いまにこいしてる


バーナビー、と呼んだ彼女の声が柔く耳に溶けて落ちる。
その呼び声の緩やかさと淡さに僕はそっと目を細めて、彼女になんですか、と問いかける。いつもこのやりとりに特に答えや意味はなく、ただ他愛もないいつもの応酬だった。
他の誰に呼ばれるのとも、賞賛を浴びる盛大なマイクを通した声とも違う。こんな気持ちになるのは恐らく彼女の声だけだろう。ただ穏やかに、ささくれだった気持ちが凪いで行くのを感じながら、僕はいつもここにいることを確認する。



「ねぇバーナビー」



振り返った彼女の姿は幼くて、背伸びをしたがる僕の姿とはまるで正反対で。そっと届くか届かないかの距離で手を伸ばせば、迷わずに白い手がこの手を掴んでくれる。



「ねぇ今恋をしてるわ」



淡い唇がやわらかく動き、甘い色をした瞳がゆるむ。
恋?と僕が思わず眉をひそめると、彼女はそのままのゆるい笑顔で「そう、恋してるの」とうたった。
何に恋しているのか、誰に恋しているのか。僕にはさっぱり見当がつかず、むしろ貴女に恋をしているのは僕だけなのかとか、貴女は僕に恋してないのかとかふわりふわりとした声に僕は勝手に戸惑う。
寄り添った手の平は静かに温かくて、僅かな隔たりとして僕と彼女との間に存在している。少しだけ不安になった心を伝えるようにするりと指を絡めてみれば、彼女はそのまま二人分の手の平に柔らかくすり寄った。



「僕に、ではなく?」
「僕に、ではないの」



彼女の細い髪がこそばゆくて、その意図が汲めなくて絡めた指を動かす。



「言ってる意味がよく、わかりません」
「今に恋してるの。あなたとわたしに。今この瞬間の幸せに恋してるの」



長い睫毛が伏せられる。
その声がゆるくやわく僕と彼女の境界線をぼかしていくように鼓膜を揺らし、淡い熱が胸に生まれる。



「今に恋してるから明日のあなたに焦がれて、明日も恋したくなる」



伏せた瞳が開くのに合わせてのぞき込めば、白い頬が僅かに上気する。これだけは彼女は最初から変わらない。
そうしてしばらく視線が解け合った後、ねぇ、と淡い声がまた僕を呼ぶ。



「あなたは今恋してる?」




(もちろん、そして明日の貴女に焦がれてる)

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(110901)

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