ミス・ピンヒールは人嫌い
2.ミス・ピンヒールは人嫌い
インターホンを鳴らして数秒後、オートロックの外れる無機質な音とノイズ混じりの音声で中へと促されバーナビーはラボへの入口をくぐった。 郊外だからできるのだろう、平屋建ての無機質な白い建物は、なかなかの広さを持ってその場所に鎮座している。広さ的に助手でもいるのかと思ったが、誰に会うこともなく白い内装を通り過ぎ、指示された応接室に通された。 アクセント程度に置かれたアイビーの青さが、白い壁に唯一の息づかいを思わせる。 人のことを言えたものではないが、本当にここに人が住んでいるのかとバーナビーは室内を見回した。
「ああ、悪いわね。丁度耐久試験をしていて」
奥から斉藤と同じような白衣を靡かせた女性が靴音を鳴らせて入ってくる。おそらくは彼女が件の人物だろう。すらりとした印象ではあるが、背丈はそこまで高いわけではなくどちらかと言えば小柄だ。ゆるいウォルナット色のウェービーな髪を掻き上げながら、あれ、と恐らく初めてみたのだろうバーナビーに軽く瞠目した様子だった。 ヘーゼルの双眸がバーナビーをまっすぐに射抜く。
「また違う人が来たの。アポロンは人が多いのね」
言葉の割には大した興味もないようで、じっとバーナビーを見つめる。バーナビー自身素顔を出して仕事をしているし、曲がりなりにも委託先のヒーローを知らないことはないだろうと思っていたのだが。アポロン所属の斉藤を思えば、変わり者のひとりや二人いて当然かと改めて、名刺を差し出す。
「アポロンメディア、ヒーロー事業部のバーナビー・ブルックスJr.です。ヒーロー としてワイルドタイガーと組ませて頂いています」 「ああ…ば、ん?ばーにー?まぁいいや。委託されてるななしです。どうも」 「バーナビーです…」
名刺の交換には成功したのだが、ななしは名刺に目を通すのは一度限りだとさっさと仕舞い込み、挨拶を済ませる。 どこか気怠げというか、一言で言えばやる気のなさそうな。バーナビーの自己紹介もそこそこの様子で名前の復唱も諦めたのに対して改めて言い直せば、さらに面倒を顔に貼り付けた顔をされた。
「顔だけ覚えておけば十分でしょ。ええと、ばー、ばにー、兎クン」 「どうしてそうなるんですか…耳悪いんですか」 「だから私が顔を覚えておけばいいんだから気にしないの。基本1人ずつしかこっちに呼ばないんだから「あんた」で通じるでしょ。私のことも別に名前覚えなくていいから。いいよ」
黙っていれば涼しい顔をしたそれなりの美人だろうに。折角仕事と割り切った笑顔と声音を貼り付けていたのに、わざわざ剥がして取るような真似をしてこられる。 虎徹のようにわざとやっているのか、それとも本当に興味がなく適当な音から作っているのか。どちらにせよ馬鹿にされた感はある。思わず苛立ちに強ばった体をバーナビーは吐息でいなした。 当のななしはといえば、小脇に抱えたブリーフケースから恐らくアポロンのスーツの仕様書であろう書類を取り出してぱらぱらとめくっている。
「なんですか貴女って人は…」
それでも抑えきれない吐息は音になる。 聞こえているのか聞こえていないのか、さっさとバーナビーのヒーロースーツの入ったケースを受け取ると書類に2、3チェックを書き込み背を向けた。 高いピンヒールが硬く響く。
「はーいはいはいスーツ預けたらちょっと待ってて。帰っても良いわ、明日同じ時間に取りに来て。つまり君は今の段階で邪魔。わかる?通じてる?」
畳みかけるようにヘーゼルの瞳がバーナビーを捉える。思わず唖然とした頭と顔に、言葉を理解していないと思ったのか投げられた言葉に流石のバーナビーも耐え難い。 それでもせめて相手は女性なのだからと抑えられたことは幸いだと思う。
「…仮にもアポロンから委託されている技術者でしょう、もう少し」 「愛想よくしろって?」
……訂正。それで抑えなかったらもっと我慢がきかなかったかもしれない。 苦言を呈そうと口から出た言葉にかぶせるようにななしから出た言葉はバーナビーが今正に言おうとした言葉そのもので思わずバーナビーが口を噤むと、ウォルナット色の髪がぶわりと勢いづいて視界を覆った。
「私が愛想よくするのはスーツか私が師事する技術者とその技術にだけ。それ以外は別に好きでも嫌いでもないわ。あえてどっちかと問われたら嫌い。OK?」
きっ、と強く見つめられた視線は思わず体が硬直するくらいの衝撃があった。 これは確かに前任が逃げたというのも頷けるし、先程の「また違う人が来た」というのもよく判る。まともに応酬をしていたのでは、ななしの印象は強すぎる。 返す言葉もなくバーナビーが固まっていると、今度こそ完全に機嫌を損ねてしまったようで、ななしはヒステリックにヒールの音を立てながら部屋を出ていってしまった。
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