ずぶぬれスケルツォ


「……ねぇ前見えてる?」
「見えてません」
「外したら」
「外しても見えないので」
「そう…難儀ね」


家の前に捨て兎を見つけた。随分と大きな捨て兎。しかもどしゃぶりの雨の中傘もささないずぶ濡れ兎。
今日の天気予報は夜になるにしたがって降水確率100%と言われていたのに。私が丁度買い物に出ていて、丁度今帰ってこなかったら、この兎はずっとここにいるつもりだったんだろうか。
ぽたぽたと雫が綺麗なハニーブロンドから滴る。普段はふわふわとした癖毛も、今は見る影もなく束になってしまって、水も滴る良い男というよりはさみしく彷徨う犬…いや、兎か。
自分より大分上にある顔を見上げて、眉を潜めてどうしたの?と問うても相手は沈黙で返す。むしろこの人眼鏡が濡れて私が見えてないんじゃないかと思って別に問いかければ先の答えである。

傘を閉じて、郵便受けを調べて、振り返っても動く気配のない彼に目一杯広げた肺からため息を吐く。


―確か明日はチャリティーショーだと言っていなかったか。

―このままここに居られて風邪をひかれても困る。


「来なさい」


いつまでたっても動かないこの大きな兎の裾を掴んで、強引に部屋まで入れてタオルを放り投げるが、それでも尚微動だにしないので流石に途方に暮れた。

「……拭くからせめて屈んで」

言えば聞く気はあるのか、素直に私の背丈まで頭を下げる。
自発的には何もする気にならないのか。わしわしとタオルを動かせば、すぐに水気を吸ったタオルが重くなっていく。タオルでは吸収しきれなかった雫が床に落ちて、水玉模様ができた。
どれだけ濡れたらこうなれるのだろう。スポーツタオルじゃすぐに意味を成さなくなって、急いで今度はバスタオルをかぶせるが、革のジャケットに溜まった雨水がすぐにそれも浸し始めてしまう。
拭いながら僅かに触れた首筋は、自分の手が熱いと思うほどに冷え切っていて、重ね重ねこんなになるまで雨に打たれていたことにため息がでる。


「こんなに冷えて風邪でもひいたらどうするの。もうシャワー浴びてらっしゃいな」
「…やです」


初めて意見をしたと思ったら反抗とは。流石に文句の一つでも垂れようかと息を吸ったところで、冷たい腕が伸びてきて私は彼の胸の中に強制的に収容され、冷たい唇と出会う。
最初は啄むように。だんだんとそこだけが体温が移るように熱を帯びてきたところで、思い切り相手の胸を押してそれ以上を拒絶すれば、不満そうなペリドットが眼鏡越しに見つめてきた。


「あんまり駄々こねないで」
「こねてません」


まるで子供だ。普段あんなに人前では作り上げている癖に、少しのことでへそを曲げる。馴れ合いが嫌いだと言っておきながらこうして寂しそうな顔を見せる。
ぐ、と私を子供のように睨むグリーンを遮るように瞼にキスをしてからタオルでそっと視界にカーテンを下ろす。


「…バーナビー、心配してるのよ。こんなに冷たくなるまで傘もささないで。家に来るなら来るで連絡すればいいでしょう?携帯はどうしたの」
「置いてきました」


意図的に置いてきた、ということは誰かからの連絡を避けているのか。誰ぞに不必要な干渉でも受けたのだろうか。
彼は自分の過去のことになれば殊更口を閉ざし、干渉されるのを嫌う。私だってすべてを聞くわけではない。話しておいた方が良いと、彼が判断したものだけを聞いて、聞かされている。私も、それ以上は必要ないと思っていた。
だから私と彼は崩壊することなく折り合っていられる。

やっとぽつりぽつりと会話を始めた彼に、少しだけ安心して小さく笑む。そう、と短く返してタオル越しの蜂蜜色に触れ、ゆるゆると撫でる。


「…貴女なら、何も聞かないでいてくれると」


甘えるように今度は私の手に頬をすり寄せて、ささやかに懇願する彼に私は思わず瞠目した。
一体どうしたのか、普段は自尊心からか、ここまですり寄ることなどないのにと、つい問いかけそうになってしまった口を閉じる。
彼は、聞かれたくないと願っているのだ。


「…そう、そうね。」


それが今の彼の甘えなのだろうと。
すり寄る頬から伝わる唇の震えから、胸が詰まる思いがする。
じわりと冷え切った頬がぬるまって、タオルのカーテンを閉めたままそっと自分からそれに唇を寄せた。


「ねぇバーニィ、あなたが何も言わないのなら私は聞かないわ。けれどね、だからって心配しないほどドライな女じゃないのよ」


隠れた視線は重ならない。


「…寒いままじゃ寂しいままでしょ」
「…はい」


何かを問うかわりに腕を伸ばして包むように掻き抱き、首筋のハニーブロンドに頬をうずめた。冷たい雨の匂いに吐息が混じる。
詰まった息を吐くと、常からは想像できないほどこわごわとした両腕が私の背中に回り、小さくシャツにしわを作る。

「すいません。今は話せません……けど、しばらくこのままでいいですか」
「…好きになさい」


震えた声が本当に凍えた兎のようで、そっと私は暖めるように腕を強めた。


(君が暖かくなったら、さらけ出す甘えをしてほしい)


_______
(110624)

ルナ先生遭遇後「僕だってわかんないですよ!」→チャリティーバックレの間くらい

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