君の為に花を手折る
滑らかな絹を豊かに織った反物を、丁寧に手を添えて眺める。金糸銀糸を織り込んだ淡い縹色の上等なそれには、額紫陽花と蝶がひらひらと舞っていて、一目で私はそれが気に入った。 伊達襟は黄丹、帯には紅、帯締めは白銀。その日の為に用意した簪は、大輪の白い牡丹のつまみ簪だ。 せっかく女の子なのだからと、母から譲り受けた振袖を床に広げて久し振りに母国のものに囲まれる。日本にいてもなかなか着物一式に囲まれる事は少ないけれど、やはり気持ちが馴染むというか、落ち着く。 成人する時に着ればいい、そうでなくても未婚ならば着ても問題ないのだから礼装として着てやってほしいと送られてきた。さすがに浴衣と違って振袖は着付けをするのに時間がかかるからドレスの方が軽装でいいかなとは思うけれど、たまにだったら着てあげたい。 それにきっと着たら最高に喜んでくれる人がいるというのも、わざわざシュテルンビルトにまで送ってもらった理由だ。 軽く結い上げた髪に簪をそっと挿した所で、玄関ホールに靴音が響いた。
「おかえりイワン!」 「な、なにごとなの…これ」
朝にはなかった光景に、イワンの瞳が大きく開かれる。 少し頬に赤みが差しているから、目一杯にひろがる和物にちょっと興奮気味らしい。 ぱたぱたと小走りでそれらに駆け寄って、私の頭で揺れる簪にまた目がくぎ付けになる。日本の物事を見せる時のイワンの表情は、物心ついた子供みたいにキラキラしていてかわいい。 小さく首を傾げれば、小花の飾りがちらちらと揺れて、それを見たイワンがまた感嘆のため息を漏らす。
「振袖をね、送ってもらったの」 「実物を近くで見たのは初めてだよ…」
壊れ物を眺めるように、神聖なまなざしで一式を眺めるイワンに、ほら、と振袖の袂を腕に掛けて見せる。 しゅるりと肌に絹が滑り、凛と花が咲く。
「綺麗でしょう」 「おお……」 「縹色に紫陽花。ちょうど今が綺麗な花だね」
あんまりに気に入ったのか私そっちのけで着物を見つめる。 イワンが日本文化が好きなのはわかっていたが、やはり資料的に見るのと実物を目の前にするのとでは違うんだろう。 少し私は思案して、着物を彼の肩にそっと羽織らせた。 うん、アメジストの瞳が綺麗に映える。
「?!」 「あは、ホントは女の子が着るんだけどね、羽織ってみたいかなと思って」 「お、重い…」 「プラス肌着と襦袢と、帯だからもっと重いよ」 「日本の女子はくの一じゃないの…」 「そんな訳ないでしょ」
立ち上がってくるくるする様子は、私が初めてこれに腕を通した時とまったく同じ反応で。袂がゆらゆらと揺れて、部屋の空を蝶が舞う。 イワンは顔が綺麗だから、遠くからみたら女の子に見えなくもないかもしれない。あくまでも「かも」の話だけれど。
「結婚するまでは着られるから、貰って欲しいって言われて」 「結婚するまで?」 「そう、結婚したら振袖は着ないのよ」
不思議そうに私の所にイワンは戻ってくると、神妙な顔つきで目の前に正座をする。 イワンの中では変な知識が入っちゃっているのだろうか。あんまりに視線がまっすぐなので、思わず私も姿勢を正して正座してしまう。 簪だけ挿した私と、振袖を羽織ったイワン。なんだかあんまりに中途半端な2人が向かい合って、微妙な空気。
「それは困る」
俯いてぽつんと言った一言に、私は意味がわからず聞き返す。
「結婚してしまったら、振袖姿が見られないのは困る」 「……ぶはっ」
あんまりに真剣に言われた事に対して、申し訳ないことに吹き出してしまった。
「私に結婚してほしくないみたいな言い方ね」 「え、ちが、その」 「大丈夫、イワンの言いたい事も気持ちもわかってるし」
真っ赤になって弁明する彼に私はなおもころころと笑いながら、髪に挿した簪を外し、彼の目の前へ。しどろもどろになりながら、それを受け取ってくれる。
「男女逆だけど。私からあなたへのブーケにしましょ。お返事のブートニアは?」 「!」
そっと真っ白の花簪が黒髪に咲く。気のせいだろうか。自分の手で挿した時よりも柔らかく咲いた気がする。
「それまで何回着てあげようかな」 できれば何度も見たい、と真っ赤なままのイワンにまた思わず吹き出した。
(君の為に花を手折る)
___________ 折り紙さんの口調がはっきりしないうちに… (110521)
視聴後口調のみ修正しました。 (110522)
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