自殺願望(玉犬)

 
 
 
つめたいコンクリートに這った手足は、痺れたように感覚がない。この出来損ないの身体は数分前まで、涙が出るほどに痛んでいたはずなのに、声が枯れるほどに叫んだはずなのに、今ではそれももう忘れてしまったようだった。
与えられる痛みは、感じないとは言え、不愉快なものであった。
だけれどそれを、その空虚な苦痛を強いるのが玉章だったから。それだけで犬神は、暴力のなかにほんのすこし幸福があることを知った。

ああ、くるしい。

俯せに転がされ、頭を踏み付けられながら、犬神はか細く呼吸する。
何年も何年も玉章の側にいて、ようやく自分が決して玉章の隣りに在ることはできないのだということを理解できた。どれだけ近いと人が言っても、物理的距離で測っても、異質なものでは触れることも交わることも叶わない。

だから犬神は言ったのだ。
ありふれた月曜日の昼、春の澄んだ青空が広がるなか、風に揺れる桜をなんの感慨も無く見つめる玉章に、笑いながら。

「どうかいまのうちに、俺をころしてくれ。俺はいつか、玉章の犬ではなくなってしまうから」

振り返って犬神を見た玉章は、珍しく素直に感情を露わにしていた。見開かれた黒い瞳に自分が映る瞬間がひどく希少であるためか、犬神はとても好きだった。
どうせならそれが、怒りの色や悲しみの色に染まっていない時なら尚よかったのに。白く美しい玉章の拳が頬に向かって降りて来るのを横目に認め、犬神は瞼をとじる。

そこからはひたすら殴られ、蹴られた。ただ、犬神にとって問題なのは暴力を振るわれることではなく、傷ひとつない玉章の身体が何かの拍子に害されることだけで、それだけが心配であった。

くるしいなぁ。

またぼんやりと、犬神は思った。
玉章が傷つくからやめてくれ、などと言う権利を犬神は有していない。謝ることも玉章は望んでいない。望むのは言葉の否定と、愚直なほどの忠誠だけだ。けれど犬神はそのどちらも、もう玉章に与えることは出来なくなってしまった。

玉章の特別になりたい、玉章に愛されたいなどという気持ちが、それらに成り代わることなど有り得ないのだから。

痛覚がとうに麻痺しているのに痛むものがあるなら、それは犬神のなかで唯一自分のものとして存在を許されたこの心だけだった。しかし犬神はそれを、玉章には伝えられない。伝えるべき言葉は玉章のためのものである。

だから犬神は、くるしいと泣く幼い恋と、玉章の嫌悪する人間の自分、どちらとも一緒に生きることが叶わないから、それらと共に死のうとするのだった。













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