「俺、一人暮らしなんだ」

たまたま小耳に挟んだだけの松風が発したこの一言が、なぜか頭からずっと離れなかった。そのせいで先ほどの授業中は担当教師に指されたのに気付かず睨まれてしまったし、移動教室の時はノートだけを抱えてペンケースを机に置き忘れたりもした。たかがあんな一言に自分の意識がこれだけ持っていかれていることに苛つく。どうして俺が自分の目的以外のことに心を乱されなければならないんだ。よりによって一番気に食わないやつの、それもたった一言に。

***

昼休憩のチャイムが鳴り終わると同時に、早足で弁当箱を持って屋上へ行く。クラス内に話す相手もいないので昼食は一人で黙々と食べるのが当たり前だった。
階段を一段飛ばしで駆け上がり、簡素な作りのドアにくっ付いている緩んだドアノブに手をかけて勢いよく回す。錆びた蝶番がぎしぎしと軋む音を聞きながら真昼の太陽に暖められたコンクリートに一歩を踏み出すと、すでに先客がいた。

「…剣城」

まさか人が来るとは思っていなかったのか、松風はただでさえ丸い目をさらにまんまるにして俺の名前をつぶやいた。ここのところ俺の思考を占めていた張本人であるそいつがいきなり目の前に現れたことで俺もなんとなく気まずい気持ちになる。
このままこいつと睨めっこしていても気持ち悪いので、とりあえず視線をずらすとその先にコンビニ袋があった。こいつの今日の昼飯だろうか。

「…それ、昼飯か?」

こいつと口を聞く気なんてなかったのに、なぜか言葉が口をついて独りでにこぼれた。俺が話しかけてきたことが珍しかったのだろう、松風はまさしくきょとん、という顔をしている。数秒考え込んだのちにようやく俺の言葉を理解したらしい。それらがすべて顔に出ているあたりがこいつの分かりやすさをよく表していた。

「うん、最近パンなんだ、俺お弁当とか作れないから」

少し眉を下げて、ふにゃりと力の抜けたような笑みを浮かべながら俺の問いに答える。聞いていないことまで答えるのは性格だろうか。弁当が作れないという言葉にふと、一人暮らしなんだと言っていたことを思い出す。

「おまえ、一人暮らし…とか言ってたな」
「…どうしてそんなこと知ってるの?」
「あのちっこいのがでかい声で話してたからたまたま耳に入ってきたんだよ」
「ふぅん…」

嘘は言っていない。実際にあの西園とかいうやつの声はよく通る。松風は不思議そうな顔をしていたが、俺が理由を言うと納得したようだった。
次に松風はあ、と思い出したようにコンクリートに座り込みパンの袋を開封する。そう言えば俺も昼飯を食いに来たというのにそれを忘れていた。

「そうだ、剣城も一緒に食べようよ」

今度は人なつこい笑顔で俺を呼ぶ。その声はサッカーをやる時のように気合いに満ちたものでも、先輩を相手におろおろとうろたえるようなものでもなく、ふわりと吹き抜ける風のように鼓膜を優しく揺らすものだった。

「…ふん」

特別断るような理由も思いつかなかったから、松風の隣に腰を下ろす。右へ目線を滑らせると松風がしあわせそうな顔でパンを頬張っていた。なんだか力が抜ける。気に食わないはずなのに、くるくると変わる表情から不思議と目が離せない。俺を振り回して翻弄して、そのくせ掴もうとするといとも簡単に逃げていく。どうも読めないやつだ。ぐるぐると考えて結局気に入らないというところへ戻ってくる。堂々巡りもいいところだ。
もう答えの出ないことでいつまでも自分をせき止めるのはやめた。放っておけばそのうち答えに巡り会うこともあるかもしれないとこいつは頭の隅へ置いておくことにした。
自分で作った卵焼きを口に放り込みながら、こいつに弁当でも作ってきてやるべきだろうかと幾分片付いた頭でそんなことを思った。




7/17の青プで発行した
無配ペーパーに載せた話です
京天のような天京のような…
この二人は左右ばっちり固定とかじゃなく、ふわふわとしたゆるい関係がいいと思います




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