本日、二月十四日―聖バレンタインデー、なんてのは、影が薄く、人々に紛れながら静かかつ平和に過ごしてソロ充を極めた俺には全く関係のないものだった。
ていうか大事な大学受験が目白押しな高三のこの時期に、そんな浮ついた行事なんかにかまけてられるか、バカ野郎。これは負け惜しみとか僻みではない、断じて。

クラスの女子がお互いに手作りのチョコレート菓子を「友チョコ」と呼び称し、楽しげに交換したり食べたりしている様子を、文庫本―もといラノベを読みながらちらちらと盗み見る。こちらに漂ってくるチョコレートの香りが今は憎たらしいことこの上なかった。
周りをさっと見回すと、何人か教室にいる男子がその女子たちのやりとりを羨ましそうな顔で見ていた。ああ、おまえらはまだチョコをもらってないんだな。…それは俺もだが。
なんだかこの微妙な空気の教室に居づらくて、さっきから開いてはいたものの内容がさっぱり頭に入ってこないラノベを閉じてから、俺は教室を出た。

このまま適当に図書館にでも行って、次の時間の授業をさぼってしまおうかと考えたが、以前赤司に「おまえはもう正式に洛山高校バスケ部のレギュラーで、5番を背負っているんだ。そんな人間が授業に出ないような不真面目なことがあっては、この部や学校の名前に傷がつく。それは許し難いことだ」と言われたのを思い出してやめることにした。もう後輩に長い説教を垂れられるのはうんざりだ。ていうかその5番を無理やり背負わせたのは誰だよ。
はぁ、といろいろ面白くない気持ちを吐き出すというよりは宥めるようにため息をついて、俺は小腹を満たすあんまんでも買うかと購買へ足を向けた。


***


「え…あんまん売り切れなんですか?」
「そうなのよ、ごめんね。肉まんもまだ蒸し上がってなくて…チョコまんでもいいならかわりに十円おまけしてあげる」
「いや、おばさんのせいじゃないんで。じゃあチョコまんにします。おまけ、ありがとうございます」

タイミングは悪かったが、十円のおまけはラッキーだった。最近購買のおにぎりやポテトなどのスナック類が十円ずつ値上がりしたせいで、食べ盛りの学生の財布にはなかなか厳しいものがあったのだ。この値引きしてもらった十円は大切にしよう。
蒸し上がったばかりのあたたかいチョコまんを半分に割って、ひとくち頬張る。ふわりと上がった湯気とともに鼻をくすぐるチョコレートの香りが優しくて、ほんのすこし笑みがこぼれた。

教室へ戻る道を早足に歩いていると、なんの偶然か、先ほど思い浮かべた赤司がこちらへ来るのが見えた。遠目にも分かる鮮烈な赤色の髪は、周りに比べ頭一つ分以上抜きん出た赤司の存在感をさらに強めていた。
今あいつに会うと絶対面倒くさい、と咄嗟に判断した俺は、普段よりも二段階ほど存在感を薄めて人の中に紛れようとした。が、すでに時遅し。赤司の鋭い瞳はまっすぐこちらを捉えて、迷いなく俺へと向かってくる。なんでこういう時に限ってミスディレクションが効かないんだ。

「やあ、偶然ですね。黛さん」

赤司の色の違う瞳が心なしか楽しそうな光を湛えているように見えた。それと反比例してこっちはげんなりだ。

「俺は出来れば会わずに教室に帰りたかったけどな」
「軽食ですか?」
「まあそんなとこだ」

俺の軽い厭味は意にも介さず、手元にあるチョコまんを一瞥して赤司はふむと納得したようだった。
部活以外では先輩である俺に敬語を使え、と以前言ったことを、律儀にも守っているところはまあさすがというべきか。
でも寒いから今は早く帰らせてくれ。

「そういえば今日はバレンタインでしたっけ」
「は?ああ…そうだな」
「黛さんはもらいましたか?チョコレート」

それは影の薄い俺に対する嫌味か。赤司からそんな話題が出たことは驚きだったが、デリカシーのない質問をされたことでその意外性は苛々にかき消されてしまった。

「これでもらってるように見えるのか?」
「玲央からもらってませんか?僕はさっき会ってもらいました」

…やっぱ実渕はチョコを配る側か。

「あいつのはもらってもノーカンだろ」
「そんなことを言うと怒られますよ」
「そういうおまえはどうなんだ?」
「僕は…まあ、それなりに」

そうだろうと思ったぜ。勉強もスポーツもできて顔も整ってやがる上に家柄までいいときたらそりゃあモテモテだろうよ。

「でも、一番ほしいのは黛さん…いえ、千尋さんからのチョコレートですけどね」

女子ならころりと絆されてしまいそうな綺麗な微笑みで、チョコレートよりも甘い言葉をかけられる。
だが残念ながら俺はただのラノベラーで影の薄い、おまけに男だ。
同性にそんなことを言われてときめくはずがない。と言い切れたならよかったが、俺も相当いかれているらしい。僅かばかり揺らいだ心を見透かされたくなくて、視線を逸らしながらごまかすみたいに悪態をついた。

「俺がチョコなんか用意してるわけねえだろ」
「どうしてもくれないんですか?」
「しつこいぞ」
「つれないですね、仮にも恋人なのに」
「できればカッコ仮で終わりたかったけどな」
「…では仕方ありませんね。手荒な真似はあまり好きじゃないのですが」

これ以上こいつの戯れ言になんか付き合ってられるか。そう思い俺は赤司の言葉を無視して横を通り過ぎようとしたその瞬間、不穏なつぶやきが耳を掠めて、俺の視界はストロボ撮影のカメラのように、ゆっくりと地面に近付いていった。アンクルブレイクされた、と思った時にはもう既に赤司に見下ろされていた。

「てめっ…!」
「まあ、そういうじゃじゃ馬なところも躾のしがいがあって好きですけどね」

俺を転ばせた赤司は至極楽しそうに俺と同じ目線の高さまでしゃがんで膝をつくと、肩に手を置いて顔を近付けてきた。キスをされる、そう思って、女々しいがついぎゅっと目を瞑ってしまった、けれど。

「ん、っ…!」

唇よりもすこし左側を、赤司の濡れた舌に舐められて、びくりと肩が跳ねた。次は啄むように唇が触れてきて、瞼をすこしずつ持ち上げると、こちらを真剣に見つめる朱色と金茶色の瞳と視線が絡み合って、だんだん心臓がうるさくなっていく。
ああ、これだから嫌なんだ、こいつと関わるのは。耳と頬の熱が引かないことへの落とし前はどうつけてくれる。

「ごちそうさまです。美味しかったですよ」

さも満足げに言うな。そしてこの程度で俺からチョコレートもらった気になってやがるのが余計に腹立つ。

「そうだ。ホワイトデー、楽しみにしていてくださいね」

いつの間にか俺から離れていた赤司は、ひらりと手を振り、いまだ尻餅をついたままの俺を残して、機嫌がよさそうに教室棟へと姿を消した。
俺はすっかり冷めたチョコまんを持て余しながら、ホワイトデーはどうやって赤司の前から姿をくらませるかについて頭を悩ませる羽目になったのだった。



遅刻バレンタイン〜
皮肉屋で一見恋愛に対しても冷めてるように見えるけど実は純情な黛さんってかわいいとおもうんです




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