素直で無邪気で優しくて嘘つきなリーグ職員さん
scene3.5/チリとサシ飲み


 不穏因子が死ぬと、この世界の人間たちの脳から、情報と記憶が消えていくようだ。
 なんて便利。流石は神さまの仕組みだ。
 ただ、殺した現場を見られてしまうと、情報の齟齬で混乱するみたいだ。だから、私は現場を見せないようにしている。そうしたら、私の身が安全だから。
 だって、あんまり齟齬があったら神さまが私を世界からつまみ出してしまうかも!
 なんてね。


 チリとサシ飲みの日がやってきた。嫌すぎる。兎に角、何も情報を落とさないように。あと、話術に乗らないように。しっかりと、手袋越しに、自分の左手薬指の指輪を確認する。大丈夫。私はデンリュウのリュトがいる。産まれてからずっと一緒のリュトだ。もはや血を分けたきょうだいみたいなもの。ボールに入ってるんだから、血の契約まで結んだようなもの。絶対的な私の味方。そして、共犯者だ。
 いつものグレーのスーツで出勤し、あれこれ仕事を終えて、チリが呼び出した店に向かう。さてどんな店なんだか。ヤバそうなら即刻帰ろう。そう思っていると、ただの居酒屋だった。まあ、個室ではあるらしい。
「お、きたやん」
 店に入ると、名前を言う。部屋に通されたら、チリがあぐらで座っていた。
「呼び出したのはチリさんですよ」
「せやな。でも自分、来んつもりやったやろ」
「そんな事はありませんよ」
「どうだか。ま、店選びが成功したらしくて結構や」
 座りと言われて、私はそっと斜め向かいに座った。はすむかいと言う奴である。正面からチリに向き合うつもりはないと言いたかったが、チリは片眉をひょいと上げて、私の正面へと座り直した。何してんだこの四天王。
「何飲む?」
「ええと、とりあえずビール、ジョッキで」
「うちもそれで」
 飲み方を教えるとか何とか言ってたが、それでいいのか。ビールが運ばれてくると、ぐいと飲んだ。特に味はない。炭酸のぱちぱち弾ける感覚は好きだ。
「飲み過ぎ」
「はい?」
「もうちょいペース落とすんやで」
 女の子なんやから。そう言われて、私はふむと中身が半分ほどになったジョッキを置いた。
「気をつけます」
「ん。あとほら、ツマミでも食べてな」
「はあ」
 焼き魚や野菜の天ぷらなどが運ばれてくる。和食系だな。チリの趣味なのだろうか。知りたくもないが。
「そんで、自分、うちのこと嫌いやろ」
 おおっと。急に突っ込んでくる。野菜の天ぷらを食べていたので、咀嚼して飲み込む。本当は酒で流し込むのがいいんじゃないかとか思ってたら、返事待ちのチリがこつんと机を指で叩いた。怖い。
「チリさんなことが嫌いなんて言う人居ませんよ」
「目の前におる」
「何も言ってないですよ?」
「それが返事やん」
「酷いですよお」
「あと、猫被り、やめたほうがええんとちゃう?」
 うわあ。猫被りとか言われた。ただの世渡り手段なのにな。私はうむうと焼き魚を少し食べた。焼き魚は嫌いではないが、骨が面倒だ。あと煙とかね。
「猫被りのつもりはありませんよ」
「ほな、何のつもりなん?」
「社会人としての常識と、上司への礼儀です」
「ほーお」
 酒を頼む。所謂日本酒だ。こちらに日本はないのでカントーやジョウトで作られた酒をサケと呼んでいるらしい。
「チリさんはお酒が好きですか」
「いや、別に普通や」
「大人になるとお酒の席が多いですね」
「せやね」
「チリさんからお酒の席に呼ばれたら、皆勘違いするんじゃないですか?」
「はは、見てきたように言うなあ」
「だって、私、相当気をつけてここまで来たんですから」
「何でや?」
「だってファンが怖いですから」
「まあ熱狂的な子らがおるなあ」
 苦笑するチリに、私は言う。
「そういう人たちは加減を知らないんですよ」
 メガネの赤縁をそっと直す。すると、チリが手を伸ばした。思わず避ける。
「避けた」
「すみません」
「それ、伊達やろ」
「チリさんもメガネしてましたねえ」
「うん。せやから分かる。それ、度が入っとらん」
 まあ、見る人が見れば一発でわかる。そこまで隠してない。言わないだけ。全く面倒な人だ。
「趣味でつけてるんで外したくないですね」
「ほお、趣味なん」
「ええ、似合うものを頑張って選んだので」
「頑張ったん?」
「似合わないもの、は、違和感があるでしょうに」
 にこりと笑う。チリは同意する。
「そうやね」
 でもそれって、とチリは言った。
「違和感は持たれたくないん?」
「そりゃあそうですよ」
 当たり前じゃないですか。そう笑う。笑う。
「目、笑っとらんよ」
「いいんです。形が大切なので」
 そうでしょう。
「チリさん、メドヴィクは気に入りましたか」
「ああ、あの菓子? 美味しかったで」
「良かった。私、メドヴィクが好きなので、安心しました」
「メドヴィクって不思議な名前やなあ」
「他の地方の言葉ですから」
「名前」
「はちみつケーキですよ」
「ちゃうやろ」
 チリは言う。
「メドヴィクって誰や」
 なんでこの人、恋人の浮気相手探しみたいなことしてるんだ。怖い。
「メドヴィクはメドヴィクです。甘くて美味しいお菓子です」
「誰」
「私の大好きなお菓子の一つです」
「誰なん」
「チリさんも会いましたよ」
 ぴくり、眉が反応した。私は、笑う。
「素敵な人だったでしょう?」
「……覚えとらんなあ」
 ビール、ジョッキ、追加。
「とっても素敵なメドヴィク。職人気質でとっても甘くて美味しいの」
「……」
「砂糖菓子は見た目も大事。でも、中身はもっと大切」
「……」
「そのお菓子の特徴を伸ばしてあると尚更良い。メドヴィクは甘くて皆を虜にしちゃう」
「……」
「ね、チリさん」
 お酒の手、止まってますよ。
「自分、相当惚れ込んどるん?」
「そうかもしれません」
「恋人、やないな」
「毎日きちんと働いてます。繰り上げることもありません」
「手袋、外せるん?」
「チリさんも手袋してるのに?」
「うちはすぐ外せるで」
「では、私もその時に」
 そうすると、手を差し出された。
「引っ張って」
 だから、私は言うのだ。
「嫌です」

