻ったら全裸なのもいいと思…ってそうじゃねえ!
俺がどう訂正しようかとぐるぐる考えていると不意にピンポーンという間抜けな音が鳴り響いた。好中球のレセプターだ。


「!抗原か!!では今回は世話になったなキラーT、続きはまた今度頼む!!待てこの雑菌めえぇぇぇぇえええええ!!!!」


あまりの展開の速さについていけない俺を置いて、好中球は鬼の形相で雑菌の駆除へと向かった。俺の複雑な心にはいっそ清々しいほど全く気が付いていない好中球の態度に、今度は俺の方が落ち込んでしまいそうだった。





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