消えていく街
1. ザイオン(3)
ザイオンはいわゆる無法地帯だった。政府の干渉を受けないため、戸籍のないソラでもザイオンに住めた。
更には、見習いとはいえ働くことができる。住民たちからも疎外されることなく好意を寄せられ、自分にも好意を持つ人ができたことに心が満たされる思いだ。
ソラはザイオンの恩恵を存分に受けていた。これ以上は何も望んでいなかった。与えられているのが導師として生きる人生でも何の不満もなかったのだ。
「時間ですね。始めましょう」
導師の一声で信者達は立ち上がり、聖歌隊に混じって歌い始めた。
彼らの信じている教えは全て歌だ。この国の識字率は低い。歌ならば口伝しやすく、その分かりやすさも日々信者を増やしている理由だ。
歌い終わると解散となるが、今日はソラからの祝福を得ようと残っている人がいた。赤ん坊を抱いた母親だった。母親というにはまだ幼さが抜けない顔立ちだったが、赤ん坊を抱く様は堂に入っていた。
実を言うとソラは祝福が苦手だった。自分が相手に何かを与えられる存在だとは思えないからだ。自分は特別な存在ではない。
時に祭り上げられ、求められるのは自分の意思ではなく「何も考えないこと」だと分かってから、ソラは自分の存在価値を思うようになった。
とはいえ、目の前の赤ん坊は可愛い。思わず奉仕の気持ちが湧いてくる。ソラは自分の口元に触れ、その手を赤ん坊の頭に置いた。
母親は何度も頭を下げて、礼を言った。こんな風に感謝されると、苦手意識を抱えたて祝福したことに悔恨の念が生じる。複雑な気持ちのまま帰っていく母子を目で追っていると、導師が思いもかけないことを問うた。
「淋しいですか」
目を見張り首を振るソラに、宣教師は更に問いを重ねた。
「故郷に帰りたいですか。――親御さんに会いたくなりましたか」
導師の意図が掴めず、ソラは彼の目を見ようとした。ソラは大抵の人の目を見ればその人の抱いている感情を推し量ることができる。だが、導師は眼鏡をかけているせいか、表情が読み取れない。レンズ越しの目は逆にソラの心を読みとろうとしているようだった。
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