七松小平太はその日、潮江文次郎が会計室前の廊下に座り、ぼんやりと空を眺めているのを発見し、満面の笑みを浮かべながら手を振った。

「文次郎ー!」
「あ、小平太」
「今日も私と鍛錬しに行こう!」
「あー、すまん。今日は会計委員会の買い出しで、神崎と出掛けるんだ」
「えー、嫌だ!」
「我が儘言うなって」
「じゃあ、何か買ってきて!」
「土産か?何がいい?」
「文次郎の“愛”!」
「はぁ?“藍”?藍と言えば……染め物か?」
「愛の初め者?」

 右側に首を傾げる文次郎を見ながら、小平太も左側に首を傾げる。
 会話が噛み合っていないことに気付かない二人が、鏡合わせのような体制で見詰め合っていると、お互いの視線の端に見覚えのある少年の姿が映った。

「しーおーえーせんぱーい!こんな所にいたんですか!」
「おお、神崎か」
「七松先輩もこんにちは。今日も御二人でじゃれ合ってるんですか?」
「いーや、私達はじゃれ合ってなんか無いぞ。な、文次郎!」
「ん?まぁ、じゃれ合っては無いな」
「これは『じゃれる』より上だ!」
「…『じゃれる』より上、ってどういう意味だ?」
「そのままの意味だ!」
「良く分からんが…とりあえず俺たちの行為は『じゃれる』より上なのか?」
「外来語で『らぶらぶ』と言うらしい。長次が教えてくれたぞ!」
「そうか、俺たちはその『らぶらぶ』とやらなんだな」

 ふむ、と頷き、文次郎は、一つ勉強になった、と満足げな表情を浮かべた。
 二人のやり取りが一時停止した隙をついて、神崎左門は小平太に向き合い、躊躇いがちに口を開く。

「…えーっと、七松先輩すみません。今日これから、潮江先輩お借りします」
「うん、構わない。ただし、今日だけだぞ!明日は二人で一緒に鍛錬をするから!」
「え?いや、そうかもしれないけど…決定事項なのか?」
「決定事項だ!」
「ああ、そうか…決定事項なのか…」

満面の笑みで言い切られてしまうと、そうなのか、と納得するしかない。
 すっかり小平太のペースに巻き込まれている事に気付かないまま、文次郎は素直に頷いた。

「じゃあ、僕は準備をして来ます。長屋は……こっちだー!」
「神崎!そっちは食堂だ!小平太、追うぞ!」
「了解!」
「……って、何で手を繋ぐんだ?」

 繋がれた手を見ながら、文次郎は怪訝そうな顔を、反して小平太はきょとんとした顔をする。

「繋いじゃ駄目なのか?」
「いや、駄目じゃないけど、変じゃないか?俺たち恋仲でも無いし」


「じゃあ、今から恋仲になろう!」


「…………はあ?」
「文次郎、好きだぞ!」
「え、いや、いきなりそんな事言われても…」
「じゃあ、これでどうだ?」

 小平太が文次郎の後頭部に右手を添え、軽く力を入れると、二人の距離は一気に近付いた。

「…………」
「…………」
「……お前、今なにした?」
「文次郎の唇奪った」
「…っ!な、何すんだ、この、バカ小平太!」
「でも、嫌じゃ無かった、だろう?」
「!?」
「…どう?」

 小平太お得意の人懐っこい笑顔は鳴りを潜め、まるで子犬のような無垢で不安げな瞳が文次郎を捉えた。
 文次郎は、自分の唇を数回撫でてから、ぽつりと口を開く。

「嫌じゃ…無かった、かも」
「うん。つまり、そういう事だ!」
「…そういう事?」
「文次郎も、私が好きって事!」

 そう言い切る小平太の笑顔を見た文次郎は、嗚呼そうなのか、と一瞬納得しかけたが、すぐに、でも、と眉を寄せる。

「あれ、違うのか?」
「いや、違わないんだが……」
「………?」


「“今のヤツ”もっとして欲しいと思う俺って、変なんじゃないか?」


「………」
「小平太?」
「いや、変じゃ無いぞ。……ただ、文次郎は私に『くれいじー』なんだ」
「『くれいじー』?どういう意味だ?」
「良く分からないけど、『らぶらぶ』の進化形だって長次が言ってた!……かな?」
「あれ、じゃあお前も俺に『くれいじー』?」


 小平太は“私はとっくに『くれいじー』だよ”と呟き、笑いながら文次郎を抱きしめた。


「…小平太、いま何か言ったか?」
「いーや。ただ、文次郎には覚悟して貰わなきゃと思って」


――…さぁ、文次郎。
私と一緒に『狂う』ぐらいの恋、始めようか。







13:クレイジーパートナー
ノコ様
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