ゆっくりとつむぐはなし
お父さんが、この人を連れてきたのはいつだったか。 一年に一度帰るか帰らないかのお父さんに遠慮がちに付いて、私とおばあちゃんに会釈をしたのを覚えている。名前を「ななし」と自己紹介した笑顔は、とても眩しくて、ぼんやりとした記憶のお母さんの影に重なった。
けれど話せば話すほどななしさんは記憶のお母さんとは違って、なんというか、お姉さんだったのだ。実際お父さんとも少し歳は下で、離れていることを教えてくれ、お父さんは実年齢より子供っぽいよねと悪戯っぽく笑っていた。
それからななしさんは何度か、お父さんと一緒にやってきて、私はちょっとした年頃なんかを迎えたりして、お父さんに相談できないことが増えて行く度に、ななしさんに話すことがひとつふたつと増えていった。
きっとななしさんはお父さんのことが好きで、お父さんもななしさんのことを大切に思っているのはすぐにわかった。最初は私だって、ならばと子供なりに勘ぐったりもしたし、おばあちゃんも伯父さんもどこかよそよそしかったけれど、何にでもよく笑うななしさんはすぐに私の周りの空気に馴染んでいった。それにななしさんは必ず、家に来るとお母さんの仏壇にまず手を合わせる。穏やかにお母さんの遺影を見つめる表情も大きかったかもしれない。
最初に顔を合わせてから数ヶ月。もっとお父さんが帰って来れなくなったくらいに、ななしさんは一人で来るようになった。お父さんからの私への贈り物と伝言を持って。 私のことを大事に思ってること、なかなか会いにこれなくてごめんってこと。だから私も同じように、ななしさんにしか言えないお父さんへの言葉を伝える。 そんなことが何度か続いて、今日もななしさんは家の玄関を眩しい笑顔でくぐった。
「それでね、テレビのバーナビーすごく格好良くて」 「うん、私もそれ見てた。グッドラックモード格好良かったよね。あ、楓ちゃんこないだ話した雑紙のTIGER&BARNABYの特集チェックした?」 「まだ見れてないの!」 「ちゃんと切り抜いて持ってきたわよ」 「やった!ありがとう!」
シュテルンビルトに住んでいると言っていたななしさんは、ヒーローの話題にもとても詳しい。私がバーナビーに助けられてからファンになったと言えば、たくさんのことを教えてくれたし、二人のファンだからと雑紙や情報端末なんかを私と一緒に見てくれる。ななしさんはタイガーの方がちょっと好きらしかった。
バーナビーの写真がアップで写った切り抜きに嬉しくて笑うと、ななしさんも嬉しそうに笑っている。 やっぱりその笑顔は眩しくて、お父さんにも私にも平等に、変わりなく向けられていて、私はぽつりと私のベッド脇に腰掛けたななしさんに問いかけた。
「ななしさんは、お父さんのこと好き?」 「……そうね。好きね。どうしたの?」
少し間を空け、長い睫毛に縁取られた目が大きく開かれて、すぐにやんわりと微笑む。 嘘もなにもない、正直な優しい声だった。
「ななしさんは、私のママになりたいの?」
正直こんなことを聞かれたら怒られるかなと思った。多分お父さんにななしさんのことを聞いたらはぐらかしただろうし、ましてや「新しいママのつもりなのか」とでも聞いたら怒ったかもしれない。 けれどななしさんは怒るどころか、ゆっくりと優しく「なれない」と返した。「なりたい」でもなく「ならせてほしい」でもない。自分でできないと、言ったのだ。
「楓ちゃんのママには、なれないな。私はね、楓ちゃんのお姉さんになりたいの」 「…お父さんは、そうなのかな。私はそれでいいけど」 「だって楓ちゃんのママは一人きりでしょう?お父さんの奥さんも、一人きりなのよ」
本当にそれはただ当たり前のことなのに、いつもの笑顔でそれを言うななしさんに私の胸はつんと痛んだ。 私やおばあちゃんや伯父さんが最初に思ったことは、最初からななしさんの中にはなかったのだ。少し前の自分の気持ちが後ろめたくなる。 でもお父さんはどうなんだろう。お父さんは私とななしさんを会わせた時どんな意味を持たせたかったんだろう。私のお姉さんになりたいと言ったななしさんのことをお父さんは知っていたんだろうか。
「うん」 「虎徹さんだってわかってくれるわ。ううん、私はそうでありたいからわかってほしいの」 「…うん」
この人の気持ちを理解しつくすのは、子供の私には無理かも知れない。わかってくれる、わかってほしいと願うこの人の気持ちはどれほどだろう。 でも虎徹さん、とお父さんを呼ぶななしさんの声はひときわ優しく丸く私の耳に届いて溶けるのだ。
「私は、ななしさんがお姉さんになるんだったら、嬉しいな」 「私も楓ちゃんみたいな妹、嬉しいな」
照れ隠しに雑紙の切り抜きを見ながら言えば、珍しく照れたように白い頬を薄く染めたななしさんが見えた。
(……タイガーもちょっとかっこいいよね) (ほんと?)
_______ (110725)
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