 何だかんだで沢山飲んだ。チリは特に酔った様子はない。私も酔っていない。ご飯もいっぱい食べたなあとスマホで時間を確認した。そろそろタクシーが無くなりそうだ。ここはテーブルシティ。帰る家はセルクルタウンだ。
「では、私はこれで」
 今日はありがとうございました。そう言って離れようとすると、待ちいと腕を掴まれた。痛い痛い。馬鹿力か?
「何ですか?」
「手袋」
「はい?」
「どうしても外せんの」
「はあ」
 そりゃあ嫌だからな。嫌ですと顔に書いて見せれば、チリは端正な顔を歪ませた。えっなに。
「触らせて」
「嫌です、ちょっと」
「左手」
「痛っ馬鹿力ですか?!」
「なあ」
 左手薬指を手袋越しにするすると撫でられる。繰り返し、繰り返し。
「既婚者なんか」
 ああ、そっち。
「結婚しているようなものですね」
「しているようなもの」
「だって正式に書類を出した訳でもないので」
 だってこの指輪はキーストーンで、デンリュウのリュトとの心の絆の証というやつだ。メガシンカは魂の交流であり、絆の証明。何より、生命エネルギーとやらの根本的な繋がりだ。
 それを婚姻と言わずして、何と言う!
「そうなんや」
 チリは手を離した。馬鹿力め、痛かった。さすって見せてもいいが、面倒そうだ。チリは笑っていた。目は笑ってない。怖いね。
「ほんなら、ホンモノ出来たら見せてや。お祝いしたるから」
「ふふ、ありがとうございます。お気持ちだけで結構です」
 それではと、私はタクシーに乗るために足早にその場を去った。逃げたのではない。マジでタクシーに乗り遅れたら、その辺のホテルに泊まることになる。チリの前でホテルに泊まりたくはない。だって上司だぞ。変なホテル選んだ場合、突っ込まれる。大体、自分の金銭感覚がそれなりに狂ってる自覚はあるのだ。ホテル選びに絶対に失敗する。自信がある。
「うううう」
 上司とのサシ飲み、めんどくせえ。


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