あなたと私に乾杯
こっぴどく振られた。 私の長年付き合ってきた彼は浮気をしていた。何度も何度も愛してるって言い合ってきたというのに、問いつめたら付き合い始めてすぐに浮気をしていたというのだから本当に笑える。
とりあえず別れるか別れないかは置いて、話をしようとカフェで待ち合わせをし、極力優しく何か不満でもあったのかと問いかければ特に不満はないが別の彼女も欲しかったとか阿呆なことを抜かされたところで、知らない女が彼に向かってヒステリックな声をあげた。
その、つまりアレだ。偶然通りかかった私から見た浮気相手の女が、私を浮気相手だと思って声をあげたのである。穏やかな午後のカフェテラスが修羅場の様相に変わり、私の彼は当然ながら地獄を味わうこととなった。 私は相手の女にこれでもかと罵られ、どっちつかずに視線を彷徨わせる彼に腹が立ち、その横っ面をこれでもかと引っぱたいて別れの言葉を告げた。けれど、最終的にこれは振られたとかわらないんだろう。 私は振られ続けていたのだ。彼に。最初から。
とりあえず私は家に帰るとネイサンに一言だけメールを入れて、全力で泣いた。これでもかと、とりあえず泣けば楽になるかと思って泣きに泣いた。 未練を流したかった訳じゃない。ただなんとなく報われないこの気持ちを吐き出してしまいたかった。 ついでにクッションも殴って、貰った指輪を外してゴミ箱に投げる。そこでようやく気持ちが落ち着いて、外がもう暗くなっていることを私は知った。 そういえばカフェで注文したものにもロクに口を付けずに帰ってきて、水も食べ物も口にしていない。 それに気付いてふらりと立ち上がると、インターホンが鳴り響く。
彼が追いかけてきたんだろうか。もし追いかけてきたとしても私の腹は決まっている。 どうせならグーで殴ってやろうか。そう思ってドアを開けると、ネイサンが向こうに立っていた。
「あらまぁ、酷い顔してるわよ」 「ネイサン?なんで?」 「あんたが電話もでないから心配になっちゃって。一応メールは入れといたわよ?」
その顔じゃずっと泣いてたのね、と言われてやっと携帯の存在を思い出しそちらをみると、メール受信を伝えるランプがチカチカと明滅していた。
「愚痴聞きついでに、飲んで忘れちゃおうって、ね」
袋に入った酒瓶を見せながら笑うネイサンが眩しい。今度は優しさで溢れ出した涙を見て、彼の指が私の目元を拭う。
「まずその酷い顔をなんとかしなきゃね」
何かあるたびに、ネイサンは駆けつけてくれる。 幸せな時もその話を聞いて喜んでくれて、悲しいことがあれば慰めてくれる。私も、彼の話を聞いて一緒に笑ったり怒ったりしながら過ごしてきた。だから今日もそう。 一番大切だったり辛い時に、彼と私はよく側にいる。
冷たいタオルで目元を冷やしながら、グラスに注いだアルコールを飲み下す。こんな良いお酒うちに持ってきていいのか、そう言えばあんたの涙に比べたら大したことないと返される。
「…にしても男も馬鹿ねぇ。ななしみたいな子がいて浮気するなんて」 「最初からだってんだから笑っちゃうよね」 「こないだ写真見せてくれたコでしょ?なんならアタシが食べちゃおうか」 「やめて逆にネイサンが汚れる」 「あっら嬉しいこと言うじゃない」 「あんなのネイサンに相応しくないよ」
グラスを空にすると、すぐにタイミングを見て新しいものが注がれる。 丁度ネイサンのも少なくなったから私が今度は注ぐ形になると、頬杖をついてネイサンもぽろりと話を始めた。 「アタシもさぁ、別れちゃったのよねぇ、最近」 「え、前に言ってた人?」 「そ。だから丁度二人とも振られちゃったわね」
褐色の肌に映える口紅がゆっくりと弧を描く。 そうしたらなんだか無性に自分ばかり泣いているのが子供みたいで、逆にネイサンがとても大人に見えてしまって私はネイサンから目を逸らした。
「ネイサンは強いなぁ」 「ま、終わったものはしょうがないものね」
傷つかない訳じゃないわよ、と頭を引き寄せられて、ネイサンの肩に頭を預けて、ゆるゆると撫でられる。 こういう優しい所、すごく羨ましくて、すごくずるい。
「私ネイサンのこと好きになればよかったなぁ」 「そうねぇ。私もななしのこと好きになればよかったのにね」
でも無理だ。
「でも無理だね。ネイサンはゲイだし」 「ななしは女の子だし」
ネイサンはそもそも女の子を恋愛対象にしないし、私は彼を男としてみていない。だから私たちの間に恋愛という2文字は自然発生しないのだ。だからこそこうして側にいれるし、居続けてきた。このやりとりだって、何回してきたかわからない。お互いがお互いの理想でありながら、絶対に気持ちが組み合わせられないけれど、それすら私たちの理想だからタチが悪い。
「上手くいかないねぇ」
そう言って笑うと、やっと笑ったわね、と悪戯っぽく言われてはたと気付く。そういえば今日初めて素直に笑った。
「あは、そうかも」 「よし、笑えたならそれで良い。あとは酔いつぶれるまで飲みましょ」
香の少しぬけたグラスを小さくうち鳴らして、静かに乾杯。 この恋の終わりに乾杯。 そして新しい恋のために乾杯。 あなたにはほんとに敵わない。 (サンキュー、恋友達)
(110604)
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