*朱夏の夜半
領主×妖怪
真夏の、しかし空に浮かぶ月が美しい涼しいある日のことであった。
いつもは人々の寝苦しさを助長するだけの虫の声が耳に入ってこない、不思議な夜。
朱夏の夜半
ゆらりゆらりと微睡んでいた臨也は、かさりという自身のものでない衣擦れの音を聞いて瞬時に意識を覚醒させ、目を開けた。
視界に飛び込んできたのは、眠る前に見た闇ではなく、目に痛いほどの金色。
「っ……」
臨也が突然目を覚ましたことに驚いたのか、仰向けに横たわる臨也に跨がった金色の持ち主が、動揺する気配が空気を介して伝わる。
月に透ける金の髪に魅入っていた臨也はしかし、その刹那指笛をヒュウ、と短く吹いた。
それを聞いた侵入者は咄嗟に臨也の上から退くと、木戸に向かい逃げるために走り出す。
「無駄だよ」
片手をつきゆっくりとした動作で起き上がり、乱れた着物の襟を直しながら臨也は笑う。
その言葉通り、侵入者は扉に手をかける前にどこからか現われた黒い影の様なものに身体の四肢を捕らえられ、大きな音を立て壁に叩き付けられた。
風圧に揺れる黒髪を気にすること無く、臨也は身動き出来ずに居る侵入者の元へ歩く。
そうして近付いて、朧の光に照らされた金に隠れた瞳、顔を見て、臨也は思わず息をのんだ。
「鬼?」
覗いたのは、臨也を惹きつけたものと同じ、美しい金を眩いほどたっぷりと含んだ瞳。
だが、それが意味するものは一つしかない。
金の瞳は禁忌の、人間とは相容れぬ存在である鬼の証だと言う事。
「どうして鬼が此処に?俺に、何の用?」
臨也が悠然と言うと、鬼はギリ、とその薄い唇を今にも赤い血を流してしまいそうな程に強く噛む。
そして、激情を押さえ付ける様にして肩で大きく一呼吸し、唸るような低い声で告げた。
「お前は三日前、黒い鬼を、捕まえただろう」
「あぁ…手負いの、まだ若い鬼だったかな。」
臨也は思い出すように腕を組むと、小さく首を傾げた。
「そいつをどうした」
「村人が襲われたら大変だから、殺してしまおうかと思ったんだけど。鬼を捕まえるなんてそうそう簡単にできる事じゃないし、珍しいから連れて帰ってきたよ」
「今、何処にいる?」
鬼の目は睨むと言うより、まるで視線だけで臨也を殺そうとしている様だ。
臨也はそれを一瞥すると、口の端を少し持ち上げた。
「地下牢だけど…ねぇ、質問に答える気はあるの?俺はそうでもないけど、うちの忍はあまり気が長い方じゃないんだ。早く言わないと、潰されても知らないよ?」
そう言い終わらない内に、鬼を拘束する影がギリギリと力を込め、鬼は眉を寄せ忌々しげな表情を浮かべた。
「その、捕らえた鬼を…幽を、解放しろ」
はぁ、と苦しげに細く息を吐きながら鬼は言った。
「どうして?」
訳が分からない、と臨也は更に首を傾げる。
鬼は本来単独行動を好む。
仲間意識などある筈も無い、と思っていたのだが。
「あいつは、俺の弟だ…こんな所に置いておくことはできない」
「意外と人情派?美しき兄弟愛、ってところか。ふーん、面白い鬼だ。」
クスクスと、臨也は肩を揺らし笑う。
「…いいよ、あの鬼を解放しよう。但し条件がある。君が代わりにここに残るんだ」
「、んだと…」
「当然でしょ?こちらは村人の命をまた危険に晒さなきゃいけなくなるんだから、相応の対価若しくは人質が必要だ。まぁ、納得いかないなら君は弟を見捨てればいいだけだよ。」
くるり、と臨也が軽やかに振り返る。
その後ろ姿を見つめながら、鬼は諦めたようにその瞳を閉じた。
「分かった、俺が代わりにここに居る。だから今すぐ弟を…」
「契約成立、と。分かった分かった、そんなに睨まなくても、自分で約束したことは守るよ」
軽やかな声を返した途端鋭い目でこちらを見た鬼に、臨也は声を上げて笑っていたが、ふと思い付いたようにその顔を覗き込んだ。
「ねぇ君、名前教えてよ。俺は折原臨也」
「…静雄」
もう一度伏せられた瞳が見えないことだけを残念に思いながら、臨也は知ったばかりの名前を舌の上で転がし、この美しい鬼に似合う枷があるのだろうかなどと真面目に思案した。
***
続きそうで続かない
衝動って怖い
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