テレビのチャンネルはつまらないものばかりだった。難しい政治の話をするニュース、名前も知らない芸人たちの騒ぎ声、同じく名前も知らない歌手たちの歌番組――他にも番組はあったが、似たり寄ったりで、興味をひくものがない。そもそも、あまりテレビを見る方ではなかった。暇つぶしに、気まぐれで、テレビをつけた。
 ただの箱から、最近は科学の進化だとかで薄っぺらい形に変わった、人にとって一種の娯楽道具である画面をまじまじと見つめる。いくら薄型になろうと、画質が綺麗になろうと、音質が鮮明になろうと、やはり興味をひかれるものにはならなかった。
 最新科学の技術が詰まった器具たちに囲まれたこの部屋は居心地が悪かった。おまけにだだっ広く、白で統一されているせいか、よけいに広く感じさせるのだ。一人用の部屋としては、少し大きすぎる。
 「はあ……」ひとりでいることには、随分と慣れた気がする。溜め息をつく回数と、窓の外に広がる景色を見る回数は自然と増えた。

「ひっまそうだなァ」

 突然、勢いよく扉が開かれた。こんなことをするのは一人しかいない。相手はわかりきっているが、存在をただ認めるのはなんだか癪だ。「誰ですか?」と、白々しく扉も見ずに返した。

「おま、せっかく俺が来てやったのに!」
「元気ですね、バーン様」

 ずかずかと足音をたてて近寄ってくる人――バーン様は、相変わらず寝癖なのかセットなのかいまいちわからない髪型で、左手には白いポリ袋を持っていた。
 バーン様はわたしの顔を見るなり、眉間に思いっきり皺を寄せた。次に、ポリ袋から黙々と中身を取り出し始める。

「この部屋寒い。何度だ」
「……二十六度、です」
「リモコン貸せ」

 有無を言わせぬ顔持ちで、手を差し出されては渡さざるを得ない。恐る恐るリモコンを渡すと、再び黙々と設定を弄りだした。人工的な風が緩やかになっていくのがわかる。風を排出する低い音も、次第に小さくなっていく。ポイッと投げられたリモコンに表示された文字は二十八度、風量弱、だった。

「暑いです、バーン様」
「暑くねえ。それより水分取れ、水分。ポカリ買ってきてやったから」
「またポカリですかあ?」
「またとか言うな馬鹿!」

 やっと眉間の皺がなくなったかと思えば、次の瞬間には怒っている。見てる側としてはバーン様の百面相は面白いが――「なに笑ってんだ?」おちおち笑っている場合ではないらしい。

「んで、身体の調子はどうだ?」
「まあまあですよ」
「そっか……夏バテとかしてねえか? ダルいとか、暑いとか」
「大丈夫ですって」

 まるで親子のような問答をして、バーン様はやっと腰をパイプ椅子に落ち着けた。「バーン様」「あ?」「ゼリー、食べたいです」
 ぶっきらぼうな返事が返ってくる。バーン様はそのままポリ袋に手を突っ込み、紫色のカップを取り出した。

「ほら、あーん」
「あーん」
「……食欲はあるみてえだな」
「このゼリー、なんか温いです」
「うっせ!」

 口先では怒っていても、スプーンを運ぶ手付きは不器用でも、わたしはそれが、酷く嬉しかった。
 いつも、当たり前のようにやってきて、当たり前のように話をして、少し喧嘩をして、少し泣いて。バーン様の、昔から何も変わらない態度に、無性に泣きたくなる。悲しくなる。寂しくて、苦しくて、全て伝えられたらいいのに、と強く思う。

「はい、終わり」
「ごちそうさまでした」
「おお。明日は桃にしてやるよ」
「バーン様」
「ん?」
「いつも、ありがとうございます」

 深く、顔が見えないように、頭を下げる。きっと今、バーン様の顔を見たら泣いてしまう。やっと受け止めた世の中の理不尽を、恨んでしまう。

 バーン様の優しさに触れる度に、おかしくなりそうになる。
 あなたの背中を流れる汗に、気づいていないと思っているのか。本当は、暑いのでしょう。暑くてたまらないのでしょう。それがわたしの為のやせ我慢だと、わたしは幼い頃から知っている。
 あなたの嘘は人を守る為の優しい嘘だから、そんなバーン様だから、わたしは未だに甘えてしまう。

「どうした、いきなり?」
「いつもお世話になってますから」
「……」
「バーン様?」

 突然、ガシッと頭を掴まれた。手加減なんてものはない。わたしはされるがままに、目線をバーン様に合わせる。黄色の瞳。見慣れたはずの、ものなのに。
 ふ、と空気が揺れる。バーン様が笑っていた。眩しくて、目がくらくらする。息が出来なくなって、水中にいるみたいだ。

「お前は大丈夫だ」
「なん、で……」
「俺が約束する」
「だって、わたし……」

 耐えていたものが簡単に崩れ落ちる。たったひとつの笑顔で。たったひとつの言葉で。砂の城を壊すかのように、わたしの駄目なところを、簡単に除いてくれる。
 普段は怒ってばかりで子どもっぽいのに、どうしてこんなにも説得力があるのだろう。どうして、こんなにも安心するのだろう。
 同じくらいの大きさだった手のひらは、今はわたしの両手を包み込んでしまう。わたしよりも低かった身長は、とうの昔に抜かされてしまった。
 変わってしまったことの方が多いのに、この気持ちだけは変わらない。

「俺を残して、お前はどこにもいかねえよ」



100801
拝借/落日
漣さんへ(イチマンダーフリリク)