※夢
※名前変換はなし


髪をまとめよう、と肩あたりまで腕を上げたところで、もうまとめる必要なんかなかったんだと思い出してすこし悲しくなる。いつも何気なくしていた動作が突然意味を持たなくなっただけでこんなに気分が落ち込むものなのかと感じながらため息をひとつこぼした。
すっかり短くなってしまった髪の毛先をさわりながら、どうしてあの時にこそくくっておかなかったのかと後悔の念に襲われる。
よく「髪は女の命」だなんて言うけど、わたしは正直なところそこまで髪が大事でもなかったし、お手入れもそこそこしていたかしていなかったかぐらいのものだった。だからこそうっかり気を遣い忘れてこんなことになってしまったんだけれど。

事の顛末はこうだ。先日の美術の授業で、わたしはプラスチックの板を使って立体を組み立てるという内容の課題に取り組んでいた。
そのときプラスチック板をくっつけるために瞬間接着剤を使っていたのだけれど、あろうことかその日に限ってわたしはいつも髪を結んでいるゴムを忘れてきてしまったため、髪を下ろしたままその工作をすることになって、運悪く髪に接着剤がついてしまったのである。
髪の先に少しついたぐらいならそこだけを切るなりすれば済んだのだが、悪いことは重なるのか髪についた接着剤の被害は甚大で、結局全体を短くしないと格好がつかないからとばっさり切らなくてはならなくなった。

そのおかげでわたしの肩の下ぐらいまであった髪は、無惨にも短く切り揃えられるはめになってしまって、今に至る。わたしの髪は今やほぼショートだ。
髪を短くしたのは小さな頃以来だ。昔はそのせいで男子みたいだとよくからかわれたので、いつか絶対に伸ばすんだと決めて、中学に上がってからはかたくなに髪を切らないでいた。その甲斐あってか、高校生になる頃には髪を結んだり、時にはお団子や三つ編みといったおしゃれを楽しめるほどの長さになっていたというのに。
持っていた服もアクセサリーも似合わなくなったらショックだな…。色んなことを一通り考えてからまたため息をついたところで、図書室の扉が開く音が鼓膜を揺らす。何気なくそちらに視線をやると、入ってきた人物はバスケ部の笠松先輩だった。
今日はテスト前で部活がないから、わたしがマネージャーをしているバスケ部も練習はお休みだ。だからわたしも図書室を借りて勉強しにきていたのだが、まさか同じ部活で顔を合わせている先輩が来るとは思っていなかったので妙にびっくりして緊張が走った。
先輩がわたしに気づいて声をかけてくる。

「お、おまえも来てたのか」
「あっ、は、はい。先輩もテスト勉強ですか?」
「ああ。…てかおまえ、髪…」
「ちょっと、色々あって。…切ったんです」

先輩はわたしを見てずいぶん驚いたみたいだった。髪を切ったのはバスケ部が休みになったあとで、それ以来先輩とは会っていなかったから知らなかったんだ。先輩に言いながら改めてあの事件を思い出してまた気持ちが暗くなる。鼻の奥がつん、と独特の感覚になって、目頭に涙が滲みそうだ。なんとか笑おうとしたけど視界がだんだん揺らいできた。ああ、先輩の前で泣いちゃうなんて情けないなあ。
思わず手で目元を隠そうとしたところで、立ち止まっていた先輩がこちらへ近づいてきた。席に座るのかなと思っていたら急に手が伸びてきて。大きな手、という感想が浮かんだところでそれはわたしの頭の上にふわりと乗せられて、ぽんぽんとあやすように優しく撫でられた。
突然の出来事にびっくりして、硬直したままわたしは先輩の手のひらを甘受することになる。鼓動が忙しなくて、耳の近くに心臓があるみたいだ。すると次に先輩の声が耳に届いた。

「短い髪、似合ってるぜ」
「…え、?」
「何があったかは知らねえけど、俺は今の髪型も悪くねえと思う」

淡々と、でも優しく紡がれた言葉はまるで風のようで、わたしと先輩しかいない図書室の空気にあっという間にとけていった。でも、先輩今、わたしの髪型似合ってるって…。言われたことの理解が遅れて、わたしは目をしばたかせながらしばらく止まってしまった。溜まっていた涙はすっかり引っ込んでいた。

「何かたまってんだよ」

先輩が笑って、わたしも我に返る。先輩の言葉とやわらかい笑顔に心臓の音がどんどん大きくなっていくのがわかって、顔が熱くなった。今きっとわたしの顔は真っ赤に違いない。

「せ、先輩がいきなりそんなこというから…!」

恥ずかしくなって先輩から視線を逸らした。先輩の言葉が頭の中で繰り返されてドキドキが止まらない。落ち着こう、ともう一度教科書に目を通してみるけれど、書かれた内容はただ文字として視界に映るだけでちっとも頭に入ってはくれなかった。どうしよう、勉強しにきていたはずなのに全然集中できなくなってしまった。
当の先輩は、わたしから席を一つ分空けた場所に座って分厚い参考書を開いていた。ペンケースからシャープペンシルを取り出す一連の動作を教科書の隙間から眺めて、かっこいいなあという感想が頭を掠めてから、自分が先輩をどう思っているかに気付いた。
そうだ、わたしはさっき、あの髪に触れられた瞬間からきっと。

「…どうした?」
「いえ、なんでも」

胸をあたたかくするこの心地よい鼓動を大事にしよう、と決めてから、わたしは今度こそテスト勉強を再開するためにシャープペンシルを握り直した。あともう少しだけこの図書室に誰も来ませんようにとこっそり願いながら。





ふれる手のひらの魔法
(一瞬で、恋に落ちてしまいました)







基本的には女子と話せないんだけど、万が一接し慣れた女子がいたら案外フランクな感じで話してくれたりする笠松先輩だったらいいなあと妄想…



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