ときにはくだらないはなしを


なんだか嬉しいことがあったとかで、上機嫌に受話器越しに聞こえた声が久し振りに私を夜の街に誘いだした。
私もかつての会社の同僚に会うのに悪い気もせず、二つ返事で了承をする。彼と会うのは実に半年ぶりだろうか。テレビでの活躍は見ているから、私個人からしてみれば久し振りという感覚ではないのだが実際に会うのは本当に久し振りだ。元気にしているだろうか、ちゃんと娘には会いに行っているんだろうか、メールで時たま送られてくる愚痴もついでに聞いてやろう、そんなことを頭の中で思いうかべながらかつての思い出に少しだけ胸を躍らせて、私はバーの扉を開いた。


「よぉ」
「久し振り!元気だった?」
「おぅ、まぁそこそこ」


スタイルよく決まった姿がカウンターに腰掛け、扉のベルが鳴ったのにあわせて振り返る。
ワイルドタイガーがアポロンメディアに移籍してからも何も変わっていない姿がそこにあって、思わず同級生にでもあったように背中を叩く。痛い、と大して痛くもないくせに言うのも相変わらずだ。


「とりあえずエール」
「女っ気ねーなぁ」
「虎徹さん相手に必要ないっしょ」


くびれた冷たいグラスに注がれたエールを一気に嚥下する。喉を通る冷えた炭酸の刺激が心地良い。
とりあえず胃袋に入れたアルコールが吸収されはじめる前に、出されたナッツをつまみながら彼に向き直る。


「で?嬉しいことって何よ。楓ちゃんに彼氏でもできた?」
「まだあいつ9歳だぜ、やめてくれよ!」


冗談めかして言ったつもりが思いの外本気で取られたらしい。節のはっきりした手がぶんぶんと否定として振り回される。女の子の9歳なんてだんだん大人ぶりたくなる年頃だろうに。このヒゲ親父めわかってない。初恋のひとつふたつしてるだろうになぁ。気付かないんだろう、いや、向き合えないんだろう。臆病な。
そんな私の視線に気付いたのか、ひとつ咳払いをして彼はそれは嬉しそうに目尻を下げて「実はだな」と始めた。


「生意気な新人がさ」
「ああ、彼」
「そうそう、かわいげのない奴でよ?最初は人のこと「オジサン」とか呼んでたんだけど、こないだやぁっと「虎徹さん」って呼んでくれたんだよ」
「おお」


新人で年上におじさん呼びすること自体はあまり社会人として許されたものではないのだが、まぁ良いとして。ワイルドタイガーが彼だと知っている私は、生意気な新人というのが、かのバーナビー・ブルックスJr.というのを知っている。
メディアへ露出する部分においてパーフェクトな彼が、実はクソ生意気でいけすかない(前にそんなことを言っていた)新人ヒーローであることを知っているのは多分私くらいだろう。それがきちんと名前で呼んでくれるようになったというのだから大した変化で、苦労をしてきた彼にとっては何よりも嬉しいのかもしれない。
元から垂れ気味な眦が更に下がっている。


「よかったじゃない。相棒も悪くないんじゃない?」
「最初はバディ組まされるなんて思ってなかったしな」


けど悪くない、と笑いながらひとりごちる横顔が素直に嬉しい。10は確実に違うであろう相棒は、もはや歳の離れた弟くらいの意識なんだろう。人の世話を焼くのが好きだったから、余計に懐いてくれたのが嬉しいようだった。
それをなんの気兼ねもなく、呼び出して話してくれたことが私も楽しくて心地良いのだ。
私はあくまでも彼を会社の元同僚として扱う。ヒーローではなく。ヒーローの仕事をしている時の彼は確かにヒーローだ。けれど、そうでない時くらい彼は一人のどこにでもいる男に戻ったっていい。そう思っているから。

「ああ、でも良かった」
「何が」
「気苦労でマスク外すと老けてたらどうしようかと思って」
「おい!…まぁ、最初はな。つかななしはかわんないなぁ」
「半年で老けてたまるか」
「仕事は?」
「なんとか。別にヒーローやってる訳じゃないしね。トップマグの時の上司に紹介してもらってなんとか。」
「ふぅん」


それからとりとめのない話をいくつか。時折またバーナビーの話に戻って、彼の愚痴だった話が自慢話に変わる。少しいつものテンションにプラスして饒舌なのは、酒の力も大きいがバーナビーの存在も大きいようだった。
そうして私は二杯目のエールを頼み、彼は焼酎のロックを。またアルコール度数の高い物をと内心小さくため息をつきながら、まだにやけっぱなしの頬を爪先ではじく。


「虎徹さんお酒強いよねぇ。大けがしてたくせに、ひびかない?」
「ま、実家酒屋だから。こんくらい平気」
「えっ知り合いって言ったら安くしてくれる?」
「あー、どうだろ…」
「けち」
「おいおいそれは兄貴に言ってくれよ」
「じゃあお兄さん紹介してよ。いい女だよーって」
「やなこった。つーかやめとけあの堅物」
「あっは!言うねぇ!」
ぼんやりと温みを帯びた照明が眼球にゆるゆると沁みて、アルコールの熱は頭を揺らした。
けれど耳はしっかりと声を捉え、思考はその言葉のひとつひとつを咀嚼して応対する。
一通り涙が出るほど笑ったところでほうとため息をつけば、少しこちらに寄った彼の顔があった。ああ、間近で見るといい男かもしれない。
別に彼にそういう気など微塵もないのは知っているし、私だってそんな気もないので無遠慮に見つめ返す。なぜか真剣な見つめ合い合戦に発展したことが面白くて、結果、私が噴きだして負けた。


「実は結構回ってる?」
「かも」
「大丈夫かー」
「じゃあ泊めて」
「いいよ」
「返事早いね」
「だってお前だし」
「んだね」


酔っ払った独身女と男やもめはかつての同僚。なんて字面だけみたらさぞありきたりなオチのつく三文芝居がかけるだろうか。
少しだけ心配そうになったヘーゼル色の垂れ目に、わざとにたりと笑ってから肩口に額を預けてみるけれど、何も生まれやしない。胸の内にあるのは彼に対する友情の信頼だけだ。心地よすぎるそれに、はは、と笑いを零す。
当たり前のようにくしゃりと骨張った指が私の髪を僅かに乱して軽く叩き、私はそっと目を閉じてその感覚だけに身体を傾けた。



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(110914)


「久しぶりだー!」
「そうだっけ」
「そうだよ!…ふふふ」
「…なんだよ」
「なにも起こらないと思ったか!」
「はあ?何する気だよ」
「虎徹さんちで飲み直しだよ!」
「おま、やめとけって」
「友恵ちゃんと飲むんだから虎徹さんはあっちいってろ」
「ひでぇなおい!」



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